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管理人 (金曜日, 01 1月 2021 20:19)
NICOさん書き込みありがとうございます。 失恋という言葉はありますが、 失愛という言葉はありません。 NICOさんはずっと旦那様を愛しているのですね。 誰よりも愛しくて、大好きな人。 ありがとうはそんな気持ちからと伝わってきます。
NICO (木曜日, 31 12月 2020 23:00)
『森の学校』と言う約20年ほど前の映画を観た。 今年亡くなった三浦春馬さん初出演の映画でした。 11歳の少年が初めて身近な祖母を亡くし心の葛藤に胸を痛めます。 少年を思いやってくれた言葉を煩がり祖母を傷つけてしまったままお別れ…… そんな少年に母親が『頑張って来た人にはお疲れさん…ありがとう』と空に向かって伝えれば良いと。 私は自責の念を失くすことはできませんが、やはり『ありがとう』の気持ちは伝え続けて行くのでしょう。
管理人 (水曜日, 30 12月 2020 21:50)
毎年、12月中旬に一枚カレンダーを銀行から手に入れることが、習慣だった。 今年はうっかり忘れていて、銀行に行ったがもうなかった。 大切な人がいたときの、習慣を忘れてしまっている。 代替はどうにでもなるのだが、二人で生活していた時の習慣を 忘れているというか、気にならなくなっている。 何か知らず知らずに色々なものを、手放している気がする。
管理人 (火曜日, 29 12月 2020 22:50)
ふと思い出したこと。 新宿バスタが工事中の時、二人でストリートライブをよく見かけた。 工事を遮る壁が凸凹にあり、程よくストリートライブができるスペースを生み出していた。 多分違法なので、短い時間で切り上げていたようだ。中には警察官が撤去を促していた時もあった。 必死なことだと思うが、いたずらっ子のようにも映った。 随分前にバスタは完成し、そこにはもう二人で行けるわけではない。 そうか、あれから随分時間が経ったんだ。 工事中の壁で人とのすれ違いに煩わしさがあったり、ストリートライブも少し楽しんだりと、同じ景色は見ることが出来ない。 もうすっかり、過去の出来事として思い出となっている。 パスタが完成した時、あるはずのない、大切な人がいるところへの、バスがあるのではないかと、ターミナルで捜していたことがあったり、バスタの中の中庭で、涙していたこともあったなあ。 起きたことは変えられないが、その受けとめ方等は時の流れのうちに変わるものと・・・
管理人 (金曜日, 18 12月 2020 20:12)
NICOさん 書き込みありがとうございます。 今も新婚なんですね。 旦那様と一緒に暮らして、人生の輝があるから。 「一緒」は一つの糸の者だから、糸でずっとつながっているんですね。
NICO (金曜日, 18 12月 2020 12:57)
『まだ帰ってこないなぁ』 『早く帰ってってこないかなぁ』 と思い続けている私は 『新婚』なのですね♡ クリスマスも近いから帰ってきてね…… いつまでもツリーのテッペンに 星がつかないないままょ☆
管理人 (木曜日, 17 12月 2020 22:25)
ネットで見かけたもの。 「結婚して何年まで新婚って言えるかな?」 認知症のおばあちゃんに聞くと、こんな答えが返ってきた! 「旦那様の帰りを待つ時、もう帰ってきたって思ったら新婚じゃないよ。 まだ帰ってこないなって待ってるうちは新婚よ。だからうちはまだ新婚なの。」ってはにかんでてもう… もう何年も前に亡くなられた旦那様をずっと 「まだ帰ってこないな、早く帰ってこないかな」って毎日待ってるのちょっと泣けた 認知症だから旦那様が亡くなられてること忘れちゃうのよね。 なんか、身につまされる。
管理人 (火曜日, 15 12月 2020 21:29)
コロナ禍のなか、自死が増えていると聞くとやりきれない。 どんな人にも、大切に思う人が必ずいるから。 中には、頼るためでもなく、寄りかかるわけでもなく、ただそこにいて、 生きていてくれるだけでいい。 そう思っている人もいるはず。 大切に思ってくれる人のためにも、生きていってほしいと思ってしまう。
管理人 (日曜日, 13 12月 2020 20:09)
タカさん書き込みありがとうございます。 大切な人を喪って 悲しさ苦しさに耐えるという地獄。 これは経験した人でなければ分からない。 耐えるという言葉の重みを感じているのではないでしょうか。 苦しみのなくなる魔法の言葉はありませんし、時間がかかります。 先ずは、苦しみを解消するのではなく和らげていくことかと思います。 人それぞれ、出来ること、出来ない事がありますが、 つらい気持ちを吐き出すことがいいと思います。 話せる場所で気持ちを話す。 今は、新型コロナウイルスの影響で、開催中止の会が多くなってますけど。 気持ちを文字にする。 その時の気持ちをノート等に書きなぐる。 大切な人に手紙を書く。 お寺で、お焚き揚げしてくれるところがあります。 手紙相談『自死の問い・お坊さんとの往復書簡』もあります。 また、自分でこだわりの持った弔いをすることも大事なことだと思います。 何事も最初は自転車の漕ぎ始めのようにペダルが重く大変ですが、 漕いでいけば、楽に進むようになるものです。 いずれにしても長い時間が必要。 毎日がつらくて、何も変わらないと感じていても、 気持ちを吐き出したり、文字にしたりと経験していくと、少しずつ、らせん階段を登っているものです。 ある日、ふと気付きます。 立ち位置は変わらないけど、見る景色が違うことで心が変わります。 楽しさも苦しさもずっと続かないものだから、 いずれ自分の生き方のありようを見つけていけると思います。
タカ (日曜日, 13 12月 2020 07:07)
二人暮らしだった妻が先月自死してから仕事中はある程度忘れる?ことが出来ますがふと妻の声や仕草や笑顔を想い出しては心が張り裂けそうになり涙が流れます。家にいる時は尚更です。 何をするにも妻がいる事が前提だった自分の基準が突然無くなり何をして何のために生きていくのかどうして良いのか全く見えません。 いろいろな考え方もあろうことも想像しますが、どのような相談を誰にするのが良いのでしょう。
管理人 (金曜日, 11 12月 2020 20:38)
ななさん 書き込みありがとうございます。 たとえ、善意からの言葉でも、 「さびしいですね。がんばって。」は 私たち遺族にとってはNGワードですね。 俵万智の短歌に さみしさは「ひとりだから」 というよりも「ふたりなのに」 でうまれるきもち があります。 人が人と暮らし、人が縁あってともに生きているからこそさみしい。 別れが来るから。 パートナーと、ともに暮らし、最愛の人がいなくなって、だからさみしい。 もしずっと一人で暮らしていたら、喪失の苦しみは少ない。 人間のさびしさ悲しさは、人とともに生きていること。 さみしさは宿命だと教えてくれてます。 パートナーへの愛が大きいから、ななさんは、さみしさ悲しさの大きさに苦しまれているのだろうとお察しします。 心は、空き缶がへこむように、ちょっとした言葉にもへこんでしまいます。 空き缶のへこみは、外からはなおしにくいもの。 内側からなら、なおしやすい。そんな時がやってきます。 間もない今は、いっぱい悲しむ時間だと思います。
なな (木曜日, 10 12月 2020 23:45)
夫を自死で亡くして二年が過ぎました。 三回忌が終わり、直後よりも何故か夫の不在を強く感じるようになりました。 直後は悲しいとか淋しいとかの感情よりも、ただただ自責の念にかられていたからでしょうか。 それともあの時はまだ何処かに夫がいるように思ってしまっていたからでしょうか。 何故いないのだろう。 クリスマス、年末年始は兎に角辛くて淋しくて。 それなのに近所の方から言われました。 「これからクリスマス、年末年始は一人で淋しいでしょう。でも頑張ってね!」 淋しい人間に「淋しいでしょう」なんて何故言えるのか。 淋しいに決まっている人間に「淋しいでしょう」なんて何故言えるのか。 頑張ってね!なんて。 何を頑張れと言うのか。 外に出るのが怖いです。 日常の生活があの日から出来ません。
管理人 (水曜日, 09 12月 2020 21:12)
大切な人を喪い、なぜという答えを探しても、 そもそも答えなどきっと見つからない。 悲しいことが起きた直後は悲しさ苦しさは100%。 長い時間をかけて徐々に和らいでくる。 また、 死別の苦しみだけではなく、生きていくうえで 様々なストレスを感じたり。 ネガティブな出来事があったり。 現状を憂いてしまいがちだが、 「人間万事塞翁が馬」と思うことに・・
管理人 (火曜日, 08 12月 2020 22:17)
方丈記 川の流れのように、幸せも、悲しみも、 時とともに過ぎていきます。 古の人の言葉。そうだよなあ。
管理人 (月曜日, 07 12月 2020 20:55)
大切な人に、先立たれることは、つらく悲しい。 好きな人を好きなままで、 お別れすることは最後の愛情と思うことに・・・
管理人 (日曜日, 06 12月 2020 22:14)
間もない頃 私とパートナーは 1+1=2 パートナーを喪って 1+0=1 一人ぼっちになってしまった。 と、言った方がいた。 私は 私とパートナーは 1×1=1 パートナーを喪って 1×0=0 だと思った。 そして 想い溢れる感情は、 言葉にできなくて、 ただ涙だけ。 新型コロナウイルスの影響で、街の様相が変わってしまっている。 悲しいことが起きた直後は、何も世間の様相は変わることは無く、 世の中が、前に進み、自分だけがそこに立ち止まっているような 感覚を覚えた。今は、コロナの影響を肌で感じ、世の中と一緒に 前に進んでいるような感覚。 今思うと、悲しいことが起きた直後は、とてつもないものだった。
管理人 (木曜日, 03 12月 2020 21:46)
手袋をする季節になった。 随分前に、大切な人から誕生日プレゼントしてもらったもの。 もらった当時は、そんなに感動は無かったけど、 今年になって気が付いた。 きっと、手が冷たそうにしていたことを気にしていてくれたのではないかと。 どんな物をもらったかより、どんな気持ちで贈ってくたのかを 考えるものなんだなあ。
管理人 (水曜日, 02 12月 2020 21:17)
間もないころは、会いたくてたまらない。 声が聞きたくててたまらない。 触れて、そばにいたい。 それが愛しさに変わってたまらなく苦しい。 多くの方が、抱える気持ち。
管理人 (火曜日, 01 12月 2020 20:36)
12月26日(土)は新型コロナウイルス感染が止まらないことから、 開催中止といたします。 次回1月30日(土)予定してますが、開催の可否は後日お知らせします。
管理人 (月曜日, 30 11月 2020 21:00)
つい1時間ほど前には普通に話をしていたのに。 こんなことが・・・ 自分は強い人間のはず。 今までどんな困難にも立ち向かってきたし、 あるいは逃げることが出来た。 ただ、これだけは逃げることも立ち向かえることもできない気がした。 おかしい、自分は強いはずなのに。どうしてだ、 どうすればいいのだろうかと、もがいていた。 自分にとって最大の試練だった気する。 後に、同じようなお話をされていた遺族の方がいた。 ああ、自分だけではなかったんだ。
管理人 (日曜日, 29 11月 2020)
駅に向かって、横断歩道で信号待ちをしていたところ、 白杖を持った30歳前後の男性が赤信号の横断歩道を渡ろうとしたことで、 思わず制止した。少し前から、年配の夫婦が執拗に この男性に話しかけていたのを見ていた。 事情は分からないが、迷惑に感じていたようで、 逃げるようにしていたことで横断歩道を急いで渡ろうとしたようにも見えた。 制止したことで、男性の方から、ここから○○の看板が見えますか? そこにいきたい。 私。見えますし、近い場所だから一緒に行きましょうか? 男性。お願いします。では腕をつかませてください。 私。いいですよ。 腕をつかまれながら、目的地に到着。お礼の言葉でお別れ。 腕をつかまれたとき、数年前の大切な人とのことを思い出した。 心地よいのだ。人の手は何かしらの力をもらえることを感じた。 ハンディキャップがあるのにもかかわらず、一生懸命生きてる人がいる。 そんな思いを抱かせてくれた男性にむしろこちらがお礼を言いたいと思ったなあ。
管理人 (月曜日, 23 11月 2020 21:24)
遺族の方で、パートナーが大好きでたまらなかった。 とおっしゃる方が何人かいる。 とても気持ちがよくわかる。 喪った後でも、大好きが止まらない。 つらいけど、それは数年続く。 いずれ形は変わってくると思う。感謝の気持ちに。 それまでは・・・
管理人 (土曜日, 21 11月 2020 22:12)
2020年11月21日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方5名の参加者で開催されました。 パートナーのいない寂しさに泣き、 後悔や罪悪感、一人残された孤独感、喪失感の毎日だが、 ある程度時間が経つと、他人からは、もう大丈夫と思われてしまう。 実際には、平静さを装っていても、気持ちは羅針盤を失ったように彷徨っていた。 みんなで共感した時間でした。
管理人 (月曜日, 16 11月 2020 21:18)
間もない頃、二人で出かけた所に、よく行っていた。 多分、脳(心)がその時の居心地の良さを覚えていて、 そこに行ってみるという行動になった気がする。 その場所で、当時の想いを馳せる自分がいた。 時には、悲しい思いで涙する自分がいたこともあるし、 無感動の時もあった。 また、悲しいことが起きてしばらくのころ、 珍しくアゲハ蝶が部屋に入ってきた。きっと姿を変えて会いに来てくれたと思った。 これは、きっと脳(心)が癒しをくれたのでは。 今年はコロナの影響で外出は控えめ。 来年、暖かくなった時期、コロナ影響や体力次第だが、少し遠いが想いの強いところに行ってみたい。 あれから、7年経って涙するのか、はたしてどんな気持ちになるのだろう。
管理人 (水曜日, 11 11月 2020 21:56)
新型コロナの影響もあってか、 外出も控えめ。そのために体力も、 記憶力もいまいちになっている。 歩くスピードも目に見えて遅くなっているし、 座ってから、立ち上がるのに、手をつくようになってきた。 老いるという戸口に立ったと感じる。 先日、所用があって新宿に行ったところ、見覚えのない駅中の風景。 後に気が付いたのだが、東口と西口の通路が新しくできていた。 便利になることはいいことだが、老いることと重なり、 一人になってからの時間の経過を感じてしまう。 それはなぜか、もの悲しい。 いや待てよ、会えることに近づいたと思えばいいか。
管理人 (金曜日, 06 11月 2020 22:43)
パートナーとはどんなに仲良くても、幸せそうでも人間同士。 不満や、失望、怒りがあったはず。 そして、お互い憎しみ合うことだってあったはず。 それが強くあった場合、 その負の感情が愛情の裏返しになるようだ。 自分の理想的な関係を思うため、相手が亡くなってしまうと、 求めていたものが絶ち切れてしまう。 DVに悩まされていたり。借金で悩まされていたり。 心の病気に悩まされたり。価値観が違っていたり。 としても、愛がそんな感情を創り出してしまう気がする。 遺族でない第三者から見ると、理解できない感情だと思う。 愛は奥が深い。
管理人 (木曜日, 05 11月 2020 22:56)
悲しみは和らぐことがあっても、消えることは無い。 悲しみはずっと心の中で生き続け、弔い(喪)の心を常に持ち続けている。 今思うと、自分なりに十分に弔い(喪)の時間が持てたと感じられた時に、 悲しみの感情が薄らいできたのを感じた。 人によって弔い(喪)の方法は違うはず。 私は、生花をお骨の前に手向けることをしていた。 2年半ほど、フラワーアレンジメント教室に通った。 3年目で、自分なりに十分に弔い(喪)の時間が持てたと感じた。 人によって、月命日や、祥月命日には、何々をする。大切な人の誕生日には何々をする。 これも、弔い(喪)の時間。いろんな弔い(喪)がある。 多分、実践している方は無意識かもしれないけど、そんな方を見かけると、 しっかりと、弔い(喪)の時間を持っているんだ、と言いたくなる。 みんな頑張っている。健気な気持ちが伝わってくる。
管理人 (水曜日, 28 10月 2020 22:01)
少し前に、腰を痛め、動きに不自由を感じることから、 動けるときは、片づけをせねばという思いに駆られている。 片づけをしていると、思いがけないものを目にしてしまう。 ほぼ10年前の写真。大切な人のバースデー。 この時、名前入りのケーキを依頼した。ちょっとした サプライズに、とても喜んでくれた当時の様子が写っている。 涙がとめどもなく流れてきた。 そして声を上げて泣いた。 今でも、慟哭してしまう。 そんな自分がちょっとかわいく思った。
管理人 (火曜日, 27 10月 2020 22:12)
昨今、TV番組を見逃ししても、PC、スマホ、タブレットなどで見ることができる。 ラジオ番組も、1週間前までの番組は視聴できる。 便利になったもの。 何か過去に戻れるような錯覚をしてしまう。 ああ、あの日の前に戻れるものなら戻りたい。
管理人 (日曜日, 25 10月 2020 19:48)
2020年10月24日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方12名の参加者で開催されました。 2グループに分かれての分かち合い。 私のグループでは、 どうやって生きていこう? まだ来ぬ将来をいろいろと案じてしまう。 間もないころは、ほとんどの方がそんな思いに捉われる。 けっして特別な感情ではない事を確認できた時間。
管理人 (月曜日, 19 10月 2020 20:59)
二十数年前通勤途中で、新築のアパートの2階から 30代前後と思えるスーツ男性の出勤姿が見えた。その時女性がお見送りをし、言葉を交わしている。 男性は階段を降り切ったところで、上を見上げ手を振っている。女性も手を振っている。 本人たちにとって当たり前の行動で人に見せるためのものでもない。 毎日の事。1年以上見かけていた。 見ていてほのぼのとしたものを感じていた。 勤務先が変わったりするともうその姿は見ることはできなくなった。 遺族の中に、若い方を見かけると、そんな光景を思い出すときがある。 その方に、そんなことがあったような気がして。 大切な人と過ごした時間はもう二度と戻ってこない。 でも、その幸せだった時間の記憶をかみしめ、感謝する。 悲しみがあるから、愛の喜びがあった・・・
管理人 (金曜日, 16 10月 2020 22:12)
ある書物に 一人の時間を望むのは、それだけ人間関係につかれている証拠。 一人の時間は必要だ。 一人の時間は治療の時間なのだ。 人間関係で疲れたからだと心を休ませてあげる時間。 だから一人で食事したり酒を飲んだり、 一人でできることを楽しんだらいい。 ただし、そうやって一人の時間を楽しんだ後は、 必ず戻らなければならない。 一人の時間は、帰り道が約束された旅行でもある。 そもそも一人でいたいなんて気持ちは、 結局、誰かと繋がっているから生まれる。 無人島に一人でいるなら、ひとりでいたいなんて思わないだろう。 一人でできることが多いと、他人と程よい関係を続けることができる。 一人が楽だけど、結局は一人では生きていけないことを知っている。 孤独を十分に楽しんだ後、再び人の群れに戻る。 孤独は必要なもの。 悲しいことが起きて、孤独はつらいものと思っていたが、 そうではないと思った。
管理人 (水曜日, 14 10月 2020 20:39)
意馬心猿(四字熟語) 馬が奔走し猿が騒ぎたてるのを止めがたいように、煩悩・妄念などが起こって心が乱れ、抑えがたいこと。 悲しいことが起きてしまうと、いろんな思いが心に付きまとって離れない。 来る日も来る日も離れない。 これは「意馬心猿」ではないか。 こういう心に苦しんだ人は、昔から大勢いたのではないか。そんな人たちが受け継いできたからこそ、このことばは四字熟語として、現在まで伝えられている。 これは先人たちも感じてきた、苦しさなんだろうと思う。
管理人 (月曜日, 12 10月 2020 18:26)
丸ノ内線は地下鉄と言いつつ、地上を走る区間がある。 初めて、大切な人と丸の内線に乗った時、 二人で、地下鉄と言っても、地上も走るんだよね。 そんな会話を覚えている。 丸の内線に乗って地上に出ると、この会話がいつも思い出される。 つらいわけでもないし、どうでもいいことなのだが、 なぜか数十年前の会話を思い出してしまう。 ああ、あの時は、手も握ったこともないお付き合い。 純情だった自分を思い出させてくれるものなのかもしれない。 今ではどこかに置いてきた純情。 いろんなことを回想させてくれる。
管理人 (土曜日, 10 10月 2020 21:47)
急に寒くなったことで、足下にスーと冷気を感じる。 何かが忍び寄ってきている感じ。 その正体は、老いと寂しさとも感じられる気がしてる。 元気な時は、どれだけあるのか。 忍び寄る老いと寂しさをどうすればいいのか。 と、一瞬思ったが、なるようになるだけだ。
管理人 (木曜日, 08 10月 2020 19:37)
新型コロナの話題から、各国の事情、死生観、人生観を聞くことがある フランス人の人生観は、 バカンスのために生きている。 人はいつか死ぬ。 それは神が決めること。 宗教観の違いだから、日本人には受け入れがたいかもしれない。 でも、そんな考え方が出来たら、生きやすいかもしれないと思った。 生きづらさを強く感じてきたら、参考にしてみよう。
管理人 (金曜日, 02 10月 2020 21:43)
悲しいことが起きて2年半ほどたった頃。 たまたま、衣料品店に入った時、エプロンが目に入った。 普段大切な人が使っていた柄に似たもの。 まるでそこにいるような感覚。 お店の中にも関わらず、涙がぼろぼろこぼれていた。 そして、これは男性独特の感情、もしくは私だけかもしれないが、 エプロン姿は母性を感じるもの。 大切な人は、中学の同級生でもあり、子供のように甘えることもあり、亡くなった時は 妻、母、子供、親友の多くを喪った気持ちになっていた。
管理人 (水曜日, 30 9月 2020 22:13)
名の知られた方の自死が続いている。 こんなに続くと、 いろいろな言葉が次々と出てくる。 何も知らない人の不用意な発言で傷つく遺族の方もおられる様です。 例えば、「近くに家族がいてどうして気づいてあげられなかったのか。」 よく聞くことだが、知人が亡くなると、あの時自分が声をかけていればとか。 自分が言った一言が良くなかったのではないかとか。 あるいは亡くなった人の関係者への非難。 そんな風に考える方が多いと聞く。そんなものではないと自死遺族はわかっている。 世の中いろんな人がいるし、人の口に戸は立てられない。 遺族はそっとして欲しいものなのに。
管理人 (日曜日, 27 9月 2020 08:51)
2020年9月26日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方12名の参加者で開催されました。 悲しいことが起きる前の苦悩、起きた後に後悔や自責の念が出てしまう。 あるいは時間が経ってからそれが出てしまったり。 人それぞれの環境が違うことからではあるが、計り知れない悲しみ苦しみは共有できた時間でした。
管理人 (水曜日, 23 9月 2020 08:26)
ももさん、書き込みありがとうございます。 二人で長い時間を過ごしてくると、一人の方が気楽でいいと思う時があります。 それは多くの方が思うところでもあると思います。 コロナ離婚が増えているのはそんな思いが強くなっている方が増えたわけですから。 私もそんなことがありました。。 中には、憎しみ合って、泥仕合を繰り広げる芸能人もいたりしますが。 私も、ももさんと同じような過ごし方をしてます。 罪悪感はありません。むしろ、今では一人にしてくれて、好きなように過ごしてほしいというメッセージに受け取ってます。 遺されるつらさを引き受けたわけですから、それでいいと思ってます。 そして、亡くなってしまったことで、心配することがなくなったのです。 罪悪感を抱えて過ごそうが、過ごさないでも同じ時間を過ごすことになりますし、 自分で、自分を痛めつけることはしないようにと思ってます。 当初の気の狂うような悲しみ、苦しみ、絶望はいまでは治まってます。 表面では冷静を装いながら、心は嵐が吹き荒れている時期もあったりもしました。 苦しみを和らげるのは人それぞれですから、何とも言えないのですが。 ただ、悲しみが消えたわけではありません。 世の中には、傍目には気が付かない自死に限らず様々な悲しみを抱えた方が沢山おられます。 悲しみを抱えながらでも、限られた人生、一生懸命生きている方が多いです。 そんな方を見るにつけ、私は励みにもなってます。
もも (日曜日, 20 9月 2020 12:00)
ネットでいろいろ検索する、ユーチューブにはまって時間が経つのを忘れる、一日中好きは音楽を聴く、時には友人と長電話、メール。家事などやらずにプライムビデオ。思わす夜更かししてしまう、外出すれば帰宅が夕食時と言われている時間を過ぎることはざら、食事はスーパーのお弁当、ということもざら。 今、こういう「自由」はわたしのものとなり、わたしは現実逃避のためにこの「自由」を駆使しています。でも、何をしても「ああ、こういうことは夫がいたらできなかったことだなあ」と思って、はっと我に返り、「自由を謳歌する」という心境にはなれません。絶えず後ろめたさが伴います。最期期の夫は何かにつけてしつこくいびるように文句を言いました。「これじゃ、いっそ独りのほうが気が楽だわあ・・」と一瞬思ったこともあり、あわててその一瞬の思いを消しました。その「一瞬」が複数回。だから、それが現実になったとき「ああ、バチがあたった」と確信しました。このバチ当たり感はこれからも消えてはいかないと思います。 小池真理子という直木賞作家が今年2月に死別したご伴侶とのことをエッセイに書いています。「長くともに暮らし、血管が切れそうになるほど腹を立てたことは数知れずあったのに、今となれば、そんな「暗い記憶」は長続きしない、楽しかったことなど日常のささやかな習慣の記憶がはるかにそれを凌駕する」と書いています。 言葉は悪いけれどわたしは羨ましいとさえ思いました。こういう純粋な悲しみならまだましだと。わたしはクールに測れば「暗い記憶」の総量の方が絶対少ないはずなのに、その記憶が「甘い記憶」を黒々と塗りつぶしている感じ。だから、「思い出す」ということを今は避けています。 管理人さんのように「大切な人」というのを彼女の代名詞のように使えるようになるまで、これから先、途方もなく年月がかかるだろうと思います。
管理人 (金曜日, 18 9月 2020 22:06)
最初はお互い大好きで片時も離れたくないと思って一緒になり。 一緒に歳を重ねて、同じお墓に入る。(偕老同穴) はずだった。 なぜか一人で旅立ってしまう。置いてけぼりだ。 時間は色々なものを変えていく。 ならば、時間は自分のつらい気持ちだって変えていってくれるはず。
管理人 (火曜日, 15 9月 2020 23:22)
国勢調査をもう済ませた方もおられると思います。 大切な人を亡くして、初めての国勢調査は、つらい思いかと。 私は2回目。1回目は涙ぼろぼろだった。 今回は淡々と記入しオンラインでの送信。 時間にしては数分で終わるけど、初めての方は、 しばし悲しい思いに浸ってしまう方もいるのでは。 でも、次の5年後は悲しい想いは薄らいでいくと思うから。
管理人 (金曜日, 11 9月 2020 21:12)
prime videoで「赤ちょうちん」を見つけたので早速観ることにした。 藤田敏八監督の1970年代の青春映画の一つ。 高岡健二と秋吉久美子主演。現代とは違っている風景、生活様式などを懐かしむこともできた。 今は亡くなってしまった若かりし頃の俳優陣も懐かしい。 当時は、映画を妻と二人で観た。ラストシーンは秋吉久美子が心を病んでしまうというもの。 それがとても気になり、何となく、 まさかあなたも同じようなことにならないよね。 と、その時の返事が案外そうかもしれないね。と笑っていた。 そんなことも思い出してしまった。 数十年後、同じように、妻は心を病んでしまうことになるとは。
管理人 (火曜日, 08 9月 2020 20:31)
介護疲れ、25歳年上の妻を殺害。 妻は老い、病を患った。介護の果てに生活苦も重なり、 将来を悲観した男(63歳)はついに、最愛の相手に手をかけた。 そんな記事を見た。 誰でも老いる。 介護が必要になると、元に戻っていくことは無いだろうし、 亡くなるまでそれは続く。 金銭的や環境に恵まれている人は少ない。 老夫婦でどちらかを介護することは困難なはず。 そして愛する人だから葛藤が生まれる。愛してなければこんな悲劇は生まない。 老々介護は、残酷な結末になってしまうことが多々ある気がする。 この二人は赤い糸で結ばれていたのだろうか。 と思いながら映画「糸」を観に行った。
管理人 (土曜日, 05 9月 2020 21:56)
大切な人が亡くなると、もう一緒に行動する人がいない。 気を遣うことなく話す人もいない。今まで依存していたことが依存出来ない。 愛しくて寂しくてたまらない。 最近は、何かしら一人でも楽しむ術を覚えてきた感がある。 一人で趣味など楽しめば、人を気にしなくて済むし、 飽きたり、自分に合わないと感じたら他の物を見つけていけばいいだけ。 そういったものは、人と違い向こうから裏切らない。 根本の解決ではないのはわかっている。 でも、つらい現実を生きていくための手段だし、人に何も言われなくていい。 後ろめたさを感じることなどない。 現実世界を忘れる術は耐えられないほどの苦しい世界を生きていくために必要だし、 苦しみを解消するには時間がかかる。和らげることから始めないといけないから。
管理人 (木曜日, 03 9月 2020 22:06)
何気なく見かけた言葉。 「どんなにつらい悲しみにも それにふさわしい幸せがきっとある」 そうであってほしい。 そう思うようにしよう。
管理人 (水曜日, 02 9月 2020 22:59)
某TV番組で、スウエーデンの死生観は日本と違うということをやっていた。 人間はいつか死ぬもので、 「助けられない命を頑張って助けようとする努力はしなくていい」 というのがスウエーデンの考え方。 人工呼吸器等の措置は医師の裁量に任されている。 患者に処置を施した場合、あとどのくらいの寿命と割り出し、処置をするか否かを決める。 家族の意向も、医師の判断に影響しない。 そういう考え方だと、諦めるしかないし、死を受け入れやすい気がする。 遺された人の悲しみ、苦しみも少しは軽減されるのかもしれない。 悲しみ苦しみは諦めることと死を受け入れることが、なかなかできないから出てくるものだから。
管理人 (月曜日, 31 8月 2020 22:05)
今年は、国勢調査の年。 大切な人を亡くして間もない方はつらい作業になることではないでしょうか。 記入すべきところに記入できないのは、現実を見つめることになる。 ダメ押しで亡くなったことを知らしめられる。 以前、私は悲しいことが起きて一年後だった。 国勢調査員が調査票の配布と、回答の回収に来ていた。なぜか調査員と会うことが苦痛でもあったのを覚えている。 今年は、調査員が調査票の配布、回答はインターネットか郵送になったようだ。
管理人 (日曜日, 30 8月 2020 22:09)
内海桂子さん(97歳)の訃報が報じられていた。 人は必ず亡くなるものだから、 97歳という年齢からそういうものだ。違和感を感じた方はいないと思う。 老いること、病気になること、そして死を迎えること。 もちろん誰もが。そして自分も迎えることではあるが、まだ現実感はない。 いずれ、老いて、病気になり、死を迎えるだろう。 老いることで、体が思い通りに行かないことが多くなってくる。 それを考えると、今を大事に生きねばと言う思いが、こんなことがあった時出てくるが、 健康でいるうちはまたすぐ忘れてしまいそうだ。
管理人 (金曜日, 28 8月 2020 23:02)
たまに思い出す光景がある。 悲しいことが起きたとき、ドクターに大切な人の死を告げられた時。 思わず手を握り、その手を離したとき、力なくそのまま下に落ちてしまった。もうそこには命がない・・。そう感じたのを覚えている。 翌日霊安室で、手を握ろうとしたが、もう硬直してそれはかなわない。 身じろぎ一つしない身体の額とほほに手を当てたが、冷たい感触でやはり命が感じられない。 ぼろぼろ涙を流していたなあ。 充分悲しきったせいなのか、悲しみに慣れたのかわからないが今は、気持ちの動揺がそれほどでもなくなっている。
管理人 (木曜日, 27 8月 2020 21:33)
今年の健康診断の血液検査で、ある数値が高くなっていた。 悲しいことが起きる前はその数値が高く、服薬せねばならなかったのだが、 悲しいことが起きてから、ご飯が食べれないこともあって、それらは正常値になった。 同時に、当時は、膝関節痛と股関節痛で通院服薬していた。 体重が極端に減ったせいか、膝関節痛と股関節痛も治まったのだ。 ただ、心はぼろぼろだ。 6年目になって、体重もずいぶんと戻り数値も高くなってきた。 しかも、膝関節痛と股関節痛が再び出てきた。 心はぼろぼろではない。 悲しいことが起る前の身体に戻るのなら、大切な人も戻ってほしい。
管理人 (火曜日, 25 8月 2020 22:14)
ある遺族の方から聞いた話。 夫を亡くして子供さんがいる方と、いない方。 子供さんがいる方がいない方に対して、夫はお互い亡くなったけど、 私には子供がいる。だから私は勝ち組と言ったそうだ。 結婚すること、こどもをつくること、お金を稼ぐこと、社会的地位を得ること。 それは勝手に世間が作り出した幸せの形。(勝ち組) 結婚しなくても、こどもがいなくても、お金がなくても、社会的地位がなくても。 幸せは感じる。 幸せは、それぞれ自分の持っているものさしで決まるもの。 勝手に作り出されたものに嫌な思いをすることではないなあ。
管理人 (日曜日, 23 8月 2020 22:33)
時々つまらないことを思い出すことがある。 どうしてあんなことで喧嘩してしまったのかとか。 あんなことを言ってしまったのかとか。 悲しいことが起きたときの葛藤とは違うものが出てくる。 いろんな忘れていたものが、ちょっとしたきっかけで思い出す。 今さらどうでもいいことが多い。とわかってはいるが。 きっと、当時はわかり合えない部分は仕方がない。 あるいはわかってもらえる。信頼関係があるから言えた。 でも、いなくなってしまうとそれが葛藤につながってしまう。 また、楽しかったことも突然思い出す。 それが嬉しいと思う時、切ないと思う時。その時の気分で違う。 こういった感情は、当たり前に、この先も出てくるだろうなあ。 多くの方がパートナーとの人生が一番輝いていたと思うからではないだろうか。 そのためにパートナーを喪ってこの感情で苦しむ方は多い気がするし、 長い年月を苦しむ方も多い気がする。 ときおり大丈夫だと思っても大丈夫じゃないのはそれが表出してくるからかもしれない。
管理人 (土曜日, 22 8月 2020 19:37)
2020年8月22日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方11名の参加者で開催されました。 間もない方にとって、コロナ禍の中、苦しい思いを毎日抱えていたと思います。 あの時から、時間の経ち方はそれぞれ違っていても、 同じ時間を生き、同じ世界を体験してきた大切な人への悲しみは共有できた時間でした。
管理人 (土曜日, 08 8月 2020 22:13)
外付けのUSBメモリーを整理していたら、思いがけなく大切な人の写真があった。 ほとんどが、HDDに年月別に保存してあるが、なぜか、ポツンと2枚の写真。 どうしてそこに収められていたかは記憶がない。 思いっきりの笑顔に目が合った。 不意打ちになるとちょっとうれしい気もした。 いつも写真を見る時は、こちらから会いに行く気持ち。 不意に写真が現れるのは、会いに来てくれた気持ちになってしまう。
管理人 (水曜日, 05 8月 2020 21:43)
梅雨が明けたことで、また片付けを始めた。 今までも少しづつ片づけているが、片づけたという空間が現れることがない。 今回は突然ぽっかりと空間が現れた。 大切な人の存在が、そこにあったのだと改めて感じてしまう。 寂しい。 近所のコンビニが閉店して半年以上経ち、空き店舗のまま。 散歩しながら二人で立ちよったお店。 近所で信頼できる夫婦が暮らしていた家。引っ越して数ヶ月経つが空き家のまま。 それらを目にすると、必ず、なぜか類似した寂寥感を感じてしまうなあ。
管理人 (金曜日, 31 7月 2020 22:00)
先日、8月31日で閉園になるという豊島園に行ってみることにした。 若かりし頃の思い出もあることだし。 駅に着いたほとんどの人が園のチケット売り場に流れていくのだが、 そこには、事前予約の方のみの文字が。 あれ、知らなかった。仕方がないので近くを探索すると、 「田島山十一ヶ寺」がある。これも知らなかった。 参道の両脇に並ぶ11のお寺。お寺ごとに風情が違う。 手入れの行き届いた境内や掲示板にある言葉「なくしたものは心の中で生きてるね」に癒された。 思いがけない一日になった。
管理人 (月曜日, 27 7月 2020 20:36)
登山をして道に迷った時、 ほとんどの人は山を下る選択をしてしまうようです。 そうするとかえって、迷って危険になる。 どうするかというと、そういう時は、 山を登った方がいい。 頂上まで行けば、道がそこまで通っている。 登山者にも会えることもある。 これを知っていると知らないとでは天地ほどの差がある。 かたちあるものはいつか壊れる。 人は生まれて、生きて、死んで、土に還っていきます。 かたちのあるものだけではなく、 目に見えない触れることもできないものも同じ。 心の迷い、悩み、苦しみも薄れて消えていきます。 どんな思いも、いつか必ず、薄れていき、最後には壊れてなくなってしまうもの。 壊れてなくなることを知らずに過ごすことと、このことを心に留めて、 過ごしていくのとは天地ほどの差がある。
管理人 (金曜日, 24 7月 2020 19:21)
三浦春馬さんが亡くなったことで、多くの方が悲しんでいる。 他人の事なのに悲しい。 これは人として普通のことのようだ。 悲しみを感じられるのは自分一人ではない。 だから独りぼっちではない。 悲しみを共感できている自分をかわいいやつだと思えばいい。 大切な人を亡くしたことを思い出すこともあるが、 悲しみについては、悲しみは消えないけど慣れてくる。
管理人 (木曜日, 23 7月 2020 09:37)
NICOさん 泣くだけ泣きましょう。 あるTV番組で聴いた言葉。 悲しみは無くて良かったと思わない。 悲しみのお蔭で、何が大切かわかる そして人の気持ちも理解できるようになる。 そういうことが大事。 悲しみはとことん悲しむ。 悲しみは、自分を成長させてくれるもの。 悲しみの感情は悪いことではないから。
NICO (水曜日, 22 7月 2020 17:17)
管理人さんにいつも力を 頂いてます。 ありがとうございます。 三浦春馬くんのKinky Bootsが 素晴らしくて…… キラキラしたローラを観て 涙が止まりません。 RAISE YUO UPの歌声が 頭から離れません。 この落ちてしまった気持ちを 引き上げて欲しいゎ…… (三浦くん話でごめんなさい)
管理人 (水曜日, 22 7月 2020 13:52)
三浦春馬さんの自死で 1986年の沖雅也さんの自死を思い出した。 遺書は公開されている。 人は病む。いつかは老いる。死を逃れることはできない。 若さも、健康も、生きていることにどんな意味があると言うのか。 人間が生きていることは、結局なにかを求めていることにほかならない。 老いや病と死とを越えた、人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めることが、 正しいものを求めることと思うが、今の私は誤ったものの方を求めている者。 おやじ涅槃で待っている。 他人には、さほど気になるものではないことでも、彼にとっては重大なこと。 生きることを終わりにしてしまった。 当時は人気俳優で、お金や名声もあったはず。それは生きる上で役に立つものではなかった。 一人一人かけがえのない命。一人一人が尊い存在だから。そこに気が付いてほしいと誰でも思うのでは・・・
管理人 (日曜日, 19 7月 2020 21:18)
7月25日(土)雨宿りはコロナ感染が止まらないことから、中止とさせていただきます。 次回はどうなるかわかりませんが8月22日(土)を予定してます。 開催の可否はこのページでお知らせします。 上記、同じ内容をホームにも掲載してます。
管理人 (日曜日, 19 7月 2020 12:48)
NICOさん、αさん書き込みありがとうございます。 三浦春馬さんの自死は衝撃的です。 耐えきれない苦悩があったのだろうと。 何か、不思議にこの出来事で、 もういないのはわかっている大切な人に会いたい気持ちが再燃してしまう。 彼は、懸命に生きてきた自宅で、生きるのをやめてしまう。 それも切なくなってくる。 私は、すこし腹式呼吸して落ち着くようにししている。
NICO (日曜日, 19 7月 2020 11:00)
私が何だかんだ言っても たぶん私が思っている以上 苦しかったんだよね…… この押し潰されれそうな気持ち いつまで続くのかしら
NICO (土曜日, 18 7月 2020 23:28)
αさま 私と同じ気持ちの方が いらしたのですね。 今日の訃報は本当に つらかったです。 長い長い歌番組で 彼に関わりのある曲や仲間が たくさんでした。 私のように辛く悲しい思いを されているのですね。 どのような事情があっても 遺された者にとって このようなお別れは やはりつらいです。 私は 授かった命の全てをかけて 燃え尽きるまで生きていく!
α (土曜日, 18 7月 2020 20:30)
NICO さん 私も同じです。 まるっきり同じ… 夫が逝って五年が過ぎたけど、朝の悲しさ・寂しさは変わらず… そして、今日の訃報は辛かったです…
NICO (土曜日, 18 7月 2020 17:11)
夫が亡くなって あっと言う間に 五年が過ぎました。 あのときの苦しみは 薄れたけれど寂しいまま…… 今日また素敵な俳優さんが こんなにつらい最期を 選んでしまった。 やっぱつらいゎ……
管理人 (金曜日, 17 7月 2020 21:46)
間もないころ、パートナーを亡くした人にお薦めの映画(DVD)の紹介がネットに載っていた。 その中の一つだけ、印象に残っている。 知っている方も多いかもしれないが、 「今度は愛妻家」豊川悦司と薬師丸ひろ子主演。 当時はDVDを借りて観たが、 今回はprime videodeの中にそれがあったので久しぶりに観ることにした。 間もないころはとにかく泣いてばかりなので、映画で泣いたかどうかは記憶にない。 改めて観ると、いろいろ感情移入するシーンがあった。 薬師丸ひろ子が子供のように抱きつき、何となく、じゃれ合っていたり。 子供作らないなら離婚しましょうと切り出してみたり。 会話の中で、ほめることなく、けなしてばかりしてみたり。 どこにでもあるような二人の会話。 大切な人同士だからこそ、強気な発言。これは愛情に裏打ちされたもの。 そして、いろんな優しさがあふれている。 今観ても涙が出たなあ。 ネタバレになってしまうから詳しくは書かないけど、共感する映画だった。
管理人 (水曜日, 15 7月 2020 21:26)
先日、九州の集中豪雨で亡くなる人の報道があった。 いつも災害の時、大切な人を目の前で、助けることができない光景が報道の中にある。 大雨によって目の前で流されていく光景。 東日本大地震の際も同じように目の前で流されていく光景。 阪神淡路大震災の時は、家屋の下になり、 助けようとしても火災が迫ってきてどうすることもできない光景。 当事者の苦悩苦痛が見えてくる。 なぜ自分に起きてしまうのかという不条理。 思わず天を仰いでしまうもだと思う。 世の中、不条理だらけと感じてしまう・・・
管理人 (月曜日, 13 7月 2020 22:26)
たまにだが、大切な人との何でもない日常の一コマを突然思い出す。 断片的に幻燈機に映し出されるように。 たいしたことのない日常の一つの風景を思い出してしまう。 思いがけなく、料理が美味しくて、二人で美味しいと言いながら食べたシーン。 若い時、デートは楽しくて、たまらなかった。 さよならの時、また会えるのに寂しさがこみあげていた。 そんなシーンだったり。 べろべろに酔っぱらっておんぶして帰ったシーン。 他にもいろいろと、時々頭の引き出しから出てくる。 でも悲しくなるわけではない。いい思い出。感謝の気持ち。 きっと来るべき臨終の間際には、いろんなシーンがハイスピードで、 頭の中を駆け巡る気がする。
管理人 (木曜日, 09 7月 2020 22:20)
最近、自分が変わったと感じることがある。 けっこう大きなミスに気が付いたとき、以前なら言い訳を探していた気がする。 今は、間違いが他者へ大きく迷惑をかけてしまうものは別として、原因が自分であれ、他者であれ、謙虚に受け入れられる。 悲しいことが起きたとき、泣きながら立ち上がってきた。 そんな経験が自分を変えてくれたのかもしれない。 考えてみると、人生は躓いたり、転んだりして、人生の歩き方を学んでる。 きっと大切な人が教えてくれたりしている。お蔭様・・・ 間もないころ、大切な人を亡くした人への講演会(自死に限定していない)の中で、喪ったものを埋めることはできないから、新しい自分をつくっていかなければいけない。 そんな内容だった。当時は理解できなかったが、今は理解できるようになっている。
管理人 (火曜日, 07 7月 2020 21:25)
小出監督の言葉 どんな状態の時もせっかくと思えばいい そうすればすべてが力になる。 体調不良になったら、せっかくだからゆっくり休んで、 好きなことができるならそうして過ごす。 神様が休んで好きな事をしろと言っている。 なるほどだと思う。
管理人 (火曜日, 07 7月 2020 21:22)
今日は七夕。織姫と彦星が年に一度会える日。 以前は毎日会える自分たちは当たり前に思っていた。 今は、もう会えない。年に一度でもいいから会いたい。 無理だなぁ。
管理人 (日曜日, 05 7月 2020 21:57)
濁った水も、一つの水。澄めばきれいな水となる。 演技で元気なふりも、一つの元気。きっとふりじゃない元気になれるものだと・・・
管理人 (金曜日, 03 7月 2020 22:43)
大切な人の遺品はほぼ整理したが、 遺品の帽子やマフラーは自分が使用していた。 最近気が付いたが、特に帽子はとても変だ。 間もない当時の激しい気持ちは収まり、冷静になっている自分がわかるようになっている。 悲しいことが起きて暫く経ってから、きっと暗闇を一燈の灯りで足元だけをみてきていた気がする。
管理人 (木曜日, 02 7月 2020 22:50)
今の時期になると、ツタヤの更新案内がくる。 間もないころは、一緒にお店に行った光景を思い出し、それに紐付けされた出来事も思い出し、つらいものになっていた。 でも、もう7回目となると、涙することは無くなっている。 更新の時、更新料を支払うことで、DVD一枚借りられるがさて何を借りようか? 今までどんなのを借りていたかは記憶がないなあ。
管理人 (火曜日, 30 6月 2020 22:50)
コロナで変わる新しい生活様式 コロナの影響で元の生活に戻れないという言葉を聞くと、 悲しいことが起きた当時を思い出す。 当時は 自責の念に苦しみ、この出来事の影響がいつまでも続くと思った。 そして元の生活に戻れないことがつらくてたまらなかった。 今では 人生は自分次第で何とかなると思えるようになっている。
管理人 (月曜日, 29 6月 2020 21:46)
最近はTV番組の制作が自粛されていることで、再放送番組が目につく。 20年、30年前と今を比べると、時代の変化を感じることができる。 ところが今は、新型コロナの影響で、 凄まじい勢いで時代が変わっていく感覚になっている。 余計に時間の速さが身に感じてしまう。 限られた人生あっという間のような気がしてきた。
管理人 (日曜日, 28 6月 2020 23:15)
2020年6月27日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方6名の参加者で開催されました。 間もない方、ある程度時間が経った方でのお話し。 それぞれの無念の思い等、聞いていると、 人生は、願いが叶っても叶わなくても、苦しみはやってくるということ・・・ 現実は映画やドラマのようにうまくいくわけじゃない。 答えが出ないまま進んでいくこともある。 そんなことを感じた時間。
管理人 (月曜日, 22 6月 2020 22:35)
「いかのおすし」という子供を犯罪から守る標語がある。 「いか」知らない人についていかない。 「の」知らない人の車にのらない。 「お」おおきな声を出したり防犯ブザーを鳴らす。 「す」怖かったら大人のいる方にすぐ逃げる。 「し」どんな人が何をしたのか家の人にしらせる。 それをもじったものを見かけた 「い」いつか死ぬ 「か」かならず死ぬ 「の」のこらず死ぬ 「お」おしみなく死ぬ 「す」すべて死ぬ 「し」ぬ 遅かれ早かれ、どちらかが必ず遺される。 遺されたら仕方がない。一人で生きる。 先人たちがしてきたように。
管理人 (日曜日, 21 6月 2020 21:53)
徒然草より 私の心に、優しく伝わってきた、あの人の言葉は 今も一つ一つ、よみがえってきます。 でも、いつまでも一緒にと思っていたのは、 私だけだったようです。 あの人は手の届かぬ所へ。 白い糸と言えどもやがて黄色く黒く変色するだろうし、 一本道も岐路にさしかかれば別れが待っている。 失恋を詠んだものだが、 今の気持ちに通じる気がする。
管理人 (土曜日, 20 6月 2020 21:10)
日本財団 自殺意識調査2016より 自殺未遂者は約53万人となっていた。 自殺者は2万人台なので20倍になる。 この数字には驚いてしまう。 未遂者の何割かはまた繰り返している。 冷静な判断力をなくした精神状態で、ことに及ぶようだ。 今回の新型コロナウイスの影響で苦しむ人が増えないか憂慮してしまう。 遺族のほとんどの方は、自分たちと同じ悲しみ、苦しみは自分たちで終わりにしてほしいと願っている人がほとんどだから。
管理人 (金曜日, 19 6月 2020 10:49)
6月27日(土)雨宿り開催について。 新型コロナウイルスの影響で、下記のようにさせていただきます。 1.飲み物お菓子の準備はしません。 (飲み物は各自持参ください。) 2.マスクの着用お願いします。 3.ごみは各自でお持ち帰りください。 4.手指のアルコール消毒お願いします。(会場に設置) 5.フェイスシールドを準備しますので着用お願いします。 (持ち帰り用の大きめの袋持参してください。(35センチ角が入るもの) 6.クールダウンは実施しません。 7.参加費は¥500です。 8.体調がすぐれない場合の参加はご遠慮ください。 9.ニックネームの参加可。メールアドレス等お知らせください。(任意です) (万が一クラスターが発生した場合、行政から連絡ができるようにするため) よろしくお願いします。 7月は25日(土)を予定してます。 上記、同じ内容をホームにも掲載してます。
管理人 (木曜日, 18 6月 2020 22:59)
今までいろんな遺族のお話を聞いていると、 パートナーとは、永遠に切れない絆が、人それぞれ、なにかの出来事で生まれている。 そんなふうに感じる。
管理人 (火曜日, 16 6月 2020 21:29)
ずっと外出自粛が続き、食事も美味しいと感じることがない日となっている。 最近外食もしたが、やはり美味しくない。つまらない。 そんな中、 久しぶりにロールケーキを買って食べた。 悲しいことが起きてからだから数年ぶり。 かなりの頻度で二人で食べていたのを思い出した。 5個にカットされたロールケーキ。 今回は一人で5個。ふかふかのスポンジにたっぷりの生クリーム。 美味しいと感じたと同時に自分を少し取り戻せた気持ちになった。 美味しさを感じる食べ物は心の健康には必要かもしれない。
管理人 (水曜日, 10 6月 2020 21:29)
大切な人を亡くしたばかりのころ気持ちを記していたものを、読み返すことがある。 涙が溢れて止まらない。切ない。 どうすればいいのか・・・ 突然襲ってくる苦しみにどうにかなってしまうような気がする。 愛おしくてたまらない。 やることはいっぱいあるが、やりきるとその後生きていけなくなる気がする。 そんな気持ちを幾度となく反すうしていただろう。 大切な人を亡くしたばかりの人にとっては、先日までの外出自粛も相まって、同じような気持ちを反すうしているのではないだろうか?
管理人 (日曜日, 07 6月 2020 20:44)
1985年「SEIKO」のCM 一秒の言葉 「はじめまして」 この一秒ほどの短い言葉に一生のときめきを感じることがある。 「ありがとう」 この一秒ほどの言葉で、ひとのやさしさを知ることがある。 「がんばって」 この一秒ほどの言葉で、勇気がよみがえってくることがある。 「おめでとう」 この一秒ほどの言葉で、しあわせにあふれることがある。 「ごめんなさい」 この一秒ほどの言葉に、人の弱さをみることがある。 「さようなら」 この一秒ほどの言葉が、一生の別れになる時がある。 一秒に喜び、一秒に泣く。 一生懸命一秒。 当時は、胸打つことは無かった。 悲しい経験をしたせいなのか、 言葉の力が身に沁みてくる。
管理人 (木曜日, 04 6月 2020 22:25)
久しぶりに大切な人の夢を見た。それも姿がはっきり見える夢。 昨年あたりから、夢を見ても姿がはっきりわからないことが続いていた。 今月は祥月だから、忘れないようにと夢に出てきてくれたのかもしれないが、嬉しい。 大切な人を忘れることは無いけど、ただ夢の内容はもう忘れてしまった。
管理人 (月曜日, 01 6月 2020 22:48)
80代男性の孤独死の記事を目にした。 息子夫婦と一軒家で暮らしていたものの、特にお嫁さんやお孫さんと関係は悪くはなかったが、 定年退職を機にアパートに一人転居した。 そこは、若かりし頃の故人夫妻が、一緒に暮らし始めたアパート。 もう何十年も前のことだから、大家も代が変わり、建物は建てかえられていたけど、 場所は同じところ建っていた。 50年前くらいに妻を亡くし、当時小学生になる前の一人息子に愛情を注ぎ育て上げた。 生前の故人は、「人生最後はあそこへ戻る!」と誰かに言っていたとのこと。 そして、そこに戻ることにしたようだ。 自分は同じようにはできないが、気持ちはよくわかる。 とても身につまされる思いがした。 そこでの生活は、どんな気持ですごしたのだろうか・・・ そして、最期は迎えに来てくれたのだろうなあ。
管理人 (日曜日, 31 5月 2020 21:09)
たまたまテレビで見かけたこと。 人が不幸になって、その悲しみから早く抜け出すためには、 遺品を整理したほうがよいと。 遺品を整理することは、つらいことだが、 それを過ぎると少しづつ悲しみが遠のくとのこと。 遺族の中には、色々な事情で、 遺品をパートナーの実家に委ねる場合や、実家が渡さない場合がある。 遺品整理で心の整理はできないが、 みなさん、それぞれ工夫して心の整理をしている。
管理人 (水曜日, 27 5月 2020 22:20)
仲のいいカップルを見ると 自責の念に駆られる。 パートナーが亡くなる前、仲が悪かったから。 そうおっしゃる、遺族の方は案外多い。 まさか、亡くなることは想定していないから、 ことが起きてしまうと、そこにフォーカスしてしまうのかもしれない。
管理人 (火曜日, 26 5月 2020 20:58)
悲しいことが起った時、 先後関係(先に起きたこと、後に起きたこと)を因果関係と取り違えてしまう。 先に起きたことが原因で後で起きたことが結果だと思い込んでしまいやすい。 例えば、おみくじで大凶を引いた後、ころんでけがをしてしまった。 そうすると、おみくじが当たったと思う。 先に、大凶を引いてその後けがをした。 これは先後関係(先に起きたこと、後に起きたこと)で因果関係ではない。 大吉を引いたとしても、同じことが起きたかもしれない。 転んでけがをするのは、別に原因があるから。 大切な人を亡くした方で、 こんなことを思ったから、起きてしまった。と思われる方もいるが、 先後関係(先に起きたこと、後に起きたこと)で因果関係ではない。 これは自責の念から余計そう思うのかもしれない。
管理人 (金曜日, 22 5月 2020 22:54)
激しい感情を受けた出来事は脳に書き込まれ、 何度も繰り返すことで物語化され強く書き込まれるようだ。 その哀しい物語を思い出すたび前に進むことができない。 でも時間とともに、脳は記憶が薄れたり、慣れたりする機能があると言われている。 人は現実の中で生きていくしかないから、それはせめてもの救い。
管理人 (木曜日, 21 5月 2020 22:59)
大切な人が亡くなってしまうと、いい思い出だけを思い出してしまう。 実際は苦悩することだっていっぱいあったはず。 暫くすると遺族の中で、怒りが出てくる方がいる。 「何てことしてくれたんだ!」「私一人にいろんなものを押し付けて!」等々 私は怒りを感じたことは一度もないからそういう方もいるのだとしか受け取らなかった。 でも、多くの女性の方が怒りの感情を持っているようだ。 男性はほとんどパートナーへの怒りの感情や責める感情をお話しする方はいない。 男女差があるように思う。 ただ、怒りの感情は心の整理にはいいような気がする。
管理人 (水曜日, 20 5月 2020 23:18)
人生百年時代と言ってもそれはこれからの話。 今は、人生80年 何かの記事に 人生は片道切符の列車に乗っているようなものだ。 年齢とともに列車のスピードは増していく。 10代は各駅停車、20代は快速列車、30代は急行列車、40代は特急列車、50代は新幹線、60代はブレーキが利かない弾丸列車である。 たしかに最近は、時間が過ぎるのがおそろしく速く感じる。 それもあってか、こんな言葉が頭に入ってきた。 「前後祭断」 過去にとらわれず、未来を憂うことなく今を生きよという教え。 やり直せない過去を引きずるのも、起こるか起こらないかわからない先のことを憂うのもすべて心を惑わせる雑念。 今を生きることに専念せよという考え方です。 心掛けるようにしよう。
管理人 (火曜日, 19 5月 2020 22:10)
ある書物に人には10の思い込みがあると載っていた。 そのうちの一つ「犯人捜し本能」 誰かを責めれば物事は(気持ちが)解決するという思い込み。 誰かのせいにしてしまう。それで真実を見失ってしまう。 自死の場合、遺されたもののせいにされることがある。 困ったものだ。
管理人 (月曜日, 18 5月 2020 22:01)
何かの記事に、パートーナーを亡くした場合、 男性の場合、数字は覚えていないが、3年以内に亡くなる割合が高いと。 男性は妻に対する依存度が高く、家事が苦手であるために、生活の質が低下してしまう。 自分が先に死ぬと思っている人が多く、喪失感が大きい。 悲しみや後悔を誰にも言わず、抱え込んでしまう人が多い。 女性に比べて地域の人との人間関係が希薄な人が多い。 それは、わかる気がする。 男性は案外弱いものなんだなあ。
管理人 (土曜日, 16 5月 2020 22:58)
人にはいろんな力があると思う。 悲しむ力 感動する力 好きになる力 忘れる力 工夫する力 それぞれは生きる力になってくれる。
管理人 (木曜日, 14 5月 2020 22:12)
つらい感情は、思い出してしまうとなかなかそこから抜けられない。 感情や、思考はなかなか変えられないもの。 悲しみ、苦しみなどはすぐには消すことはできないが、 なにかしらの行動をすることで変えられることがある。 苦しい時は体を動かす。つらい時はゲームをする。 悲しい思いを一行だけでも書き記す。 これは効果あると思う。
管理人 (水曜日, 13 5月 2020 21:23)
大切な人を、冬や春に亡くされた人。 夏や秋に亡くされた人様々です。 今の季節は、初夏に向かい暖かい日。 この時期は、今までにない、つらさを「体で感じる温度や季節の香り」を通じて感じてくるのでは。 冬や春に亡くされた人(間もない方)にとって新しい年度が変わり、一人で夏を迎えなければならない寂しさだったり、苦しみの真っただ中にいたころを「体で感じる温度や季節の香り」を通じてやってくる。 夏や秋に亡くされた人(間もない方)にとっては、これからやってくるであろう「体で感じる温度や季節の香り」が悲しいことが起きたときのことを感じさせるかもしれない。 でも時間は気持ちを変えさせてくれる。 私は年々それは薄らいできて。今年は6年目になってそれは無くなった。
管理人 (日曜日, 10 5月 2020 21:12)
外出自粛の連休で、人それぞれいろんな過ごし方をしたのではないでしょうか。 親子で過ごしていても、親は子供の考えていることがわかりませんし、子供は親のいうこともわからない事が多いのでは。 仲良し夫婦でもお互いの心のすべてはわかり合えない。 わかり合えず悩むこと、また逆にわかってしまったことで、苦しむことがある。 どちらにしても悩み苦しむから、 「孤独なのが人生」と理解すれば、孤独感に苦しめられなくていい。 そう思いながら一人過ごす。
管理人 (金曜日, 08 5月 2020 21:53)
ロックバンドRADWIMPS 「25コ目の染色体」 歌詞の一部 あなたが死ぬそのまさに一日前に僕の息を止めてください これが一生のお願い 最愛の人が亡くなった世の中で生きていくのは苦痛でしかない。 当時は、大切な人がいないことが理解できなくて、涙があふれて止まらなかった。 愛おしくて会いたくてたまらない。 悲しいことが起きて果てしない苦しみが続いていたことを思い出してしまう。 そんな渦中にいる方もおられると思う。 大切な人を亡くすと、誰もが通る道ではないだろうか。
管理人 (火曜日, 05 5月 2020 21:26)
Eテレで放送されていた番組。 「もう一度、あの人と生きる~亡き人と遺族がつながる未来絵~」 突然亡くなった大切な人が、訪れるはずだった家族の未来を絵によってかなえてくれる。 画家 大村 順氏 亡くなった人がもし今生きていたらという姿を想像し遺族に絵を届ける活動をしている。 その絵から、あったはずの時間を埋められ、もう一度あの人と生きる。 亡き人と遺族がつながる未来絵。 そんな内容だった。 うまく伝えられないので、 興味ある方は「絆画作家 大村順」で検索すると詳細がわかると思います。
管理人 (日曜日, 03 5月 2020 22:16)
大切な人の事を絶え間なく思い出すようなことは無くなってきているが、 何のきっかけもなく、ふと思い出すことがある。 その人の言葉やしぐさを不意に思い出す。 それは、大切な人が心の中で生きているからだろうなあ。 大切な人が、どんな形で人生の終わりを迎えたとしても その人の最期まで一緒にいればそれでいい。 それだけで、愛を全うしている。
管理人 (金曜日, 01 5月 2020 20:12)
何かの記事で見かけたのだが。 チューリップの球根は冬の寒い時、温かい部屋に置いていると、 春に植えても花を咲かすことは無い。 初冬の時期に植える。そして寒さ厳しき冬を耐えた後、きれいに花を咲かせる。 可憐な花だけに、そんな苦労があるとは思えない。 何か、厳しいものを耐えたものにだけきれいな花が咲く。 これは人にも当てはめてもいいかもしれない。
管理人 (木曜日, 30 4月 2020 22:27)
映画でも先に物語上の仕掛けや結末といった重要な部分を知って観るのと何も知らないまま観ると違いがある。 知って観ると、ストリーの途中に起こることの意味付けができる。 何も知らないで観るとそんなことは考えない。 同じように、悲しいことが起きてから、過去を見直せばことが起った時点では見えなかったことが見えてくる。 そこでいろんな後悔が生まれたが、過去をそんな風に振り返っても、過去に戻れない。 だからもう考えることはしなくなった。
管理人 (月曜日, 27 4月 2020 21:13)
岡江久美子さんの死でいろいろ考えさせられる。 岡江久美子さんへの思いは人それぞれ。 大切な人を亡くした人の気持ちを理解している方はどれほどいるだろうか。 岡江さんのファンの方にとっては、岡江さんはもう永遠の不在。 遺族にとっては、まだどこかにいるという受け入れることのできないもの。 そして、愛する人を喪うと人生は止まる。 だけど、いつまでも何もしないでいることはできないもの。 愛する人を亡くした人にとって、過去を手放すのは難しい。 それでも過去を少しづつ手放さなければ生きていけない。 なんか大切な人を亡くした当時の自分と重なり合わせている。
管理人 (土曜日, 25 4月 2020 22:08)
5月の開催も中止となります。 新型コロナウイルスの影響で会場使用中止となりました。 6月はどうなるかわかりませんが 6月27日(土)予定しております。 開催の可否はこのページでお知らせします。 (ホームページにも同じように書いてます)
管理人 (木曜日, 23 4月 2020 21:50)
幸福は空気みたいなもの。 空気がある時には誰もその存在に気付かない。 なくなった時に初めて、空気があれば、生きていたことがわかる 幸福も、失われたとき、初めて気が付く。 逆に考えてみると、今、失うとつらいものを考えると、今の幸福に気が付く。 そう考えれば、今だってきっと目の前に幸せがあると思う。
管理人 (水曜日, 22 4月 2020 19:59)
イソップ物語 コウモリとイバラとカモメ コウモリとイバラとカモメが、一緒に商売をする事になりました。 そこでコウモリは商売の元手にする為に、お金を借りてきました。 イバラは布地を仕入れ、カモメは銅を仕入れました。 仕入れが済むと、それを船に積み込んで海に乗り出しました。 ところが激しい嵐が起こって船は沈み、積み荷も無くなってしまい、命だけようやく助かりました。 この時から、カモメはいつも波打ちぎわを見張って、無くなった積み荷の銅を海が返してくれるのを、待つ様になりました。 コウモリは借金取りが来るのが怖くて、昼間は隠れ、夜だけこっそりエサを探しに出かける様になりました。 そしてイバラは通りかかる人の着物を引っかけては、それが自分の仕入れた布地ではないかと、いちいち確かめる様になったのです。 過去に囚われて生きる愚かさ。 失ったものをずっと追いかける愚かさ。 手に入らないものをずーと追いかける愚かさ。 自分の失った人生への未練で、一生を終わろうとしている。 そんなことを教えてくれている。
管理人 (月曜日, 20 4月 2020 21:04)
近所で引っ越しの作業を見かけた。 そんな引っ越し作業を見ているといろんなことを考えてしまう。 今まで自分も何度か引っ越しをしているし、引っ越しのきっかけが様々だけど、その時々の心情を思い出してしまう。それは大切な人と一緒だからどんな時も楽しかったことしか思い出せない。 一緒に引っ越し作業をしながら、交わした言葉は今でもよみがえってくる。 遺族の方で、パートナーを亡くし、様々な事情でやむなく引っ越しをされる方は多くおられる。 その時の心情はいかばかりかと思うと胸が詰まってしまう。 みんな頑張っている・・・
管理人 (土曜日, 18 4月 2020 21:31)
自分で自分を励ましたり、 自分の脳を繰り返しポジティブな思考にして脳を錯覚させるようにしている。 ポジティブな思考にしていると不思議なことにポジティブになってくる。 人生は困難なことがあって当たり前。 自分にだけ安易な解決方法はない。 どんなことにも意味があると思えば、立ち直る行動を続けられそう。 また、不安なことがあったりした場合、どこに、 誰に相談すれば解決できそうか考えている。 解決する手段を知るだけで、実際の問題は解決しなくてもストレスは軽減している。
管理人 (金曜日, 17 4月 2020 21:43)
新型コロナウイルスの影響で、外出自粛や、自宅勤務。 家族と一緒にいる時間がストレスになって、一緒にいる家族が疎ましく、喧嘩や虐待もあるとの報道がある。 でも大切な人のはずだから、ずっといなくなればいいなど思う人はいないはず。 一緒に過ごす人がいない場合はそれはそれでつらい。 自粛しているから、人と会うことも、話すこともほとんどない。 むしろ喧嘩してみたいと思うくらい大切な人はいてほしい思ってしまう。
管理人 (火曜日, 14 4月 2020 22:07)
数年ぶりに妻のスマホを見てみた。 私とのメールが残っており、悲しいけれど嬉しい思い出がよみがえってくる。 悲しいことが起きたときに見た感情とは確実に違う。 その時は悲しさ苦しさでいっぱいだった。 何かの書籍に、愛情を注ぐ人がすでに失われているのに、「愛する」という気持ちやそこに向かうエネルギーの流れはしばらくは心の内面で残っている。そのギャップが悲嘆の苦痛の様だ。 ただ、そこから立ち直る力は誰の心にも備わっているらしい。 自分も悲しみや苦しみ、絶望が襲ってきたりと、心が傷つきながらここまできた。
管理人 (月曜日, 13 4月 2020 23:21)
悲しいことが起きたとき。 人生にはこんな理不尽なことがあるのかと。 わが身に起こったことをにわかに信じることはできなかった。 時間の経過とともに 苦に対する向かい方にいろんな考え方がでてくる。 人生は限りあるもの、だからこそ好きな人(同性、異性に限らず気が合うとか普通に好きな人) や好きなことで過ごすことが、心と体にいいこと。 イヤなことに時間は使わない。 そうしていけばいいのだと考えるようになっている。
管理人 (土曜日, 11 4月 2020 21:25)
世の中、自粛ということで、ボッチの世界に拍車がかかる。 でも自分自身の心に向き合えるいい機会でもある。 環境が価値観を変えていくことにも気がついた。 どうすることもできないことは終わりにして、 自分は一人でも生きられる。そう考えたら楽になる。
管理人 (金曜日, 10 4月 2020 20:05)
いくら大切な人を愛していても、悲しいことが起きたときの、つらく苦しい感情は、今では同じように再現できない。 多くの、時が経つと日々の記憶が悲しい感情の上に重なってしまうことで、忘れる力になるのかもしれない。 今は悲しいかな、その時の感情は薄れてきている。 つらいことがあったから、別の世界へ進んでいる。 つらいことがあったから、新しいことが生まれてきている。 だけど大切な人へ感謝の気持ちだけは変わることは無い。
管理人 (水曜日, 08 4月 2020 18:15)
大切な人を喪うことはとても悲しくて苦しい。 でも遺族は一人で悲しさ苦しさと戦っているのではない。 皆で戦っている。 いろんな方の優しい言葉や心遣いが一つ一つ細いものであっても、 より合わせれば摑まることのできるロープになってくる。 それまで辛抱辛抱。
管理人 (月曜日, 06 4月 2020 18:27)
先月に引き続き2020年4月25日(土)の開催を中止します。 5月以降も先が見えない状況になってきてますが、 5月30日(土)予定してます。開催の可否はこのページでお知らせいたします。 (ホームページにも同じように書いてます)
管理人 (金曜日, 03 4月 2020 22:07)
世の中、新型コロナウイルスで自粛を求められる今、 間もない方は、否が応でも悲しみと向き合わなければならない状況にもなってしまうのでは。 つらく苦しいことだけど、悲しみは吐き出さない限りいつまでもくすぶり続けます。 裏返せば、それを吐き出せばいいという事。 自分でできる方法で、言葉に出したり、文字にしてみたり、 頭の中で何度も繰り返したりと・・・
管理人 (木曜日, 02 4月 2020 22:23)
間もないころは別として 多くの時間が経って落ち込むことは、余裕があるからではないだろうか。 生きるか死ぬかの状況だと落ち込むことどころか、生き延びようとするだろうと思う。 生きるのがつらいと思っても、多分生きたい。 たまには落ち込むのもいいものかもしれない。 それがあるから、嬉しい楽しい時に、嬉しさ楽しさを感じられるし。
管理人 (水曜日, 01 4月 2020 21:16)
人生は出会いと別れの繰り返し。 出会った瞬間では、この人が自分にとって どれだけ大切な人になるかは、見当もつかない。 やってくる別れの際に、 初めてこの人に出会えたありがたさを知る。 そんな別れが昨日、今日と連続でやってきた。 心のよりどころにしていたものが、指の間からこぼれ落ちていくようだ。 詳しくは書けないが、やりきれない気持ちだなあ。
管理人 (火曜日, 31 3月 2020 21:45)
間もないころは、 真っ暗な空が、だんだん白んできて、 ああまた眠れないまま朝が来てしまう。 そんな夜を何度経験したことだろう。 きっと多くの方が経験したのではないだろうか。 志村けんさんの訃報で大勢の方が悲しみの言葉を発せられている。 新型コロナウイルスという本人もこんな形で最期を迎えるとは思わなかったのではないだろうか。 今回の感染症で亡くなると遺族は顔も見に行くこともできない。 火葬も立ち会えない。お骨も拾えない。とのこと。 普通の病気と違う亡くなり方は、亡くなった瞬間から、通常の手続きから外れた形。自死と似ているところもあるようにも感じる。 眠れぬ夜を思い出してしまう。
管理人 (月曜日, 30 3月 2020 21:37)
分かち合いのでの話 間もないころだったが、充電式湯たんぽを購入したことがある。本来一つでいいのだが、 二つ購入してしまった。カップを購入するときも二つ。まだまだ無意識に一緒にいる気持ちでいる。 他の男性の方も僕も「この間茶わんを二つ買ってしまった」 そうか、自分だけじゃないんだと思っていたが、これは多分男性特有の行動だと、後に気が付いた。 後々、ほとんどの女性からそんなことはしないなあ。とのことだったから。
管理人 (土曜日, 28 3月 2020)
悲しいことが起きて、 幸せの尻切れトンボ。 それまでは、日常が続くものと信じていたから。 そんな風に感じた方は多いのではないだろうか。
管理人 (火曜日, 24 3月 2020 22:44)
たまたま、退職前の通勤経路を車で走ることになった。多少の変化はあるものの懐かしい景色。 強い風雨の日や、雪の日、事故渋滞に巻き込まれたこともあったり、大切な人とハンズフリーで会話していたことも思い出す。 一番思い出すことは、悲しいことが起きたとき、漣漣と涙を流しながら走っていたこと。 今は当時のように、涙を流すことは無くなっている。 もう過去のこととして亡くなったことを受けいれているんだろうなあ。
管理人 (月曜日, 23 3月 2020 22:17)
苦しさから抜け出したいと思っている時、当たり前のように、心の中だけで解決しようと思ってしまう。 それだけだと、思いが詰まって、出口を見つけることが、難しい。 外に目を向け、ふと目にした風景や、誰かの言葉、同じ立場の人に会ったり、あるいは何かに触れることが心に響いて、それまでとは違う自分に変わるヒントが見つかることがある。 思いがけなく、アイスコーヒーの氷が溶けてくずれるみたいに気持ちが変わる瞬間がやってくることがある。 五感を素直に感じ取るようにしていくことだと思う。
管理人 (日曜日, 22 3月 2020 22:32)
思い出す大切な人との一コマ 若かりし7月の暑い夏、「月末の日曜日に引っ越ししてくるね。」 その日、トラックの止まる音が聞こえ、2階のアパートから外を見ると、 大切な人が手を振っていた。 1年半後、「ねえ籍入れよう」と言われ、 手続きに市役所に行ったら、戸籍謄本が必要だと初めて知った。 後日改めて手続きをした。 数年後、原因は覚えていないが、口喧嘩した時「私の青春返してよ」と言われたり、 口喧嘩はほとんど勝てないことが分かった。 単身赴任になり、赴任先の住居に向かおうとしたとき、 突然「私も一緒に行っていい」 私「いいよ」 ワンルームの部屋で一緒に暮らしていたりした。 悲しいことが起きる前の日。 「明日会社休んでくれない?」 私「急には無理だよ」 悲しいことが起きた日の朝、 今日も美味しいごはん作るね。気を付けて帰ってきて。 嘘だ・・・ 今ではいい思い出と思うようにしている。
管理人 (土曜日, 21 3月 2020 22:33)
子供のころに亡くなった人を思い出すことがある。 物心のつき始めたころ、叔父(父の弟)が家に泊まり、朝亡くなっていた。 その時は、何が起きたか理解できなかった。 祖母が泣いていたこと、叔父の顔に白い布がかぶせてあったこと。お坊さんが来ていたこと。 棺桶を運び出すところ。等断片的に覚えている。 中学の時、同じ学年の子が、病気で亡くなった。骨肉腫で顔の一部をガーゼで覆っていたから目立ち、気の毒に思っていた。その子のお母さんは、うちの子と仲良くしてくれてありがとうと言っていたが心の中はわからなかった。 高校2年夏休み最後の日に、同級生が水難事故で亡くなった。 一人息子で成績が良く、多分両親にとって自慢の息子。 友人がその子を誘ったことで、ご両親に僕が誘わなければと大泣きして土下座した。 君のせいじゃないと言っていたご両親の胸の内もよくわからなかった。 高校3年の時祖母が亡くなった。お葬式の時、あれだけ仲の悪かった母が泣いているのを見て、不思議でたまらなかった。 子供のころ死に対しての心が未成熟だったこと、 また、何年たっても、亡くなった人は忘れない事にも気が付いた。
管理人 (水曜日, 18 3月 2020 22:12)
大切な人を喪ったころ、あえいでいた。 もう誰も、愛してくれないし、信じてくれる人はいない。 また、愛したい人も、信じたい人もいない。 そして、自責の念、後悔等言葉にできないなんという苦しさだったろう。 時間が経った今では ちょっと遠出することで、気を紛らすことが出来ている。 遠出することで、違う世界を感じたり、色々な人に気付いたりする。 普段の狭い世界ではなく、広い世界に行った気分になったり。 時には、そこの住人になった気分で、 定食屋さんで一人ご飯を食べたり、本屋で立ち読みしたり。 しばしの妄想の世界にも入ったりする。 ただ、最近はコロナ騒動でお出かけしないようにしている。
管理人 (月曜日, 16 3月 2020 21:49)
男女の関係をドラマにしたものは数多い。 紆余曲折を経て、ほとんどがハッピーエンドになるもの、 まれに、アンハッピーエンドになるものもある。 ドラマだから、それまでのプロセスを楽しむようにできている。 ドラマがどんな終わり方でも、 最近思うのは、その後が知りたいという思い。 これが、人生の終着駅ではないから、その後が気になってしまう。 これは多分、人生の最高点を描いていることが多いからではないだろうか。 でも人生の最高点なんて、終わってみなければわからないもの。 大切な人を喪って、人生の最高点はもうないと思ってしまうのだが、 先のことは誰もわからない。 自分だけが特別不幸でもない。 僥倖という言葉がある ( 思いがけない幸い。偶然に得る幸運。) 大切な人と巡り合えたのも僥倖。 これからだって、もしかしたら僥倖があるかもしれない。 今生きていることが全てだからそう思って生きていけばいいのかなあ。
管理人 (金曜日, 13 3月 2020 21:27)
watさん watさんも恋を知り始めたころに出会った人ですね。 来るはずの未来が経ち切れた思いお察しします。 次回お話をいっぱい聞かせてください。
管理人 (金曜日, 13 3月 2020 21:25)
ももさん 中島みゆきの「慕情」 初めて聞きました。 切ないほどの一途さです。 涙こぼれます。 私の間もないころは 中島みゆきの「糸」に涙してました。
wat (金曜日, 13 3月 2020 01:38)
いつもお世話になっています、去年の夏に結婚の約束をしていた子がいなくなった者です。 今月はコロナウイルスの影響で、会が中止になってしまい残念です。 実は僕は3.11の大震災の日が誕生日でして、その前の日の10日はその子と14年前に初めて会った日、9日は去年にその子から本気で結婚を考えていると言われた日でした。 今月行けたら、お話ししたいことがたくさんあったので残念です、、 来月はまだどうなるか分かりませんが、その頃には今よりおさまってくれているといいですね。 来月みなさんにまたお会いできるように願っています。
もも (木曜日, 12 3月 2020 23:19)
愛より急ぐものが どこにあったのだろう 中島みゆきの歌、まさにわたしの心境です。 愛を後回しにして 何を急いだのだろう 甘えてはいけない 時に情けは無い 手離してならぬ筈の 何かを間違えるな 振り向く景色は あまりに遠い もいちどはじめから もしもあなたと歩きだせるなら もいちどはじめから ただあなたに尽くしたい
管理人 (木曜日, 12 3月 2020 22:03)
間もないころ裁判傍聴に何度か足を運ぶことがあった。 じっとしていることができなくて、気が紛れる所を求めていたのだと思う。 裁判所の中には、食堂、コンビニ、フードスペースもあり、 食事やコンビニのワンコインコーヒーも飲むことができるから、一日過ごすことができる。 いくつか裁判を傍聴して、気が付いたこと。 被告に身元引受人がいる、いないで判決が大きく変わること。 仮釈放も身元引受人がいないとできない。執行猶予もつかない。 考えてみると、病院の入院時、学校の入学時、就職時、 賃貸住宅契約時等、保証人(身元引受人ようなもの)が必要。 保証人(身元引受人)の存在の大きいものだ。 一人身にとってはちょっと気にかかること。
管理人 (水曜日, 11 3月 2020 22:11)
一緒に生活を始めたとき、 ずっと一緒にいられる嬉しさを思い切り噛みしめていた。 そんな時代を過ごした街に以前出かけていた。 そこは小さな山が見える街。 周りの建物やお店は変わっていても小さな山だけは変わらない。 当時は気が付かなかったが、今思うとその景色は心の痛みを癒してくれるものがあった気がする。 自分だけが心で感じる何かがある。長い時間を経ても決して忘れることのないもの。 もう一度確認するため、行ってみようと思っている。
管理人 (火曜日, 10 3月 2020 21:21)
心を同じところに置いているとつらさは倍増する。 清流の水が一か所にとどまっていると、濁ってしまうように。 心を一か所にとどめておくということは、それは何かに執着しているから。 執着する心が次々とつらさをつくってくるから。 とは言え、解消するのは難しいことだけど、時間がそれを手伝ってくれる。
管理人 (日曜日, 08 3月 2020 18:56)
コロナウイルスの影響で 2020年3月28日(土)の開催を中止します。 最近、手紙寺を見つけました。 この機会に、大切な人へお手紙を書いてみるのもよろしいかと思います。 簡単にご紹介しますと 〒274-0082 千葉県船橋市大神保町1306 手紙寺 お焚き上げ宛て に大切な人への手紙を同封します。 お寺で、手紙を開封することなく、手紙参り供養をいたします、その後お焚き上げいたします。 詳細はホームページご参照ください。 https://tegamidera.jp/omairi/ 大切な人への手紙は心の整理にもなると思います。 私は、悲しいことが起きたころから、大切な人に手紙を書いてます。 某お寺でポストを設置してますので、 そこに投函してました。ただそこに行かなければできませんが、 手紙寺は郵送できますから遠方からでも可能です。 (同内容をトップページにも記載してます)
管理人 (木曜日, 05 3月 2020 21:32)
日々の当たり前が突然壊れたとき、その状況をすぐには理解することができなかったり、 大切な人がいないことに慣れてくると、 ふと、大切な人は本当にこの世に存在したのだろうか? との思いに捉われ胸が苦しくなったり、 途方に暮れたとき、どうしたらいいのと言ってみたり、 大切な人への思いはいろんな形で現れたなあ。
管理人 (水曜日, 04 3月 2020 21:36)
しあわせになることは、かなしみの始まり。 人生には必ず終わりがやってくる。 わかっていても、その時は、どうにもならない。 でも、何とかなるものなんだ。
管理人 (火曜日, 03 3月 2020 22:14)
一人出す音がつらかった。 これは以前書き込み帳2#147に書いていた。 最近だが、自分で料理してる、まな板のトントンとする音がつらくない。 むしろ、昔優しく流れていた時間の懐かしさを感じてしまう。 何かの本に 心が動揺しているとどんな音も恐怖を感じ、心が落ち着いていると、どんな音も美しい音楽に聞こえる。 そうだとすると、今は心が落ち着いているということかなあ。
管理人 (月曜日, 02 3月 2020 21:03)
何事もない平和な時間が続くと、パートナーの存在は空気みたいなもの。 大げさかもしれないが、今回のコロナウイルス騒動は世の中、非常事態。 パートナーと、ちょっとした諍いがあったとしても、 こんな時はかえってパートナーとの絆が強くなるはず。 いままでも、非常事態的なことで絆が強くなること。思い出すことが多いなあ。
管理人 (木曜日, 27 2月 2020 21:58)
最近の飲食店でオーダーする際、タブレットが多くなってきた気がする。 スーパーではセルフレジがあったりもする。 ファーストフード店では、食券を購入し、食券の番号を呼ばれて自分で取りに行くお店もある。 顔認識でATMで無人で口座を作ったり、無人のコンビニが出来てきたり。 人手不足を補えることと、データー収集や管理業務もしやすくなる。 そして、人とのかかわりがないことが、今流行のコロナウイルスの感染のリスクも減らしてくれる。 とても良い面が浮き出される。 これからの流れが対面の必要のないシステムが多くなりそう。 ただ、その反面デメリットも。 普段、人とのかかわりが少ない私にしてみれば、 人とのかかわりが薄くなってくるのは寂しい気もする。 何事においても、メリット、デメリットは表裏の関係。 前にも書いたが(書き込み帳1#10)、悲しいことが起きてもデメリットばかりじゃない・・
管理人 (火曜日, 25 2月 2020 22:04)
花粉の時期でもあり、特に今年はコロナウイルスのの影響でマスク姿の人が例年以上に多い。 私だけかもしれないが、はっきり顔がわからないことと、帽子をかぶっていたりしていると、シルエットだったり、しぐさが似ている人がいる。 それに加え、電車などで、座ったときの姿勢や足の置き方が似ている人がいたりすると、大切な人と見まごうことがある。 間もないころは、ギョッとして凝視していた。 時間が経った今でも似たようなことがある。 以前と違うのは「あれ」と瞬間感じるだけ。間違いなく別人と理解できること。 凝視することもない。 そのうち気にもしなくなるのかなぁ。 それはいいのか悪いのかよくわからない。
管理人 (金曜日, 21 2月 2020 21:59)
間もないころ、じっとしていることができなくて、休みの日はとにかく、出かけていた。多分目的もなく、思い付きで、さまよっていたことが多かったと思う。 悲しみに打ちひしがれ、嗚咽がこみ上げてきた日々が続き、確たる目的がない行動が多い故に時間が経った今、その時の記憶が、ぼんやりとしたものになっている。 先日都内の本屋さんの前を通った時思い出した。 近辺には大きい本屋さんが幾つかあり、そこであろうはずのない魔法の言葉を見つけようと、本屋巡りしていた。 そんなことあったなあ。
管理人 (木曜日, 20 2月 2020 22:06)
近所にあった中華屋さんが更地になっていた。 最近は行ってないが、数十年前からたまに行くお店。 夫婦二人で、子供さんがいなかったし、飼っている猫がたまに お店に入ってきたり、今の時代では珍しい家庭的雰囲気のあるお店。 ただ、店主も老いにはどうしようもないはず。 老いは状況を変えていくものとしみじみ思う。 更地を見て思い出したのが実家の事。 両親が亡くなり、数年して兄が処分した。 そのとき、更地になった状況を見て、ああもう故郷は無くなった。 そんな思いだったが、大切な人がいればそれでよし。 でも、大切な人はその一週間後に亡くなってしまった。
管理人 (水曜日, 19 2月 2020 21:25)
悲しいことが起きたとき、いったい自分はどうなることか。 と思っていた。でも何とかなるもの。 今過ぎ去っていったように、これからも過ぎ去っていく。 何かあったら、その時考えればいい。 そんな風に考えると気持ちが楽になってきた。
管理人 (月曜日, 17 2月 2020 21:50)
永六輔の言葉 10代の夫婦はセックス夫婦。 20代の夫婦は愛で結ばれる夫婦。 30代の夫婦は努力して夫婦。 40代の夫婦は我慢の夫婦。 50代の夫婦はあきらめの夫婦。 60代の夫婦は感謝しあう夫婦。 やっと夫婦です。 ここから、汲みとれるのが、 パートナーとの確かな愛や信頼関係は、多くの葛藤を通して培われるもの。 突然訪れた死別に、愛する人に出会えた有難さを知るものなんだなあ。
管理人 (木曜日, 13 2月 2020 21:33)
間もないころ、何かにすがりたい思いもあって、 青森のイタコを訪問したり、帰りは岩手の座敷童が出るという旅館にも行ってみた。 何となく霊繋がりを感じていたから。 旅館は山の中にあり、付近を散歩してみると、季節柄、青々とした葉っぱは濃い緑色。雨後のせいもあって、葉の露が眩しいくらいの輝きがあったり、小さな清流に見とれたり。 つらく苦しい中で一瞬の安らぎを感じるもの。 きっとこの景色は大切な人が見せてくれたんだと思ってる。
管理人 (水曜日, 12 2月 2020 21:36)
野村元監督の死去のニュースが流れていた。 奥様が亡くなった時、「これからどう生きていけばいいのか。」 という言葉が思い浮かべられた。 多くの人からリスペクトされ、慕われていたことも事実。 自分にとってかけがえのない相手から愛されることで、 心が満たされる。たとえ多くの人が自分を愛してくれていても、 それが自分にとって大切な人でなければ、心は満たされない。 逆に多くの人に嫌われてもかけがえのない人が自分を愛してくれれば、 生きていける。 それを感じてしまう。
管理人 (金曜日, 07 2月 2020 22:08)
悲しみに暮れる人は不幸ではない。 深く人とかかわらないで、人生を送る人。 深く人とかかわりあったことにより深く傷つき、同時に深い喜びを得ていた人。 悲しみに暮れることは、いい人生だったということだと思う。
管理人 (木曜日, 06 2月 2020 22:05)
大切な人を喪った後、 引っ越しをする方。 そこに、住み続ける方。 様々な事情で、不本意だけれどそうせざるを得ない場合もある。 ただ、本人がそれを受け入れる事で、メリットが出てくる気がする。 環境が変わることで、これからの自分を構築できる機会でもある気がする。 そこに住み続ける場合は、 そこで流れた時間や過去の楽しい記憶があきらめを感じさせてくれる気がする。 私が勝手に思うことだが・・・
管理人 (火曜日, 04 2月 2020 22:01)
間もないころ、大切な人に書いた手紙の一部 あなたのおかげで嬉しいこと、楽しいこと、笑うことがあった。 あなたのせいで怒ること、悲しむこともあった。 あなたの存在は僕の存在でした。 あなたがいないこれから、どう生きればいいのか教えてください。 振り返ると、当時空っぽになっている自分を感じる。 そんな自分がちょっとかわいい気がしないでもない。 今は、この時のもう一人の自分とは違っている気がする。
管理人 (金曜日, 31 1月 2020 21:50)
悲しいことが起きたとき、どうしてという疑問。 よく考えてみると、 同じ時間に同じ場所で過ごしていても、心は一人一人別の世界にいる。 これは当たり前の事だし、どんな関係でも、わかり合えないのが普通。 当たり前のことに疑問を感じても仕方がなかった。
管理人 (木曜日, 30 1月 2020 21:34)
漢字の由来は心がなごむことがある。 私の勝手な解釈もあるのですが *人に木と書いて休む 木に寄り添い「木の力」→「気力」を蓄えること。 *人を良くすると書いて食べる 食べることで、身体も、心も元気になること。 *人に憂うと書いて優しい 憂いのある人の横にそっと寄り添うこと。 *心を受けると書いて愛 相手の心を受け止めること。
管理人 (水曜日, 29 1月 2020 21:38)
悲しいことが起きたとき、それまで人生の千辛万苦を 乗り切ってきた。自分は決して弱くはないという自負があったが、 果てしない悲しみが続き、今度ばかりは乗り切れないという思いになっていた。 同じ立場の人たちと知り合い、悲しさやつらさ、苦しさを一緒に戦っていると 思えるようになってくることで、気持ちが楽になってきた気がする。
管理人 (火曜日, 28 1月 2020 21:34)
悲しいことは嬉しいことの裏返し 苦しいのは楽しいことの裏返し つらいことは楽の裏返し 不幸と感じるのは無意識でも幸福だった裏返し そう思うと、案外自分の人生悪い人生ではないなあ。
管理人 (月曜日, 27 1月 2020 21:42)
2020年1月26日(日)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方6名の参加者で開催されました。 パートナーへの 悲しい想い、愛おしい想い、怒りを感じてしまうそれぞれのお話から、 遺された人の男女の違いでそれぞれの想いのポイントの違いに気が付いた時間となりました。
管理人 (金曜日, 24 1月 2020 21:35)
悲しいことが起きて3か月、ノートに書いていた言葉。 思い出の場所。あなたの表情、しぐさが洪水のようにあふれ苦しくなる。 時には追憶にふけることがある。この気持ちはなんなんだ。 今思うと、 どんなことでもそうだけど、いくら想像力めぐらしても、経験して初めて知ること。 このことに関しては、想像を絶するつらく苦しいことばかりだったなあ。
管理人 (水曜日, 22 1月 2020 22:12)
間もないころは、ちょっとした失敗等するとか、思わぬことが起きたとき、 それまでは何でもないことでも、涙し、落ち込むことが多かった。 例えば、詰め替え用の洗剤を容器に入れる際、こぼしてしまった時、 ボタンが取れたとき。探し物が見つからないとき。 今思うと、きっと大切な人への依存が続いていたから。 先日、服にほころびを見つけた。以前なら涙することが最初のアクションだったが、 涙することなく、ほころびを直してくれるお店を見つけさっさと頼んできた。 心は、変容してきているんだ。
管理人 (火曜日, 21 1月 2020 21:23)
モモさん 過去は自分の人生ではない、「今」と、「今から」が自分の人生である そうだと思います。 青年には青年の人生がある。 壮年には壮年の人生がある。 中年には中年の人生がある。 高年には高年の人生がある。 老年の準備期間ではない。 今は今の人生をしっかりと捕まえないといけないと思います。
もも (火曜日, 21 1月 2020 11:37)
管理人さんのおっしゃる通り、病気で亡くなるのと、自死(実はこれも広い意味で病死だけど)とでは本当に違うと思います。岸見一郎という人がある本の中で、「自死とて、一つのエピソードにすぎない」という一文を書いていて、この短い一文を読んだとき、どういう意味だろうとさんざん考えました。わたしの心の中で、いつか夫との別れ方が一つのエピソードに昇華されることがあるのかなあ、と。 多分長い時間(年月)と、わたしの心の持ち方がそれを可能にするのかもしれません。 <過去は自分の人生ではない、「今」と、「今から」が自分の人生である>と誰かのことばにありました。そう思うことにしましょう。
管理人 (月曜日, 20 1月 2020 21:07)
料理を作った時、まれに(まぐれだが)美味しかったりすることがある。 そんな時、心の中で大切な人が、やればできるじゃないとか、 美味しくない時は、しょうがない、どんまいどんまいと言っている気がしてる。 こんな風な形で大切な人は心の中で生き続けているものだと感じている。
管理人 (金曜日, 17 1月 2020 22:34)
心の整理がつかないうちは、 大切な人との過去を基準にしたものさしで、 今と未来を生きようとしてしまいがち。 それは、これからの自分を思い出の中に置き去りにしてしまうこと。 今と未来を犠牲にして生きることになるだけ。 これは、自分もそんな時期があったから言えること。
管理人 (木曜日, 16 1月 2020 21:57)
普通の病気等で亡くなると、家族、知人と思い出話ができ、 過去の出来事にしやすいと思う。 自死となると、多くの方が家族や知人と亡くなった人の話しをすることがない。 そのことも、過去の出来事に、し難くなり、 次のステップに進み難いと思う。
管理人 (水曜日, 15 1月 2020 22:02)
悲しい出来事と折り合いをつける。 折り合いとは 大切な人を喪った事実は変えようがないことから 事実を受け入れ、 それとともに生きていくこと。 だけど 折り合いをつけるのは、事実を受け入れる と簡単に言ってしまうが、 実際はなかなか難しい。 焦らないで時期を待ち、 時間をかけることだと思う。 悲しみつらさは簡単に消えるものではないし、 今すぐ受け入れられる魔法の杖はないから。
管理人 (火曜日, 14 1月 2020 22:00)
間もないころは、何をしても、どこへ行っても、みじめで寂しいもの。 でも どんな苦しみや悲しみにも必ず出口がある。 と自己暗示することでいずれ出口が見つかってくるもの。
管理人 (金曜日, 10 1月 2020 21:57)
大切な人を喪って数年たつと、間もないころの激しい感情は薄れるが、 なんとなくとても寂しい日がある。 でも、なんとなく楽しかった日もある。 そんな風に思うと、今日は毎日の一場面。 だから、楽しかったことを思い出すようにしている。 それでもダメな時は おまじないの言葉 「大丈夫、何とかなる」 と心の中で言っている。
管理人 (木曜日, 09 1月 2020 22:03)
パートナーを喪った時、どうすることもできない孤独感に襲われた。 どう生きていけばいいのだろうか。 同時に、無力さ、悲しさ、寂しさ、愚かさ、切なさ、愛しさ等様々な思いが襲ってきた。 もう普通の生活に戻れないんじゃないかという得体のしれない感情が伴ってくるし、 今までの人間関係は続けることはちょっと難しいものもあった。そんな中、なんとか生きてこれた。 深い人間関係を作らなくても、ちょっとした習い事をしたり、同じ立場の人と話をしたり、 孤独にならないように、社会と触れ合いながら、気持ちを和らげていくようにしてきた。 そして時間が何よりも癒しになっていると思っている。
管理人 (水曜日, 08 1月 2020 22:03)
他人と比較すると苦しくなる 自分と比較すると楽になる 他人と比較して、自分にないものを見つけ、 落ち込んでしまう。 だから、他人と比較しないようにしているつもり。 先日TVでスマートアプリのCMが流れていた。(芸能人夫婦が出演) パートナーとスケジュールを共有するアプリ。 便利なアプリ。使いたいけど相手はもういない。 そんなCMを見ていると、ちょっと羨ましくつらくなってしまった。 まてよ、他人と比較している自分に気が付いた。 まだ、他人と比較しないようにするには、もう少し時間がかかりそうだ。
管理人 (火曜日, 07 1月 2020 21:30)
間もないころ、スーパーで買い物をしていると、 休日だったり平日だったり、また時間帯によって感じるものが違っていた。 休日のファミリーでの買い物姿を見るのは何とも言えないもの。 夕方の主婦の買い物は愛情を感じ、男性一人での買い物は一人暮らしを感じたりと、 それまでは感じたことのない気持ちで涙することが何度もあった。 それは今でも感じることがあるが、涙することは無くなった。
管理人 (月曜日, 06 1月 2020 21:06)
去っていく人より残される方がずっとつらい。 死別はよけいつらい。 それでも、つらさをしまい込むよりも時々、外に出した方が心は楽。
管理人 (日曜日, 05 1月 2020 21:14)
人生は、思い描いていたとおりに進むとは限らない。 予測もしていない中、自死で大切な人を喪ったりする。 他にも「まさか」と思うような人生の落とし穴。 そこら中にある気がする。
管理人 (土曜日, 04 1月 2020 21:01)
何気に見つけた言葉。(作者不明) ありがとう 出逢ってくれて ありがとう 笑顔でいてくれて ありがとう 話してくれて ありがとう そこにいてくれて ぜんぶぜんぶ ありがとう 喪ったからこそ 大切な人を想いだす言葉。 大事なことは 最愛のパートナーを喪ってしまったけれど、 誰かを愛したことが人生で一番すばらしいことだと思う。
管理人 (金曜日, 27 12月 2019 21:30)
遺された人からよく耳にする言葉。 あんなこと言わなきゃよかった。しかも思いっきり。 大切な人だから、強気になれる。時には素直になれる。 どうでもいい人なら、強気も弱気も素直もない。 どうでもいいから。 大切な人はやっぱり大切な人だから。
管理人 (木曜日, 26 12月 2019 21:44)
Yさん書き込みありがとうございます。 「あなたが会いたい人も、きっと、あなたに会いたい」 Yさんもわたしもそうだと思ってます。 そして私は、 会いたい人に会えた時のことを想像してます。
Y (木曜日, 26 12月 2019 15:50)
管理人さん、 YouTubeで「JR東海 シンデレラエクスプレス」観ました。 「あなたが会いたい人も、きっと、あなたに会いたい」 そうだったらいいなって思います。
管理人 (水曜日, 25 12月 2019 21:06)
悲しいことが起きた直後から、毎日24時間 悲しくて苦しい気持ちが長く続きました。 それでも生きてこれたのは、一人ではないから。 みなつながりの中で生きている。 「おかげさま」と「おたがいさま」。支え合っている。 苦悩を分かち合ったり、感謝することがあったりと。 一人ではないんだ。
管理人 (火曜日, 24 12月 2019 20:52)
「大切な人との生活」幸せに感謝もせず。 「当たり前」と思っていた。 だから、感謝の反対語は当たり前。 それを後悔するが、後悔しても、いまさら、どうにもならないんだなあ。
管理人 (月曜日, 23 12月 2019 20:21)
2019年12月月22日(日)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方9名の参加者で開催されました。 みなさんのお話を聞いていると、 亡きパートナーへの愛おしい気持ちが伝わってきます。 クリスマスの時期もあいまって、 昔のCM編「JR東海 シンデレラエクスプレス」を思い出してしまう。 多くの方が、そんな時代があったのだろうなあ。 【出会い、別れ】傑作集 CM編「JR東海 シンデレラエクスプレス」 https://www.youtube.com/watch?v=nqEDMv96U5g リンクは「会について」の下側にあります。
管理人 (金曜日, 20 12月 2019 22:01)
NICOさん書き込みありがとうございます。 生きている限り、苦痛や苦労が生まれます。 家族がいてもいなくても、孤独は感じるもの。 人生には二通りの時間しかないと思うようにしてます。 幸せな時間か、学んでいる時間。 つらい時、不幸な時、孤独を感じている時は学んでいる時間。 私は 一人で生まれ、一人で死んでいくと考えると、 じたばたしてもしょうがない。 孤独を楽しめばいいと思うようになってます。
管理人 (金曜日, 20 12月 2019 21:59)
ももさん書き込みありがとうございます。 ある書籍に書いていましたが、 気持ちが落ちるとき(軽いうつ) 行動するといいと。 身体を動かすことはセロトニンの活性を高めてくれる。 週に三日30分歩くだけでも抗うつ薬の効果と同じくらいあるとのこと。 また、太陽の光を浴びることもいいようです。 これは、睡眠障害も防げるようです。 私はこれらを意識して行動するようにしてます。
NICO (金曜日, 20 12月 2019 11:30)
四年が過ぎ もう今までとは違い 前を向けていた。 大切な人な亡くなっても 楽しむことも出来た。 でも最近になって 寂しく悲しく涙する。 このまま一人で生きていく 不安と寂しさが ひしひしと感じ 重くのしかかってきた。 側にいてくれる ただそれだけでいいのに☆
もも (金曜日, 20 12月 2019 09:24)
晩秋から師走のこの時期は特に辛くて安定剤が必要です。管理人さんの「今は大丈夫になった、慣れるものなんだ」という言葉にすがりたいです。ちょっと気晴らし的なことができても、すぐに、自死遺族であるという思いがわいてきてしまいます。逃れようがありません。 でも、管理人さんと同じようにわたしなりに普段の生活の中に心を癒してくれる「何か」を模索しています。テレビは見る気がしないけど、いい映画なら2時間ぐらいでその映画にはまることができます。ネットで取り寄せられるシステムがあるので、よさそうなものを選んで「はまった感じ」で視聴します。1か月に1,2度だけだけど…。ほかにどんな「手」があるかな。
管理人 (木曜日, 19 12月 2019 21:28)
今の時期、翌年のカレンダーの準備をするのが昔からの事。 悲しいことが起きたとき、カレンダーを準備した時はつらかった。 これから一人で過ごさねばならないこと、 そして、カレンダーには、お互いの予定を書き込むことをしていたことが、 もうそれが出来ない。この時期になると思い出す。 でも今は大丈夫になった。慣れるものなんだ。
管理人 (水曜日, 18 12月 2019 21:09)
大切な人を喪った時、大切な人から受けた感謝しなければならない事が思い浮かべられた。 喪って気が付いた、自分の幸せなところ。 毎日悲しくても、何か感謝することはあるのではと思うようにした。 スーパーで汁気のあるお惣菜を買った時、レジの人が汁がこぼれないようにしっかりと包んでくれたりする人がいる。 ちょっとした心遣いに感謝の気持ちが起きる。 感謝できることを考えると、自分が忘れている小さな幸せなところに気づくようになってきている。
管理人 (火曜日, 17 12月 2019 21:11)
間もないころの激しい感情は治まってきた。 そんな普段の生活の中でたまに映画(DVD)を見たり、美術館、博物館めぐりをすると、 知らず知らず心を癒してくれたりする。適度な時間で完結できる手軽さもある。 その時の心の状態にもよるが、素直に感情移入できたり、時には涙を流せたり、心に響いたり。 自分の気が付かなかった様々な感情に気付いたりする。 つらさを忘れ、時にはポジティブな感情にしてくれることもある。
管理人 (月曜日, 16 12月 2019 21:14)
雑踏の中を歩いていると、みんな生きている、生きようとしている。 人それぞれ様々な苦悩を抱えながら生きているのに、 そんな感じが伝わってくることがある。 生きているのではなく、生かされている という言葉も聞く。 そうであれば、遠慮なく悲しい心を抱えながらでも、 今を思いきり生きていけばいいことだと思う。
管理人 (金曜日, 13 12月 2019 21:19)
パートナーだから言える言葉がある。 それは優しい言葉だけでなく、意地悪な言葉だったり。 パートナーだけにしか言えない言葉。 パートナーだから言えた言葉。 もうそんな会話ができないんだなあ。
管理人 (木曜日, 12 12月 2019 21:35)
間もないころ、泣き叫ぶようにパートナーへ手紙を書いていた。 しばらくして、話しかけるように手紙を書いていた。 時に愚痴もあるが、感謝の言葉が増えてきた。 激しい気持ちが、優しい気持ちに変わってきた。 時間とともに心は変わってくるのを感じている。
管理人 (火曜日, 10 12月 2019 21:08)
パートナーを亡くしたとき多くの方が感じる一つに もう同じ行動を共にする人がいないという寂しい思い。 遠慮もいらないし、おたがいの事がわかっている。 パートナーでなければならない行動の意味が そこにあるから。そして唯一無二の人だから。 当時は、寂しさと、様々な思いが重なり、壊れそうになるくらい苦しくなった。
管理人 (月曜日, 09 12月 2019 20:21)
間もないころ見た動画。思い出した2つ、もちろん泣いて観ていたもの。 パラパラ漫画 鉄拳「振り子」 https://www.youtube.com/watch?v=GcpVglJ6HJM 最期の川 CHEMISTRY https://www.youtube.com/watch?v=XAGFEqhE-l0 リンクは「会について」の下側にあります。
管理人 (木曜日, 05 12月 2019 21:47)
間もないころ、近所におしゃれなスィーツショップができ、 看板にスィーツとコーヒーの絵があった。 お互いコーヒーとスィーツには目がないから一緒に入りたかった。一人じゃ入れないよ。 そんな思いだった。 最近、何気なく看板を見ると、いまだにその当時の気持ちがよみがえってくる。 でもつらい気持ちは半減している。 まだ、一人では入れないけどそのうち入ってみようかな。
管理人 (水曜日, 04 12月 2019 20:04)
間もないころ、見た動画。 ご存知の方も多いと思いますが。 当時はやっぱり泣いた。 Walking Tour https://www.youtube.com/watch?v=oSIyG6nv_RM リンクは「会について」の下側にあります。
管理人 (火曜日, 03 12月 2019 21:11)
イソップ物語 王様の耳はロバの耳 王様はロバの耳をしてして、それをひた隠にします。 いつも髪を刈りに来る床屋は王様はロバの耳であることを知っていて、口止めされていました。 床屋は黙っていることが出来ず、井戸の奥に向かって「王様はロバの耳」と 大声を出して叫びます。 その声があらゆる井戸の伝わって井戸と言う井戸から「王様はロバの耳」 と聞こえ、皆にロバの耳を知られてしまいます。 王様は「これは皆の意見を良く聞けるように ロバの耳になっている」と打ち明けるお話ですが、 捉えようによって 誰にも話せないことが苦しくて、誰も聞いていない井戸に向かって言葉にすることで癒されたのではないだろうか。 自死遺族も周りに言えない方が多いと思う。話せる場所で話すことは苦痛を和らげてくれると思う。
管理人 (月曜日, 02 12月 2019 21:08)
間もないころを振り返ると、 もう一度一緒に生活したいという願い。 でもそれはかなう事はないのは頭でわかっている。 でも、願ってやまないのだ。 変えられないものを変えようとしたい無理な思い。 魔法が使えたらと本気で思った。 それでも、時間とともに あきらめる。 明らかに見極める。 受け入れる。 じたばたしない、腹をくくる。 そんな思いが出てくるようになっている。
管理人 (土曜日, 30 11月 2019 21:24)
苦しいのは、逃げていない証拠、 がんばっている証拠。 そう思い、たまには自分にご褒美を。 そんな時期もあった。
管理人 (月曜日, 25 11月 2019 08:57)
大変なことが自分に起きたとき。 どうして今、こんなことが。さらにどうして自分なのと思ってしまう。 冷静な目で世の中を見ると、 悲劇や不幸で満ち溢れているかもしれない。 時期が違うだけで、誰もが、どうして私だけと思う瞬間があるようだ。 その気持ちはだれもが経験することで決して自分だけではないし、 苦しいのはみな同じと思う。
管理人 (金曜日, 22 11月 2019 21:20)
頭でわかっていながら口にできなかった 「ごめんね」と「ありがとう」 間もないころはそんな思いがぐるぐると。 今はそれを苦しみつくした思い。 もう気が済んだと思うようになっている。
管理人 (木曜日, 21 11月 2019 21:09)
ももさん書き込みありがとうございます。 「幸せ気分の感情はもう永遠に封印」 それは間もないころ私も感じていました。 今年の春、明るい日差しを浴びて野山を歩き、おにぎりを食べたり。 周囲の人たちも明るく振る舞っているように見えます。 何か、少し楽しいような嬉しいような小さな幸せ気分を味わいました。 人は一つのネガティブなことで苦しんでしまうものです。 少しだけ行動することでも心は変わっていく気がします。
もも (木曜日, 21 11月 2019 08:44)
晩秋はそうでなくても寂しい。この経験のあと、秋の夕暮れはひとしおつらいです。 でも、いい言葉に出会いました。そうだ、「慣れてくる」のですね。 最期の日々がきつかったので、「大切な人」とか「愛しい人」とかの言葉がいまいちピンとこないのですが、それに、あの程度のモラハラに耐えられなかった自分が許せなくて、幸せ気分の感情はもう永遠に封印かと思う時もあります。 いろいろな人がいる、いろいろな人生がある、そして出会いのご縁がある。今はこころから同感です。 人さまとのご縁を大切にすること、そして、ご縁のありがたさにお返しをすること。あらためてそう思いました。
管理人 (水曜日, 20 11月 2019 23:01)
この経験をしたことで、最近思うことがある。 同じ立場の人とお話をしたり、一人旅もした。 色々な人がいる。色々な世界がある。 色々な人や色々な世界を知ってきたことで、生きるヒントにもなっている。 そして 合縁奇縁 (人と人とが、お互いの気心が合うのも合わないのも、すべて不思議な縁による) 人にとって縁は生きる上では大切なものだと思う。
管理人 (火曜日, 19 11月 2019 20:54)
寒くなってくると思い出す。 間もないころ、とても寒い日の帰路。 いつもなら、当たり前のように大切な人に会える。 冷え切った体が温かくなる。 でも、そんな日はもう来ない。 亡くなって、初めて迎えた冬。 待つ人がいることに慣れたことで、 待つ人がいないことはとてもつらかった。 でも、それも慣れてくるものなんだ。
管理人 (月曜日, 18 11月 2019 19:01)
2019年11月月17日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方3名の参加者で開催されました。 少人数のこともあり、私自身のお話を多くできた時間でした。
管理人 (火曜日, 12 11月 2019 21:35)
先日、ディスクレコーダーが壊れてしまった。 悲しいことが起きてから家電が色々と壊れていく。 耐用年数は超えているから仕方がない。 間もないころは、思い出が無くなっていくという思いが大きかったが、 最近はもし、自分が先に亡くなっていたら、故障と判断することも苦になるだろうし、 買い替えするにしても、処分するにしても、大変だろうなあ。 と思うようになってきた。 大切な人との死別は苦しい。 実際はパートナーはその悲しみ苦しみ、面倒なことから逃れられることが出来た。 自分がそのことをを受けもったことでパートナーを守ることが出来ている。
管理人 (月曜日, 11 11月 2019 21:16)
二年目の命日がつらいという方は多い。 中には一年目よりつらいという方もいます。 そんなお話をする機会がない場合自分だけが特別と思い込む方もいる。 昔から、一周忌、三回忌、七回忌とあります。 三回忌はちょっと早いような気もしないでもないが、 昔から二年目はつらいのが誰もが経験していたであろうことから ではないかと思う。先人たちも大切な人を失った気持ちは今と変わらないもの だったからではないかなあ。
管理人 (金曜日, 08 11月 2019 21:58)
あるテレビ番組で シングルマザーの生き方をやっていた。 彼女は彼と同棲していたが、彼は子供を持つ人生は望んでいなかった ことで、妊娠が分かった時点で一人で産むことを選択。 彼との生活を捨て一人で出産。でも彼のことは愛している。 たまに、3人で会っているとのこと。 世に多いシングルマザーにはそれぞれの事情があると思うが、 こういうケースもあるものだと思った。 私は男目線で見てしまうが 子供には母性愛。彼に対しては、放す愛を感じてしまう。 愛の形は様々。 自分の大切な人とはどうだろう。 もうこの世界にはいない。今は執着愛かもしれないなあ。
管理人 (木曜日, 07 11月 2019 22:45)
時々道に迷うことがある。 そんな時、道を俯瞰出来たらいいのに。 と思ってしまう。そんなことを思っていたら 今までの人生を俯瞰することができた。 見えないものが見えてきた気がする。 こんな悲しいことがなければ、 愛を振り返ることはなかったし。 楽しかったこと、嬉しかったことがいっぱいある。
管理人 (水曜日, 06 11月 2019 21:44)
間もないころは、色々な思いがぐるぐる心の中でまわり続けて 苦しくてどうしようもない。 そんな気持ちをを外に出すには、言葉にするか大切な人へ手紙を書くことだった。 書くことで自分を客観的に見ることができた。 もちろん手紙は人に見せることはない
管理人 (火曜日, 05 11月 2019 22:22)
先日、合羽橋へ行ってみた。 たまたま近くに用事があり、合羽橋の文字が目に入ったから。 特にそこに行く目的があったわけではない。 様々な調理器具や、食器を置いているお店が軒を連ねているのは ちょっとした博物館を観ているような気もした。 今使用している、鍋は焦げ、食器はくすんでいる。 そのうち変えてみようかな。気分が変わるかもしれないから。 今まで、悲しい悲しいと泣いていても、 気が付けば色々な新しいことに目を向けている自分がいる。。
管理人 (日曜日, 03 11月 2019 22:28)
間もないころは 心の状態が良くなかったりする。何事にも不安や葛藤が出てきます。 それはとてもつらいこと。仕方がない。 だから、その気持ちはそのままにして、震えながらでも やるべきことをやってきた。 やろうとしてやってきたことで、 少し前に進めた。少しづつ進むことで、やがて心の状態は良くなってきたと思う。
管理人 (金曜日, 01 11月 2019 21:38)
大切な人がいなくなって孤独でつらい。 同じように孤独を感じている人はたくさんいます。 家族も、お世話になった方も、好意を感じている人も みんな孤独の中で戦ってきている。 だから、一人で戦い続ける限り、 決して一人ではないと思っている。
管理人 (木曜日, 31 10月 2019 21:50)
間もないころは悲しい気持ちが駆け巡ってくる。 本当に駆け巡るというか走ってくるというか、 ものすごいスピードで悲しい思いが湧き出てくる。 何年かして、考え方を少し変えてみた。 ネガティブな気持ちが起きてきた時、「と自分は思っている」と、気持ちをかえるようにした。 例えば 生きていくのがつらいと思ったら 生きていくのがつらい。と自分は思っている。 会いたくて会いたくてたまらない。と自分は思っている。 苦しくてたまらない。と自分は思っている。 そうすることで客観的に自分を見れていた。 客観的に自分を見ていくようにしていたら、少しずつ気持ちが楽になってきた気がする。
管理人 (水曜日, 30 10月 2019 21:41)
間もないころ、衣替えが終わると寒さも深まってきた。 寒さが身に沁みてきたと同時に、悲しみが心の奥に沁みこんできた。 そして、クリスマスやお正月がやってきて、一人で過ごす 何とも言えない時間だったなあ。 振り返ると、長い目でつらい感情が薄らぐことを信じることかもしれない。 凍った氷が解けていくように時間はかかるから。
管理人 (火曜日, 29 10月 2019 21:21)
香りは心を落ち着かせてくれる効果があると思う。 ただ、大切な人の化粧品に近い香りはかえってつらくなる。 そんな中、なぜか落ち着く香りが一つある。 多分自分だけのような気がするが、シトラスミントの香り。 変な話だが、これはトイレ○○○○リン(シトラスミント)。 トイレ掃除のときこの香りが心を落ち着かせてくれる。 そのせいか、トイレ掃除の回数が多く、トイレはきれいになっている。
管理人 (月曜日, 28 10月 2019 20:54)
今回の大雨で何人かの車中死。耳慣れない言葉。 そうなんだと思えばそれで終わりかもしれないけど、 そこに一人一人の人生があると思ってしまう。 そして、遺された人の事も思ってしまう。 こんな経験をしなければ、そうなんだで終わっていた気がする。
管理人 (日曜日, 27 10月 2019 21:00)
2019年10月月29日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方6名の参加者で開催されました。 頼れる人がいない中、守る人がいない中での大型台風。そんな思いのお話の時間でした。
管理人 (木曜日, 24 10月 2019 21:59)
言えなかった言葉や、言ってしまった言葉。 こうしなかった、ああしなかったこと。 いつまでも心の中にしまっていると苦しくなる。 でも過ぎ去ったことは無かったことにできない。 だけど、そのことを何度も繰り返して思い出し、 何度も苦しむのは自分で自分を痛めつけるだけだから、 もういいやと思う。 どうにもならないし。
管理人 (月曜日, 21 10月 2019 20:53)
うつ病の特徴的な症状を書いている書物があった。 うつ病になると3つの妄想を起こすことが多い。 心気妄想(しんきもうそう) 自分は病気なのではないかと強く思い込む。 頭が痛いから脳腫瘍ではないか、疲れやすいから癌ではないか等 罪業妄想(ざいごうもうそう) 自分は罪深い人間だと思うこと。 自分は悪いことばかりしてしまった。 何かの書類に勘違いして間違ったことを書いてしまったことが 罪になると思ってしまう。10年以上前に会社のボールペンを 持ち帰ってしまった。逮捕されるのではないか。 貧困妄想(ひんこんもうそう) お金がたりない。もう生活できない。お金を100万円以上持っていても 貧困だと思い込んでしまう。 これらは、自分は小さい存在であるという妄想(微笑妄想)ですべて当てはまってしまうと 重度のうつ病の様だ。そこまでいかなくても軽いうつでもそれに近い 思考をしてしまうとのこと。 今さらだが、思い当ることがある。 そうなんだ・・・
管理人 (木曜日, 17 10月 2019 22:06)
イソップ物語 生きていくのに役立つ知恵や教訓までさりげなく教えてくれる物語です。 その中の一つ。満腹きつね。 腹ぺこのキツネが小さなほら穴に、羊飼いたちが残して行ったパンと肉を見つけました。早速、中に入って、全部食べました。 満腹したキツネは、腹が大きくなったために、ほら穴から出られなくなりました。 泣いて悲しんでいると、そこを通りかかった別のキツネが、事情を知ると、 「入ったときと同じからだになるまで、そこにいればよい。そうなれば楽にでられるさ。」 時が解決してくれることを教えてくれている。 でも何か違和感があった。物理的なものと、精神的なものは一緒にできないのではないか。 悲しいことが起きたとき、生きていくのが苦しくて、 いろんな本を読んだし、自死に関する講演会も聞きに行った。 同じ立場の人と話をしたり聞いたりもした。 楽になれない、どうしたら楽になれるだろうかと思っていた。 でも、繰り返しそんなことをしているうちに楽になってきた。 それは時間が必要だと言う事。 今では、時は精神的なことも癒してくれるものだと思えるようになっている。
管理人 (水曜日, 16 10月 2019 21:10)
今回の台風の被害状況を見ると、何か他人事と思えない人が多いようだ。 先日も。自死遺族一人暮らしもの同士でそんな話が出た。 恐怖と不安。あの日を体験しているから。生と死をリアルに感じてしまう。
管理人 (金曜日, 11 10月 2019 21:19)
大切な人の自死で遺されるということ。 当時は、もう二度と笑うことは無いし、涙も一日も止まることは無いと思っていた。 いつの間にか笑うこともできるし、涙も止まっている。 ずっと一人でご飯を食べていくだろうと思っていたが、 やはり、思いがけなく、誰かと食事をしたりお茶をするようになっている。 自分がこんなになるなんて思いもよらなかった。
管理人 (木曜日, 10 10月 2019 20:39)
最近ラクビー日本の活躍が報道されている。 他のスポーツも同じであるが、 サポーターの点が入ったときの歓び方を 見ると、心から歓びを味わっている。 サポーター同士歓びを分かち合っている。 思い出した言葉がある。 「歓びのありがたみを目一杯味わうためには、 それを分かち合う人がいなくてはならない。」 (マーク・トウェイン 作家) そうなんだよなあ。 普段の生活で、分かち合える人の存在。それはすごく感じている。
管理人 (火曜日, 08 10月 2019 22:09)
今年の健康診断で、大腸の要精密検査の診断となった。 6年くらい前、精密検査の時、ポリープがあり、がん化するものがあるので、1年以内に取るように 言われていたのを思い出した。 だけど、このことを、大切な人に言わなくても済むことに安堵した。 心配かけなくてもいいからだ。 いないことは、心配をかけなくてもいいことと、相手を心配することもないこと。 大切な人がいないということはこういう事でもある。 確率は低いけど、もしかしたら悪い病気という思いは巡り、 このことで、一人自分と向き合うことにもなった。 こんなことも考えていた 遠い日の事、恋を知る年頃に出会った大切な人。 誰もが、亡くなると何も持っていけないが、 いのちと一緒に持っていけるものがある。 大切な人との、優しく楽しかった思い出がたくさんある。 いずれは、大切な人がいるあの世に行くのだから。 大切な人が先に待っているから。 いろんな話ができるだろうなあ。 先月、日帰り手術。結果は良性の腺腫ポリープ5個。 ほっておくとがん化するものと言われた。一番多いケースの様だ。 まあなにか、生かされている気がしないでもないが。
管理人 (土曜日, 05 10月 2019 22:02)
悲しみを癒したら大切な人の事を忘れてしまう。 忘れたくない。だからずっと悲しいままでいい。 そんなことを耳にすることがある。 悲しみから立ち直ることは、大切な人を忘れることではなく、 喪失の事実を受け入れることだと思う。 受け入れることで悲しみがおさまってくれる。おさまった後でも 喪った大切な人を想うとき悲しみや懐かしさを感じるものだから。
管理人 (金曜日, 04 10月 2019 21:17)
悲嘆死という言葉 パートナーを喪った悲しみや寂しさから病気になってしまう。 そして、先に亡くなったパートナーの後を追うようにして その人も亡くなってしまうというもの。 これはよくわかる気がする。 私も当時、食べれない眠れない日々が続き、約1年後の人間ドックの時には 体重は20キロ落ちていた。これは高齢であれば非常に厳しいことだったと思う。 高齢であれば持病もあるだろうし、大切な人を喪うことは大変なストレス。 若くはないが、高齢でもないことで、ここまでこられた気がする。 皮肉なことに、コレステロール、尿酸、中性脂肪は数値が下がり薬を飲まなくてもいいようになった。 そして脂肪肝は消えていた。 今は体重は10キロ戻っている。
管理人 (水曜日, 02 10月 2019 21:50)
冷蔵庫の中に、缶ビールが2本入っている。 このビールは、悲しいことが起きる前に、 大切な人が、後で私が飲むから残しておいて。 と言っていたビール。 だから、律義に残している。 5年以上前のものだから、賞味期限は過ぎている。 約束したからではなく、 心のどこかで、戻ってきて飲むのを待ちわびているから、 そのままにしているのかもしれない。
管理人 (火曜日, 01 10月 2019 21:44)
ICレコーダーに大切な人の声が残っている。 それは、ICレコーダーの使い方を私が説明している音声。 客観的に二人の会話を聞いていると、 自分で言うのもおかしいが、愛情たっぷりなやり取りを感じてしまう。 まるで、昨日の会話のような感じだ。 あったかい想いと、切なさ、懐かしさが同時にきて涙するが、悲しい涙ではない気がしている。。
管理人 (月曜日, 30 9月 2019 18:47)
2019年9月月29日(日)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方5名の参加者で開催されました。 今回は参加者全員共通の悩みのお話しの時間でした。
管理人 (金曜日, 27 9月 2019 06:49)
ももさん書き込みありがとうございます。 この経験をしなければ、言葉の意味を実感することは確かになかったと思います。 私は、間もないころ頃、絶望の意味を実感しました。 また、大切な人の悲しい出来事で生きる意味を見失った時、この悲しみ苦しみを表現をする言葉がないことも痛感しました。 だから、同じ立場の方の言葉にならない悲しみが伝わってきます。 大切な人は色々と教えてくれていると思います。 そして、こんな言葉は時にはいいかもしれないです。 歩くは、少し止まること。 正は、一度止まること。 涙は、氵を流せば戻れる。 泣くは、氵を流せば立ち上がれる。
もも (木曜日, 26 9月 2019 14:58)
二つの言葉の意味を実感しています。 こころが疼く…胸に手をあてても心の疼きは収まらない。疼くというのはこういうことだったか。 耐えなければ…耐えるという言葉の重さ。 我慢という半端なことではなく。じっと忍んで耐えること。 ひしひしとつらく実感する昨今です。 いい年して今頃この言葉を実感したとは、幸せ者だったと思うべきなのでしょう。
管理人 (水曜日, 18 9月 2019 21:58)
悲しいことが起きたとき、車通勤だった。 いつもの道を通るのがちょっとつらい。 意識的に経路を変えていた。目に入る景色が違うことで、 いくらか気分が変わっていたように思う。 また、神社やお寺に行くことも多かった。 中には、樹齢数百年あるいは千年以上かもしれない大木があったりする。 人生はあっという間。それを見続けている大木。 そんな大木が行き交う人を眺めている。色々な人生のドラマを見続けている。 あるいは行き交う人を見守っていてくれている。と思ったりしていた。 そんな大木に、生きていくためのヒントをくださいと問いかけていた。 そんなことがあった。
管理人 (火曜日, 17 9月 2019 20:22)
大切な人が亡くなって、 経験のない人には不幸に見えるかもしれないが、 大切な人が亡くなって、悲しくて悲しくてどうしようもない。 それほどまでに思える人と出会えた人生は、なんと素敵ことだ。 そういう人に出会えた人生が、不幸なはずがない。 自分の人生に大きなものをもたらしたもの。
管理人 (火曜日, 10 9月 2019 21:20)
今日、衣装ケースを整理していたら、 なぜか、大切な人の服が出てきた。間もないころは勢いも あったこともあり大切な人の服はさよならと言って処分していた。 もう一枚も残っていないと思っていたところに出てきたのはちょっと不意打ち。 私の好きな服だったせいなのか、不思議なことに、その服から微かな息づかいを感じ、そばにいるような存在を強く感じた。 悲しさと懐かしさが入り混じった感情があふれ出し、涙が止まらなかった。
管理人 (日曜日, 08 9月 2019 21:05)
先日、京浜急行とトラックの追突事故があった。 もし、自分がこの先頭車両に乗っていたらどうしていただろう。 きっと、いのちを守る行動をとるだろうと思う。 生きることがつらいと思っていても、この時はきっと生きることを選択する。 身体は生きることを望んでいる。 そうであれば 一切皆苦(仏教の言葉) この世界のすべてが、結局はすべて苦であるということ。 (思い通りにならない) そう思えば、苦があるのは当たり前。 人生を終えるまで、自分を元気づけ、何とかなるさで 小さな楽しさや小さな嬉しさを感じながら、 すごしていけばいいと思う。
管理人 (金曜日, 06 9月 2019 20:14)
2年ほど前、YouTubeでたまたま見つけたMusic Video。 当時は泣いた。 林部智史 / 「あいたい(Music Video) ~ニュー・バージョン~」 https://www.youtube.com/watch?v=VWejuL_Pps0 リンクは「会について」の下側にあります。
管理人 (火曜日, 03 9月 2019 21:58)
人は何かに執着すればするほど その反動で寂しくなる。そう思う。 遺品に執着すればするほど寂しくなる・・・
管理人 (月曜日, 02 9月 2019 21:50)
大切な人を喪って 悲しさ苦しさに耐えるという地獄。 これは経験した人でなければ分からない。 耐えるという言葉の重みを初めて味わった。
管理人 (日曜日, 01 9月 2019 20:35)
2019年8月31日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方4名の参加者で開催されました。 同じ時間を一緒に過ごした大切な人は輝いていた時期があったはず。 そんなお話が出た。 自分も同じ気持ち。そんな姿が目に浮かぶと、感謝の思いでいっぱいになる。
管理人 (木曜日, 29 8月 2019 21:52)
火葬の時はつらかった。 炉に投入され火力のゴーという音が聞こえた。 あああああ!もう会えない・・・ でも冷静を装っている自分がいた。
管理人 (水曜日, 28 8月 2019 21:51)
間もないころは後悔ばかり。 どうしてこうなったのか、 失くした物をしたとき、 思いつくところを探している感覚。 結局失くした物は見つからない。 余計に考え込んでしまう。 頭の中でぐるぐると同じことを考えていた。
管理人 (火曜日, 27 8月 2019 21:51)
今は慣れたけど 待つ人のいない暗闇はつらかった。
管理人 (月曜日, 26 8月 2019 21:58)
愛は不思議だと思う。 長く一緒にいると、傷つけあうこともある。 離れると、会いたくて仕方がない。 もう二度と会えないのは、たまらなく苦しくなってしまう。
管理人 (日曜日, 25 8月 2019 21:56)
間もないころ大切な人へ書いた手紙の一部。 あなたと同じ時代に生まれ、出会えたこと、 誰に感謝すればよかったのだろう。 あなたともう会えないこと、 誰を恨めばよいのだろう。 今は、当時のつらさは薄れてきている。
管理人 (土曜日, 24 8月 2019 22:06)
みんなよくがんばっている。 そんな気持ちで同じ立場の方とお茶をする。 お話を聞いてくれる人がいるだけで、 だいぶ心が楽になるし、 共感してくれる人がいるから、 孤立しないで歩いていける。
管理人 (金曜日, 23 8月 2019 21:37)
車で信号待ちの時、バックミラーで後ろを見てしまう。 以前、信号待ちの時追突されたことがあるので、 それ以来気になってしまう。たまにだが、カップルの姿が 目に入る。無言のままだったり、楽しそうに会話を しているカップル。他愛のない会話と想像しているが、 他愛のない会話には、たくさんの幸せがあることに 本人たちは気が付いていないだろうなあ。
管理人 (木曜日, 22 8月 2019 22:23)
NICOさん 私もそうでした。 最初のうちはお互いに感謝の言葉を伝え合っていても、 慣れてくると「いつものこと」と思っている自分がいました。 今は、心の中で感謝の言葉を投げかけています。 感謝の言葉は大切な人に届いていると思ってます。
NICO (木曜日, 22 8月 2019 02:07)
些細なことでも 『ありがとう』 と言ってくれていた彼…… 素直じゃない私は 何から何まで やってくれる彼に 『ありがとう』 の一言が言えなかった
管理人 (水曜日, 21 8月 2019 21:47)
小さなことでも、褒めてくれる人がいないのは やっぱり寂しい。 大切な人は、自分を支えてくれる人だった。 自分の一部が喪失した感覚。
管理人 (火曜日, 20 8月 2019 21:45)
悲しいことが起る少し前、夜眠れないと訴えてきた。 私は、眠れないのなら眠くなるまで待てばいい。 いずれ眠くなるものだからと言っていた。 悲しいことが起きてから、今度は自分が眠れなくなった。 その時、眠れない苦しさを初めて知った。 自分が経験していないものに理解できないこと、 そして軽々しく言ってしまったことは大きな後悔だった。
管理人 (月曜日, 19 8月 2019 18:32)
ももさん 私も間もないころは 同じように苦しくて、辛くて悲しい波が押し寄せてきてました。 そして、遺品や写真、想いのあるものにしがみついていました。 何かをして紛らそうとしたり、話せる場所で想いを話したり、 大切な人に手紙を書いていました。 そうしながら、悲しさ、苦しさ、辛さの波の間に生きていけることを感じていました。 時間はかかるけど、次第に波の間隔が長くなってくるのがわかってきます。 悲しみ、苦しみ、辛さの波と波の間に何かしらできるようになります。 そこで生きる意味を見つけるようにしていけばいいと思います。 いまは、苦しいのは当たり前なんだ。愛していたから仕方ないんだ。 と開き直りもありだと思います。
もも (月曜日, 19 8月 2019 14:04)
猛暑が心身にこたえます。 昨年の今ごろのことが嫌でも思い出される。 振り払っても振り払っても思い出される。 真夏日からどどっと谷底へ沈んでいったあのころ。 苦しくて辛くて悲しくてじっとしていられません。家の中でごろごろ、おろおろしています。 命日…命日の前後の日々、どう過ごせばいいんでしょう。 いい知恵はありませんか?
管理人 (日曜日, 18 8月 2019 20:59)
心のどこかで、この悲しみ、苦しさは 自分への罰だと思い、 この悲しみ、苦しみを一生背負って償っていこうと 思ったこともあったけど、 自分を痛めつけても帰ってこないし、 そして、悲しみが消えるわけではない。 だから今は、それはやめることにした。
管理人 (水曜日, 07 8月 2019 21:52)
戻りたい。 大切な人がいたあの頃に。 時々思うなあ。
管理人 (日曜日, 04 8月 2019 21:53)
大切な人が突然亡くなることは、 これほどまでに、想像を絶する苦しみとは 思いもよらなかった。 生きるとは何か、幸せとは何かと 迷走する日々が続いたなあ。
管理人 (木曜日, 01 8月 2019 22:01)
愛する人はもういない。 一人で生きていけるだろうか。 そう思いながら今に来た。 今まで、大切な人の、自分なりの儀式をしたり、何かをするという形をとってきた。 結果として供養にもなっている。 生きる意味をそこに見つけた気がする。
管理人 (火曜日, 30 7月 2019 22:07)
電車で目につく ポスター等を見ていると、モデルさんの笑顔が 素敵だったりする。これはプロのカメラマンが うまく笑顔を引き出しているのと、 モデルさんの演技のうまさを感じる。 大切な人の写真を見ていると、 大切な人の笑顔はそういった営業写真向けの笑顔ではなく、 写真を撮る人に向かって笑っている。 そう感じたとき愛おしく思えてたまらない。
管理人 (日曜日, 28 7月 2019 21:05)
2019年7月27日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方8名の参加者で開催されました。 お一人お一人のその人だけが抱えている苦悩を感じとれる時間でした。
管理人 (金曜日, 26 7月 2019 22:16)
今の時期は、スーパー等でお盆用品が並んでいる。 亡くなった最初の夏はお盆用品がつらかった。 そして、もっとつらかったのは、一個のスイカを 買っているカップルを見たとき。一人でスイカ一個 食べきれない。もうスイカ一個買うこと無いからなあ。
管理人 (水曜日, 24 7月 2019 22:00)
自死は生きることに負けたのではなく 病気がそうさせた。 遺された経験をして初めてわかった。 わからないままでいたかったけど。
管理人 (月曜日, 22 7月 2019 22:24)
同じ立場の方とお話をしていて、 悲しくつらい気持ちを泣いて表現できることは素敵だと思う。 悲しくつらい気持ちは、周りの人のやさしさを引き出す力があったりする。 中には、泣けない方もいる。 でも、その苦悩を察することができると、それも素敵だと思う。 どちらも、愛情のすばらしさを教えてくれている。
管理人 (木曜日, 18 7月 2019 22:13)
悲しいことが起る2日前。 一緒にスーパーにお買い物。その後、靴屋さんに行きたいと言い出した。 そこで、靴とサンダルを購入していた。 悲しいことが起きたとき、 それは一度も使用することはなく置かれてあった。 それを見たとき、なななぜ・・・どどどうして・・・・・ これは今になってだが、きっと生きようとする気持ちと、 死にたい気持ちが天秤のように揺れていたんだろうなあ。
管理人 (火曜日, 16 7月 2019 21:52)
NICOさん 書き込みありがとうございます。 私も同じ気持ちです。 大切な人のおかげで嬉しいこと、楽しいこと、笑うこと。 そして、大切な人のせいで怒ること、悲しむこともあったけど、 一緒の時間を過ごせたことに感謝してます。
NICO (火曜日, 16 7月 2019 16:31)
昨日で丸四年が経ちました。 想い出ばかりの彼だけれど、良いことも悪いことも大切な想い出になって来ました。 辛く悲しい日もありますが、何とか今日も元気に暮らしてます。 大切な人にありがとうと伝えたいです。
管理人 (月曜日, 15 7月 2019 22:19)
大切な人が亡くなって数日後、 視界のスミに大切な人が見えた。キッチンで料理している気配。 しっかり見ようとすると、そこにはいない。 また、考え事している時、視界のスミに 大切な人が、横切るのが見えた。 振り返ってみると、やっぱりいない。 はっきり見えるわけではないので幻覚ではなく、 ちらつきと言われるものだと思う。
管理人 (日曜日, 14 7月 2019 21:59)
生まれてくることは自分で決められない。 そう考えれば、運命というか宿命なのか、 今置かれている自分がそういうものだと 思えば受け入れて生きていけそうな気もする。
管理人 (金曜日, 12 7月 2019 22:20)
気が済むまで後悔した。 気が済むまで花を毎日欠かさないように手向けた。 気が済むまでお骨の前でご飯を食べ、話しかけた。 そうしたことで、起きた事実を心が受け入れてきた気がする。
管理人 (木曜日, 11 7月 2019 22:20)
人生はドラマ。みんな自分が主人公。 考えてみると、何もない人生はつまらない。 悲しいことがあって、それと格闘していく姿が ドラマとして美しいのかもしれない。 まず一歩を踏み出す。それならもう一歩踏み出せると思う。
管理人 (水曜日, 10 7月 2019 21:51)
写真を見ていたら25年ほど前に大切な人と訪れた場所があった。 某お寺なのだが、なぜか行ってみたい衝動にかられた。 最寄り駅の改札口は昔のまま。 写真のように、今にもそこから現れてくるような気がしていた。 参道を歩いたときのお店の記憶はほぼないのだが、1件だけ写真にあるなつかしい団子屋さんがあった。 お店に入ると、25年前のまま。 テーブルも椅子も配置も変わっていない。写真のまま。 売っている団子も変わらない。 当時、座ったテーブルを懐かしみ、当時と同じ団子を食べた。 古い時代が遠ざかっていくこの頃だけど、 その当時のまま残っていると、その時代の気持ちがよみがえり一緒にそこにいるようで、 心の中で大切な人と会話していた。
管理人 (月曜日, 08 7月 2019 22:40)
写真や動画を見ていると、お互いその人だけに見せるしぐさや行動。おどけてみたり、コントみたいなことをしたり、きっと二人だけのものがあったりする。 その時は、こんな瞬間が特別な思い出になるとは思ってもいなかったな。
管理人 (日曜日, 07 7月 2019)
ももさん 書き込みありがとうございます。 自分一人では自分のことに気付かないものです。 同じような悲しみ苦しみを感じることで、 自分が見えてくると思います。 決して一人ではないということでもあるし、 ももさんのおっしゃる通り、 色々な想いをシェアし気付きを得る事であると思います。
もも (土曜日, 06 7月 2019 21:56)
No202 あの日のこと、No226あの日の前日のこと… 拝読して胸が苦しくなるほどでしたが、むしろこういうリアルさがわたしには慰めと励ましになりました。苦しかったこと、苦しいことはわたしだけではなかったんだという気づき。傷をなめあっているような感じでしょうか。
管理人 (金曜日, 05 7月 2019 22:14)
悲しいことが起きる前の日。 大切な人「明日会社休んでくれない?」 私「急には無理だよ」 その夜、布団に入ってから 大切な人「そっちいっていい?」 私「いいよ」 私は背を向けていて、その背中に顔をくっつけて 抱きついていた。 悲しいことが起きたとき、休めばよかった! 抱きついてきたときの温もりがはっきりと残っていたことと、 抱きしめればよかった! 心の揺れ動きに気が付かなかったことに、 後悔と自責の念で長い間苦しかった。
管理人 (木曜日, 04 7月 2019 22:16)
見た目にわかりずらい難病についての番組があった。 周囲には理解されず、疎外感と孤独感でたまらない。 そうした難病を抱えた方が体調が悪く、外出もできず孤独な時期「良かった探し」を始めました。 晴れた空を見てよかった。 庭に飛んできた鳥を眺め癒されてよかった。 愛猫とひなたぼっこをできて良かった。 そんな良かった探しを1日の中で数えていると幸せな気持ちになれてきました。 そうしている内に孤独感も不安もマイナスな気持ちは減っていき前向きな気持ちになれました。 というものでした。「良かった探し」これは自分にも当てはめていけばいいのでは。 同じように、目に見えない心に傷を持ってます。そして疎外感や孤独感も持ってます。自分の周りにも探せば案外「良かった」があると思う。 こう言った思考は、脳が前向きにしてくれる効果があるようなのです。
管理人 (火曜日, 02 7月 2019 21:46)
αさん 書き込みありがとうございます。 αさんのおっしゃられる通り、言葉と発想は大切ですね。 田辺聖子さんの本は読んだことがありませんので、 いつか読んでみようと思います。 教えていただきありがとうございます。
管理人 (火曜日, 02 7月 2019 21:45)
ももさん 書き込みありがとうございます。 「守ってくれる役」とおっしゃられてとても光栄で、救われます。 今は、とても苦しい時期かと察します。 心にたまったものは、あふれだす前に いつでも、ここに書き込んでください。
α (火曜日, 02 7月 2019 18:18)
管理人さんの言葉〜そうですね。 私もずっとそう思っていました。 言葉をたくさん知りなさい。 言葉は人が生きていくための助けになってくれる。 なぜなら、お先真っ暗な時でも違う発想を持つことができる。 言葉は立ち上がるための杖になる。( 田辺聖子さんの言葉です) こちらの『雨宿り』冒頭にも 言葉は手でつかむことはできません。心で汲み取り、心の整理を少しづつしていきましょう。 とありますように、自分もそうしていきたいと思っています。 管理人さん、改めましていつもありがとうございます。 そしてこれからもよろしくお願い致します。
もも (火曜日, 02 7月 2019 07:46)
管理人さんはわたしにとって「守ってくれる役」をしてくれていると思います。この5年間の心の歩みを示してくださっているのですから、わたしにとって心の杖です。嘆きを丁寧に傾聴してくれる人がいれば、人は生きていけると何かで読んだことがあります。 またぐちゃぐちゃした暗い悩みを聴いてください。
管理人 (月曜日, 01 7月 2019 21:58)
亡くなって2年目くらいの時、 自分には、もう守る人もいないし、必要としてくれる人もいない どうしたら楽に死ねるだろうと考えるようになっていた。 そんな時、 一人を守る、一人から必要とされると考えないで、 多くの人に対して、少し守ってあげる行為をすれば、いずれ一人分になる。 ちょっとしたことで、必要とされることがある。それも積もれば一人分になる。 そんなふうに、考え方を変えたら気持ちが楽になった。
管理人 (日曜日, 30 6月 2019 22:36)
誰かが喜んでくれた時、人は充実感を感じるようだ。 一番は、大切な人ではあるが、それはかなわない。 誰かが、少しでも喜んでくれることをしているのなら、 それは、生きていく上での支えにもなると思う。
管理人 (金曜日, 28 6月 2019 22:23)
ケイさん、ももさん書き込みありがとうございます。 とても勇気のある書き込みかと思います。 どうしても、亡くなった人に対しては美化されることと、 ネガティブなことを表に出すのは、はばかれる気がします。 ももさんが言われるように、本人の名誉のためもあります。 私はなかなか具体的に表出できないほうです。
もも (木曜日, 27 6月 2019 22:55)
ケイさん 本当にほんとにありがとうございました。勇気をもって書き込みしてよかったです。こんな思いは私だけなのかなと思っていたので、救われたような気持ちになりました。 元は明るいやさしい人だったはずなのに、谷底に落ちるように人格がおかしくなって、いつ不機嫌が爆発するかとわたしはびくびくおどおど。わたしの方も性格がいじけてしまいました。この不機嫌をわたしが過度に怖がること、そのために、やさしく抱きしめられないこと、逃げて、避けていたことなどが彼を死に追いやったのだろうと今でも思っています。だれに「そうでないよ」と否定されても、やはり自分で自分が許せません。たいていの人はこのぐらいの不機嫌は我慢したのだろうと思うとなおさらです。いびりを受けたあとに残ったものはほんとの自分を失ってしまうほどの自己否定。 しかも夫はクリアなときはごく普通で、私に対してだけ時折鬼みたいな感じになるので、だれもこのことは知りません。他人に話せばわたしも気が楽になるのでしょうか、彼のネガティブな面は本人の名誉のために他人に吐露することができません。 ほんとうにぐちゃぐちゃと複雑なわだかまりです。 この罪意識はこれから先も消えていくとは思えません。解放されることを考えないで、これを抱えながら生きる方法を考えなければ…と思っています。 重ねて、ほんとにありがとうございました。
ケイ (木曜日, 27 6月 2019 08:24)
ももさん 私も同じです。 モラハラは本当に辛いです。 人格否定 生活費を出し渋る そして怒鳴る度に 「俺は怒鳴りたくて怒鳴っている訳ではない。おまえが俺を怒鳴らせるような事をするからだ」 とまた怒鳴られる。 私も悩み苦しみました。 世間的には良い夫。 家の中でも精神が安定している時は優しい良い夫でした。 だから、私自身も主人から言われるように、私が悪い妻だからだと長い年月ずっと悩んでいました。 精神科医から「それはDVだ」とか「モラハラだ」と教えられても私自身はそうは思えませんでした。 「私が悪いからだ」 「私の努力が足りないからだ」 と自分自身のせいにしていました。 だから主人が亡くなってしばらくは 「全て私が悪かった」 「自分が主人を追い詰めてしまった」 と悩み続けました。 実際に主人は私が主人を責めまくった直後に自死したので本当に自分自身を責めまくりました。 でも今はちょっと違う自分がいます。 「病気」がそうさせていたにせよ、実際にモラハラ夫と一緒に生活をするのは経験をした妻にしかわからない事。 幾度も幾度も人格否定をされれば自分自身も自分自身に原因があると不思議に信じさせられてしまう。 そんな生活から夫の自死によりモラハラ生活から解放されれば誰だって純粋に悲しみの涙だけを流せないと思う。 愛しい… 逢いたい… ごめんなさい… そんな優しい気持ちだけにさせてくれないなんて、あなたは亡くなってからも私にモラハラね! なんて私は主人に今でも話し掛けています。 ももさん。 「DV」「モラハラ」は本当に辛いから。 ももさんの気持ちは当然の気持ちだと思います。 「ご主人が亡くなってからもあなたがまだ自分自身が悪いと思ってしまう。これが典型的なDVやモラハラの証拠なのですよ」 とカウンセリングの先生から教えて頂きました。 「良い思い出も、悪い思い出もお互い様だね!」 私は今はそう主人に話し掛けるようにしています。 自責の念や怨み辛みに負けそうになりながらも・・・ ももさん… モラハラという悩みはなかなか言いにくいですよね。 同じ思いの方がいる事を教えて下さりありがとうございます。 管理人さんがいつも教えて下さるように誰かが悪い訳ではない。 「心の病気のせいなのだ」 この言葉を私は自分の励みにしています。
管理人 (水曜日, 26 6月 2019 22:04)
間もないころ、目覚めると必ず思うことがあった。 やっぱりもういないんだ。 あきらめきれない苦しさ。 朝が恨めしいと思ったなあ。
管理人 (月曜日, 24 6月 2019 22:20)
大切な人はもう自分だけのもの。 そう思うと安心することもある。 思いきり涙し、大切な人を想うことで 悲しみの中にも、愛し合った存在を感じられる。
管理人 (日曜日, 23 6月 2019 10:14)
2019年6月22日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方6名の参加者で開催されました。 愛情あふれる想いが感じられた時間でした。 小雨の中お疲れさまでした。
管理人 (日曜日, 23 6月 2019 10:10)
ももさん 書き込みありがとうございます。 ももさんと同じ気持ちの方は大勢いらっしゃいます。(私もそうです) 心の病気にどうしても理解が出来ずに、色々な対応となってしまいます。 死別の書籍の中には、ほぼそこに焦点が当たることは少ないようです。 同じ遺族でも最初はそこに触れることは少ないのですが、 まれに、どうしてもそこが苦しく、お話しされる方がいます。 一人の方がお話しすると私もなんですとお話しされます。 そして、堰を切ったように涙があふれ出てくる光景となります。 中には精一杯寄り添ったはずなのに、足りない自分に後悔し、どうすればよかったのだろうと。 言われる方もおられます。 どんな対応だったにせよ、結果は変わるものではないのでは。 私は、誰のせいでもない。病気がそうさせたと思ってます。
もも (土曜日, 22 6月 2019 09:39)
大切な人、愛する人、愛おしい、懐かしい、会いたい… ブログやサイトやグリーフ関係の本や書き込みなどでこう言う言葉を見るたびに、わたしは複雑な心境になります。確かに大切な人、愛する人には違いないのだけれど… 病気のためか急に意地悪なモラハラ的言動が目立ってきた夫に耐え切れませんでした。我慢できなかった自分が許せません。あの程度は耐えるべきだった、愛情込めて抱きしめるべきだったという自責と後悔は、たぶんこれからも消えることはないだろうと思います。 いっしょに暮らした年月を思い起こすと甘い思い出のほうが多いはずなのに、今は最後の暗い日々の方が先に思い出されるので、思い出さないようにしているのです。こういうのはつらいです。
管理人 (金曜日, 21 6月 2019 21:34)
テレビ東京の「家ついていっていいですか」 それを見ていると、人それぞれドラマがある。 みんなが人生の主人公。 番組の紹介では、 誰しもが、一見フツーでも 、ぜんぜんフツーじゃない人生ドラマを持っている! 健康にハンデがあってもがんばっている人。悲しい思いを胸に抱えたまま過ごしている人。 出来事に対する感じ方や捉え方で生き方が千差万別。 みんなが何かしらのドラマを抱えて生きている。 誰にも当てはまることだと思うと。誰もが特別な人生ではないかもしれない。
管理人 (水曜日, 19 6月 2019 22:03)
愛する人、生きる糧となっていた人に去られ、 生きることが死ぬことよりもつらいことだと知った。 幸せというものが、すぐそこにあったことも知った。 そう思うのは私だけではないと思う。
管理人 (火曜日, 18 6月 2019 22:02)
大切な人との絆をどこかに残し 想い続けるのは心のよりどころになる。 思い出のものだったり、人それぞれ。 ただ、あれもこれもとなると 執着になってしまう。 過去を見ることで前に行けるもの、行けないもの があるから。
管理人 (月曜日, 17 6月 2019)
大切な人が亡くなってしばらくしてから気が付いた。 当たり前だが、朝出勤してから、帰宅すると部屋の中は何も変わっていない。 テーブルの上に何かちょい置きしたものはそのまま。 そのうちテーブルの上がいっぱいになってくる。 パジャマは脱いだままの形。 洗面所は、ちょっと水がはねたまま。 何度か言われていたけどあまり気にしていなかった。 それらは、やってもらっていたんだなあ。 そして、晴天の日ほど、孤独感、寂寥感が襲ってきていた のを思い出す。
管理人 (金曜日, 14 6月 2019 22:12)
悲しいことが起きると、自分のせいだと 思い込んでしまう。それは大切な人だから。 自分には防ぐことが出来たのではないかという 前提が心の中で起きている。 悲しいことが起きる前の普通の時間が、 悲しいことが起きたことにより、特別なものになってしまう。 悲しいことがなければ、何でもないことなのに・・・
管理人 (木曜日, 13 6月 2019 21:04)
あれからちょうど5年 あのとき 何のために生きていかねば。 眠れない、食べれない。 どこを見ても、何かを見ても思い出す。 そして、たまらなく愛おしい。 できるものなら「助けて」と誰かにすがりたい。 そんな日が続いたなあ。
管理人 (日曜日, 09 6月 2019 22:15)
大切な人を思い出しては泣いていたが、 数年たった頃、気が付いたことがある。 大切な人を思い出して、嘆き悲しむ自分と、 悲しむ自分のことを思い出して、悲しむ自分。 そんな気持ちを、認識してくると、 少し客観的に自分を見ることができてきた気がした。
管理人 (金曜日, 07 6月 2019 21:55)
間もないころ、一時の妄想だけど クローン技術で全く同じ大切な人が出来たとしたら、 どうだろうかと。 でも、肉体は同じでも、いままで培ってきた時間は共有できていないから、 感情は同じようにはならない。 一緒に過ごした時間は、二度と経験することはできない。 大切な人は唯一無二の人だと悟ったら余計悲しみが増していた。
管理人 (金曜日, 07 6月 2019 07:31)
あの日、大切な人は、救急車で搬送した。 救急車に同乗し病院に向う車中では、意識はないのだが、なぜかもう大丈夫という 思いがあり、きっと入院になるだろう。入院に必要なものを、あれやこれやと想像していた。 病院につき、どのくらいの時間経過かわからないが、ドクターから呼ばれた。 治療室に入ると、そこにはいろいろな機器が装着されているのが目に入り、 ドクターからもう蘇生は無理ですと告げられた。 何かドラマの世界で見た光景。きっと夢ではないだろうかという感覚。 機器に表示される波形は全てフラットになっている。 瞳孔は反応しませんと、見せて確認させてくれた。 そして、ドクターから○時○分死亡を確認しましたと・・・ ドラマのように すがりつくとか、名前を呼ぶとか、泣き叫ぶといった ことは無いし、茫然とし、異次元の世界にいる感覚のようだった。 その後、病院の一室で、警察の事情聴取(取り調べ?) 長い時間だったと思う。 今は大丈夫になったが、しばらくは思い出す都度つらかったなあ。
管理人 (火曜日, 04 6月 2019 20:59)
悲しみは、時が解決してくれる。 そんなことを、聞いたときは、 ありえないことだと思っていた。 それは、大切な人が亡くなった後、 この悲しみ、苦しみに耐えられない。 このあと、ずっと続くかと思うと、耐えていけるだろうか。 そんな思いがずっと続いており、このことが、時が解決するとは思えなかった。 ところが、亡くなって4年ぐらいから、 心に変化が出てきたことが感じられた。 決して解決ではないが、悲しみが薄らいできたように思う。 大丈夫、時間はかかるけど同じ状態は決して続かないから。
管理人 (日曜日, 02 6月 2019 22:34)
悲しいことが起きたとき、周りの人は気づかいを見せてくれる。 それは、本当に気の毒に思う心と、 他人の不幸や悲しみを好奇心によって 少しの間だけ人の悲しみをのぞいてみたい心があるのではないかと思う。 でも、いつまでも悲しんでいる人を見たいとは思わない。 そんな人を見ると自分も暗くなってしまうし、 経験者でない限り理解できないものだから。 別に、慰めの言葉が欲しいわけではなく、 悲しみから抜け出せないだけだけど、 他人に気を遣ってしまい悲しみを隠すようになってしまう。 だから、話せる場所で悲しみを話すことが必要だと感じていた。
管理人 (土曜日, 01 6月 2019 21:36)
過去を振り返り、その時の幸せと今現在の自分と比較してしまいがち。 でもそれは、ただの回想。 今は、ただ現在でしかない。
管理人 (金曜日, 31 5月 2019 21:25)
間もないころ、 ちょっとした興味深いことがあったりすると、 大切な人に、話したくなる。でも、ああもういないんだ。 そんなつらい瞬間何度経験したことだろう。 感情のコントロールができなくて、何でもないことに 涙があふれてきていた。人生がつまらない。 たまにだけど思い出すことがある。
管理人 (木曜日, 30 5月 2019 23:48)
亡くなって2年半後の夢 なんとなく妻を探してショッピングセンターの駐車場を車で走っていた時 妻を見つけた。 私:やっぱりここにいたんだ。 妻:ニコニコして、よく見つけたね。 妻は、いつもの席に乗り込み、 他愛のない話をして、妻がここにいることをうれしく思っていました。 温かい感情が胸いっぱいにあふれていた。 目が覚めたとき、嬉しさに満たされていた気がする。 今考えると、それはもう生きてはいないという現実を 納得させるものだったかもしれない。 いろいろなことで、少しづつ亡くなったことを受け入れて くる過程だった気がする。
管理人 (水曜日, 29 5月 2019 21:27)
大切な人が亡くなった後、泣きながら亡き人へ手紙を書いていた。 その内容は、今考えてみると、ある意味、フラッシュバックの一つではなかったかと。 過去の出来事に対して、書きながらつらい想いとして襲ってきていた。 でも、書き終ってしばらくして、苦しくて悲しいこのつらさが、なぜか、今思うと、心が少し浄化されたような気持ちになっていた気がする。
管理人 (火曜日, 28 5月 2019 22:09)
不幸なことには敏感になる。 幸せなことには鈍感。 大切な人を喪って悲しみ苦しむ。 一緒にいる時は、当たり前と思っている。 喪ってから、あの時は幸せだったと後から気が付かされた。
管理人 (月曜日, 27 5月 2019 06:32)
2019年5月26日(日)ル・シーニュ内 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方6名の参加者で開催されました。 暑い中お疲れさまでした。 次回は6月22日(土)となります。
カズ (日曜日, 26 5月 2019 12:49)
管理人様 ありがとうございます。 今の私にはこのホームページを知れたことや 遺された人にしかわからない悲しみや苦しみを共感してもらえる方達がいるという事だけでも救いです。 彼が逝ってしまったあの日から、ひとりぼっちになってしまったと思っていました。でも少しだけそうじゃないんだと思えました。
管理人 (日曜日, 26 5月 2019 10:10)
カズさん 間もないころは、私も同じ思いでした。また、 スーパーで一人買い物をしている時、あれどこにいったのかな。 はぐれてしまった感覚があり、すこし探す行動をしてしまいました。 すぐに、いるはずがないことに気付き、そしていまだに待っている自分に気付きました。 どれだけ待っていても絶対に帰ってこない。 スーパーの中で、涙がこぼれてきていました。 間もない時期は様々な思いが駆け巡ってきます。 遠慮なく、いろいろな思いをここに吐き出してください。
カズ (土曜日, 25 5月 2019 23:49)
管理人様 本当に毎日色々な事が思い出されます。 駅前でいつも迎えに来てくれていた所で待っていてくれるんじゃないかとか...。 でもやっぱりいません。 横断歩道を渡ったり、駅で電車を待っていたり、沢山沢山色々な人がいます。こんなに沢山の人がいるのに、なぜたった一人、私の一番大切な彼だけこの世界に居ないんだろう...。 頭では分かっていても心がついていけないです。 私も皆さんのようにこの悲しみを受け入れ、一歩ずつ生きていかないといけないんでしょうね...。
管理人 (土曜日, 25 5月 2019 21:33)
カズさん書き込みありがとうございます。 大切な人の、優しい言葉やしぐさ。 今は、一つ一つよみがえってくることではとお察しします。 愛しているほどはかり知れない悲しみとなってしまいます。 愛している人の命の灯が消えてしまったことを受け入れるまで 時間はかかるけど、心に入りきらない悲しみをいつか心の中に 収められる日がやってきます。 それまでは・・・・
カズ (土曜日, 25 5月 2019 18:35)
初めて書き込みさせて頂きます。 まだ彼が逝ってしまってから日が浅く悲しみや苦しみで心が押しつぶされてしまいそうです。 答えの出ない事を色々考え涙する毎日です。 私の職場は病院なのですが、5年ほど働いていて、今日初めて亡くなった人がストレッチャーに乗せらて、ご家族と葬儀屋さんと一緒に帰る所に出くわしました。 その方達が通り過ぎた後、私は死ねていいなと呟いていました。 今の一番の願いかもしれません。 死にたいというか、彼のそばにいたいんです。 彼に会いたい。触れたい。 叶わない願いです。
管理人 (木曜日, 23 5月 2019 22:01)
倶会一処(くえいっしょ) 仏教の言葉 この世で死ぬのは別々でも、浄土で再び会える。 共生(ともいき) 仏教の言葉(特定の宗派) 心はいつも誰かとつながっている。 お互いの存在がそれぞれの支えになっている。 支えてくれているのは生きている人だけではない。 あの世に旅立った人も心をしっかりと支えてくれる。 自分に都合がいいところは受け入れるようにしている。
管理人 (水曜日, 22 5月 2019 22:01)
妻が亡くなってから、一緒に行った飲食店等には 行かなくなっていた。最近そんなお店が、閉店となっている。 夫婦でやっていた、イタリアンのお店、ラーメン屋さん、軽食喫茶、 パン屋さん。(夫婦でやっているお店は、無意識に夫婦を観察していた気がする。) 考えてみると、ほとんどの方が高齢になってきていた。 みなさん、お店を閉めてどうしているか。親しくしていたわけでもないから、知る由もないが、 なんとなく、世の中の移り変わりが、むなしく思ってしまう。
管理人 (火曜日, 21 5月 2019 21:04)
間もないころ、日帰り出張で朝早く、夜遅くの帰りになった時、 家に、灯りがついていた。(電気の消し忘れだが。) 灯りを見たとき、あれ、家にいるんじゃないか。 いや待てよ、そんなはずはないし、でももしかしたら・・ 家に入るといないけど、当時は、ずっと待っている自分がいた。
管理人 (月曜日, 20 5月 2019 22:02)
ケイさん書き込みありがとうございます。 どれだけ待っても、 大切な人は絶対に帰ってこない。 もうこの世にはいないのだ。 そう感じたとき、どうしようもない寂しさと、悲しみに襲われました。 でも、やはり時間とともに薄れてきます。
ケイ (月曜日, 20 5月 2019 14:44)
他人事。 確かに私もそうでした。 ご主人をなくされた方に、在り来たりな言葉をかけた事があります。 その時はもし自分が主人に先立たれたらという、あくまでも想像の範囲内の言葉でした。 想像を絶する慟哭。 だからまわりには理解してもらえないのは仕方ないと思う事にしています。 管理人さんの仰るように、同じ経験をした者同士でさえも、全てはわかりあえないとも思いますから。 主人に逢いたいなぁ… 淋しいです。
管理人 (日曜日, 19 5月 2019 23:14)
小さいころの経験や、知らず知らず覚えてきた、ことで こんな時は、こうすればいいとか、 ほとんどのことに対処できるようになっていると思っていた。 自立が出来ていると思っていた。 でも、大切な人が亡くなった時は、自分に対する対処の仕方がわからない。 心の自立が出来ていなかった。 自分の身にふりかかるまではやっぱり他人事だったから。
管理人 (土曜日, 18 5月 2019 20:01)
間もないころは、色々なところで、妻が恋しくなることが多かった。 今は、それほどでもないが、不意に来ることがある。 先日、普段は乗らない地下鉄のエレベーター、そこには、妻を思い出す微かな香水か化粧品の香り。 あぁ、妻が恋しくなるなあ。
管理人 (金曜日, 17 5月 2019 20:31)
ももさん 書き込みありがとうございます。 同じ立場でも、わかり合えないところもあるかもしれませんが、 参考にしていただければ幸いです。
もも (金曜日, 17 5月 2019 09:01)
日課のように管理人さんの文を読んでいます。、 「わたしも同じでした」とおっしゃって、この気持ちを共有してくださる文と、 「間もないころは…」「…を思い出す」「この頃は…」とおっしゃって、この5年間の心の軌跡を吐露してくださる文と、 「今とてもつらい人にも、きっと悲しみが薄らいでいく日が来るはず」とおっしゃって、励ましてくださる文。 これらの文が、いま、わたしの心の杖です。
管理人 (木曜日, 16 5月 2019 21:00)
悲しみの深さと大切な人と過ごした日々の喜びの深さは、同じ気がしている。 大切な人を喪い、短い時間で悲しみは消えるはずはないし、かといって、永遠に続くものでもない。 間もない時は、日々の記憶がはっきりと残っている。 時とともにその記憶が薄らできている。 もし、大切な人と過ごした日々の記憶がそのまま残っているようだと、 多分、生きていけない気がする。 悲しみも、長い長い時とともに薄らいでいく。 今、とてもつらい人にも、きっとその日が来るはず。
管理人 (水曜日, 15 5月 2019 23:38)
自分で料理を作り始めたのは、亡くなって一年後から。 もう四年になる。ほぼ決まった食器を使用しているが、 最近気が付いたことがある。グラスやお皿はくすんでくる。 いままで見たことがない。間もない時、多くあった食器は泣きながら処分していた。 きっと、料理に合う器があって、美味しそうに見える工夫があったのかな。 この食べ物には、このお皿が似合うとか、お皿や、グラスがくすまないように なにか、工夫していたのか、買い替えていたのかはわからない。 すこしでも美味しいと思って食べてほしかったのかもしれない。 そういえば、お店でお皿を選んでいた光景が浮かんでくるなあ。
管理人 (火曜日, 14 5月 2019 21:20)
間もないころは、ちょっとしたことで、泣いていた。 朝仕事に行くとき、シャツのボタンが取れたとき、 缶詰のプルトップが外れ、缶切りを探しても缶切りが見つからなかったとき、 それまでには、そんなことで、泣くことは無かったのに。 そんな日々がしばらく続いていたのを思い出すときがある。
ケイ (月曜日, 13 5月 2019 00:41)
管理人様 コントロールできない… 本当に本当に… 主人以外の事を考えようとしても… 全てが主人に繋がってしまう… 今は思いっきり泣きます。 世界一の悲劇のヒロインだと思いながら… やはり「時薬」なんですね。 今はまだまだ信じられませんが…
管理人 (日曜日, 12 5月 2019 23:32)
ケイさん 淋しくて寂しくてたまらない。私もそうでした。 私は、思いっきり淋しがりました。というか、コントロールできませんし。 いないということに絶望し、そこから、いないことに慣れてきてます。 むしろ、今は思いっきり淋がっていいのだと思います。
ケイ (日曜日, 12 5月 2019 13:42)
管理人様 いつも有難いアドバイスをありがとうございます。 今日のように行事がある日曜日はいつも以上に淋しいです。 独りを痛感しています。 「何故、独りで逝ってしまったの?」 「いくらなんでもルール違反でしょ?」 「何故、私を独りにしたの?」 答えのない淋しさに更に落ち込むの繰り返し… 淋しい・・・
管理人 (土曜日, 11 5月 2019 22:41)
大切な人が亡くなったことで、人生は大きく変わってしまう。 亡き人への思いから 自分は、楽しい思いをしたり、美味しいものを食べてはいけない。 という方のお話をよく聞きます。 でも、生きていくのは、自分自身。 自分の人生は自分が主体的に選択して、生きていくことだと思う。 一度しかない人生だから。
管理人 (金曜日, 10 5月 2019 22:07)
亡くなった後に、生きている時にはわからなかったことに気付くことがある。 色々なことに依存していたこと。 若かりし頃のメモや、タブレットの中に日記らしきものを見つけ、 大切な人の様々な思いを知った時。 それをきっかけに、大切な人への思いがますます愛おしくなったりする。
管理人 (木曜日, 09 5月 2019 21:02)
ケイさん 書き込みありがとうございます。 夫婦はどちらかが遺される。 当たり前に、理解しているはずなのに、 なぜか、根拠があるわけでもないが、一緒に暮らしていると、ずっと一緒にいられると思ってしまう。 死別することなどまだまだ先の事と信じてしまう。 ちょっと、パートナーに申し訳ないことをしていても、いつでも埋め合わせができるし、 ご機嫌を取ることもできる。そんな日常が当たり前になっていたのに。 悲しいことが起きたとき、信じられないと同時に、受け入れられない。 もう二度と埋め合わせできないことや、様々な思いに、苦しんだのを思い出します。
ケイ (木曜日, 09 5月 2019)
こんばんは。 そうなんです。 主人が今でも元気でいてくれたなら、相変わらず友人と 「旦那が、あ~だ、こ~だ。」 なんて話していたと思います。 今思えば、なんて贅沢な悩みだったのだろうと思います。 でもきっと、誰しもが同じなんですね。 まさか、主人が逝ってしまうなんて、その瞬間まで全く思ってもいなかったのですから。 それでも、やはり思ってしまいます。 主人にもっと優しくすれば良かったなぁ…
管理人 (火曜日, 07 5月 2019 22:03)
間もないころは、いろいろな後悔があった。 その一つに ちょっとした、言い合いがあった後で、 ちょっと前まで言い合いしていたことは忘れて、 スマホに保護フイルムを貼ってほしい と言い出した。 まだ、ご機嫌斜めな私は、そんなもん自分で貼ればいいじゃないか。 私は苦手だから頼んでるのに、お願い。 やだよ。 そんな他愛のないこと。 貼った後をみるとエアーがいっぱい嚙み込んでいた。 私:これはちょっとひどいなあ。 妻:いいよ。しかたないよ。と悲しそうな表情。 亡くなってから、そのスマホを見たとき、あの時、どうして悲しい思いをさせてしまったのだろうと。 何事もなければ、後悔する事ではなかったのに。 多分、理由はひとそれぞれかもしれないが、 ちょっとした事の一言が大きな後悔になっている人が多いのではないだろうか。
管理人 (日曜日, 05 5月 2019 23:49)
なんか、生きていくのに、一生懸命走っていると、疲れてしまうこともある。 そんな時は休むことにしている。 (間もないころは休むことが出来なかったけど) 休むことで、弱音が出たり、泣きそうになったり ネガティブなことが出てくることがある。 だけど、そうすることで、自分の気持ちを再確認できたり、 時には、ポジティブに思考を変えることができることもあるから、 しずかに休むことにしている。疲れたら休むのは当然のことだし。
もも (土曜日, 04 5月 2019 22:52)
なんと哀しく、そして美しい文章! 管理人さんの感性に目頭が熱くなりました。
管理人 (土曜日, 04 5月 2019 21:52)
亡くなって一年ほどして、冷蔵庫を整理していたら、 タッパーに入っている練り梅があった。 中を見ると、そこには箸ですくった後がくっきりと残っている。 思わぬ痕跡を目にし、そこには確かな大切な人の存在を感じた。 その光景を想像したり、二度と会えないことに号泣したのを覚えている。 それから、3年たってやっとそれを処分することが出来た。 そのまましておくと、前に進めない気がしたことと、もう執着しないという思いがあったのだと思う。
管理人 (金曜日, 03 5月 2019 22:04)
ももさん いそいでも、ゆっくりでも まっすぐ進んでも、 車が車線変更するように右に左に振れても、 いずれ目指すところにたどり着くと思います。 あせらずに・・・
もも (木曜日, 02 5月 2019 22:49)
今を淡々と生きる…今のわたしにとってこれほど難しいことはありません。伴侶を粗末にしてしまった罰なのではないかと思われるほどの寂寥感と苦痛と心配ごと。そんな中で感謝の気持ちを必死で探っています。 花に、空に、出会いに、本に、人の情に、心から感謝の気持ちが持てるようになったら、きっと癒されると思う。今日から努力してみます。いつかきっと、いつかきっと…
管理人 (木曜日, 02 5月 2019 22:20)
行雲流水(こううんりゅうすい) デジタル大辞泉より 空を行く雲と流れる水。物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せて行動することのたとえ。 過去はやり直すことはできない。 過去の時間はどんなにあがいても取り戻せない。 今を淡々と生きることを教えてくれている。
管理人 (水曜日, 01 5月 2019 20:08)
見えない不安はなんだろうか。 見えない不安は思い過ごしが多いのでは。 何とかなるさで何とかなる。 と思うようにしている。
管理人 (火曜日, 30 4月 2019 21:00)
ももさん この時期、新年号と、10連休のゴールデンウイーク。いつもと違うもの。 そして、季節の変わり目。と変化の多い時期です。 変化は、心にとってつらくなるものでもあるようです。 今はできないかもしれないけど、 色々なことに感謝することかな。 大切な人に感謝する。 きれいな花を見て、きれいと感じ、その出会いに感謝する。 感謝は、心を癒してくれることがありますよ。 悲しい時は、心から悲しむことと、感謝の心も持つこともいいと思います。。
管理人 (月曜日, 29 4月 2019 22:30)
間もないころ、YouTubeでたまたま見つけた二つ目の動画 当時は号泣。当時の動画は消えていたが 類似動画がありました。 妻の死を受け入れられないセキセイインコ https://www.youtube.com/watch?v=gKsMME2S8Do リンクは「会について」の下側にあります。
もも (月曜日, 29 4月 2019 22:09)
管理人様 毎日書き込みを読ませていただいています。今まで見た中で一番心に響くものを感じ、朝に夕べに見ています。わたしもいつか管理人さんのように清冽な言葉が書けるようになりたいですが、今は再び揺り戻しというか、苦しくてつらくてじっとしていられないことがあります。床に就く時間、起き出す時間、一日に何度も・・ じっと我慢して月日が流れるのを待つしかありません。
管理人 (日曜日, 28 4月 2019 22:30)
大切な人を喪うことで、新しい役割を引き受けることになる。 それは、考え方によっては、新たな一歩を踏み出すもの。 新しい役割を自分でやるとは思っていなかっただけに、 新しい能力が必要になる場合もある。 そして、新しいスキルを手に入れさせてくれると思えば、 大切な人への感謝。そして一体感を感じることができるかもしれない。
管理人 (土曜日, 27 4月 2019 22:32)
2019年4月27日(土)ル・シーニュ内 6階 第3会議室 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方6名の参加者で開催されました。 亡くされて数カ月の方々のお話がメインとなった時間でした。
管理人 (木曜日, 25 4月 2019 21:22)
訂正:4月27日(土)雨宿り開催会議室 事情により、申し訳ありませんが今回第7会議室→第3会議室に変更になりました。 Aグループ、Bグループとも同じ会議室となりますが、 会議室の中では別々に分かれての開催となります。 よろしくお願いします。
管理人 (水曜日, 24 4月 2019 22:23)
大切な人を亡くした時、その悲しみは、想像を絶するもの。 だけど、社会生活を維持するため、そんな感情を抑え、 無理をして、周りに気付かれないような、振る舞いをしてしまう。 悲しみに向き合うことが、難しいこともあったりもする。 話せる場所で、同じ立場どうしで、つらい気持ちを誰かに聞いてもらう。誰かの話を聞かせてもらう。心の整理には必要だと思う。
管理人 (火曜日, 23 4月 2019 23:01)
人は必ず亡くなる。 その時は、 やっと来てくれたのね。待ってたよ。 そう言ってくれる気がする。
管理人 (月曜日, 22 4月 2019 21:21)
最近、悲惨な車の暴走事故が多い。 亡くなった人を気の毒に思う。 でも、自分が、遺される立場の経験をしてから、 亡くなった人だけではなく、遺された人の事まで考えるようになった。 その日、自分の人生が変わることを知って、朝目覚めた人 そんな人はいないと思う。 そして、遺された多くの人の人生が予期せぬ方向に向かってしまうことになってしまう。 たまらない・・・・自分と被ってしまう。
管理人 (土曜日, 20 4月 2019 22:00)
ももさん 書き込みありがとうございます。 人それぞれ、自分に合った過ごし方があります。 すぐに、自分を変えようと焦らず、自分に合う 過ごし方をしながら、気長に変化を見ていくことでよろしいかと。
もも (土曜日, 20 4月 2019 09:05)
以前はこの季節が一年中でいちばん好きでした。朝、張り切って起床したものです。今は、朝起きる時間と夕暮れがいちばんつらい時間です。 取り返しがつかない、ああすればよかった、ああしなければよかった、愛情が足りなかった…スパイラルのように、渦潮のように押し寄せては引き、また押し寄せる・・そんな自分をなんとかしなければといろいろ試みているものの、結果は同じ。これから命日に向かって半年、さらなる苦痛が待っていると思います。 管理人さんは次第に「渦」を客観化して、ご自分と、ご自分を超えたご自分とを分けて見つめていらっしゃいます。そこまで行くつくのにやはり5年近い年月があったのですね。5年…今のわたしには遠い遠い道のりに思えます。 客観化のためにどうすればいいか? わたしは瞑想・マインドフルネスというものを自己流で始めてみました。10分間だけ(20分が理想)深呼吸だけに集中するのです。いろいろ頭の中に考えが入ってきたら、すぐに呼吸に意識を集中させることに戻る、その繰り返し。そのうち、リラックスとか、心を「今」だけに集中させることもできるようになるとのことなので、一縷の望みをかけています。もっとうまくできるようになったらまたご報告をします。
管理人 (金曜日, 19 4月 2019 21:34)
きっかけがあるわけではないが、計画停電の時を思い出すことがある。 不便ではあるけれど、ろうそくの灯りで二人で過ごす時間は今思うと、格別なもの。 普段話さないことも、話せた気がしている。 なによりも、大げさだが危機に対する一体感がここち良いものだった気がする。 やっぱり会いたいなあと思ってしまう。
管理人 (水曜日, 17 4月 2019 22:37)
ももさん。私も同じでした。 なぜ一人で先に逝ってしまったの? 私の存在は何だったのか?どうやって生きていけばいいのか? そして、気づけなかったという強い自責感をともなう自問となってしまいます。 そのことで、時間は止まったまま。心の整理がつかないまま、悲しく苦しい時を過ごすことになりました。 時間を待って過ごしていく。それも大切なことです。 時間をかけて、考え方を変えてきました。 間もない時から、大切な人へ手紙を書いてます。それも心の整理には役に立ちます。 悲しみを知ることは、逆に喜びを知っていたから。 ここに思いを書き込まれてもいいかと思います。
もも (水曜日, 17 4月 2019 11:14)
初めての書き込みです。管理人さんはほぼ毎日のように書いてくださっているんですね。1~147まで一気に読みました。今までみたどのサイト、どのブログより胃の腑にストンと落ちていくものを感じました。わたしも「音」がつらいです。自分が立てる音しかしないということが独居ということをいやでも感じさせます。今は一日中CDをかけています。 先日「分かち合い」というものに初めて出てみました。司会の人に「みなさん、それでは自己紹介代わりに個人の年齢とか亡くなった病名とかを順番に話してください」と言われがっくり。ああ、病死ならよかったのに・・病死と自死とは決定的に違う、と思いました。個人のことをたくさん語るのが良いとも言われますが、今は遺影を見るのもつらい、昔のことを思い出すのもつらい、遺品を目にするのもつらいです。 長い交際の後の結婚、ざっと50年の歳月でした。寄り添ってあげられなかったという自責感で、自分の今までの人生は何だったのかと自問しています。自分にもやがてこの世からいなくなる時が来る、残りの年月をどう生きるか、そればかり考える毎日です。
管理人 (火曜日, 16 4月 2019 23:12)
間もないころ、音に敏感になっていた。自分だけかもしれないが。 例えば、グラスやカップをテーブルに置いたときの音。 それが気になって、テーブルにタオルを敷いてグラスの置く音が出ないようにしていた。 今は大丈夫になったが、その当時は多分、自分で出す音が「ひとりのつらさ、さみしさ」を 無意識に感じていたのかなぁ。2年半くらい続いていた気がする。
管理人 (月曜日, 15 4月 2019 21:03)
僧侶の方に定命ってあるのだろうか?と聞いている方がいた。 これについては、肯定も否定もできない。 定まった命、運命ととらえられたら。苦悩は楽になる。 これも、自分の都合の良いように考えるのがいいと思う。 私はそのように考えることにしている。
管理人 (日曜日, 14 4月 2019 23:42)
大切な人の誕生日には必ずケーキを買ってお祝いしている。 大切な人は心の中で生き続けているから。
管理人 (金曜日, 12 4月 2019 21:24)
大切な人が亡くなった時、 悲しみでもあるけど、願いや、努力、自分の力が及ばない虚しさ。 もはや絶対に届かぬ世界。生きている自分とのどうしようもない断絶感。 ここにいる自分の存在が何なのかわからなくなっていた。 人は必ず亡くなるなのだと、自分に言い聞かせても 理性では、納得できない。悲しみ苦しみはずっと続いていた。 5年近くたった今は、当時どのように過ごしたか、記憶はあいまいになってはいるが、 間もないころとは格段に違っている。 理性では解決できないけれど、時間が気持ちを楽にしてくれているようだ。
管理人 (水曜日, 10 4月 2019 22:32)
「風に吹かれる柳のように、しなやかに生きる」と言う言葉があった。これを学ぶことにした。 とてもつらい悲しみ、苦しみと言う風に向かって、がんばるわけではない。 とてもつらい悲しみ、苦しみに立ち向かっても「よけい苦しいだけ」を知ったことだし。
管理人 (火曜日, 09 4月 2019 21:52)
間もない時、どん底まで落ちようと思った。 きっと、この苦しさは底なしではないはず。 底まで行ったら、後は這い上がるだけ。 そうしているうちに、自分を客観的に見れるようになり、いろいろな考え方ができるようになった。 何もかも失ったわけではない。まずは、健康な体があるではないかと。
ケイ (火曜日, 09 4月 2019 00:41)
管理人さん ありがとうございます。 永年の生活が何の予告もなしにあの日突然変わってしまいました。 やはり管理人さんの仰るとおり、新しい生き方に慣れるまでは時間が必要なんですね。 淋しい…辛い…と言いながら最後には諦める? 順応していくしかないのかも知れないのですね。 いつもありがとうございます。
管理人 (月曜日, 08 4月 2019 21:27)
ケイさん 気持ちは行きつ戻りつの繰り返し。私も同じです。 魔法の言葉は存在しないのですし、 考え方や、生き方が変わっていくには時間がかかります。 そのゴールがどの程度のものなのか、達してみないとわからないものです。 時期を待って過ごすことだと。 悲しさ苦しさを無くそうとしても無理があります。 悲しさ苦しさとどう折り合いをつけるかだと思います。
ケイ (月曜日, 08 4月 2019 07:29)
揺り戻しでしょうか… 一時期は、少しはまとまった睡眠がとれるようになっていました。 それがまた短いサイクルで目が覚めるようになってしまいました。 華やぐ季節がやって来ました。 お花見を家族で賑やかに過ごす光景を目の当たりにする事が多々あります。 昨年までは私も満開の桜の木の下で主人と写真を撮りました。 一年後のこの淋しさ、辛さなど全く想像もしていませんでした。 揺り戻しを何度も何度も経験しながら少しずつ少しずつ元気になれるのでしょうか…
管理人 (日曜日, 07 4月 2019 21:56)
つらい、苦しい日々が続いたとしても、 一日の中で、少しの時間でいい。 美味しかったとか、自然に触れて心が癒されたり、 楽しいと思える時間があるだけでも、いいと思う。 それがあれば、今日はいい一日。 そして、そんな時間があれば生きていけると思えるようになってきた。
管理人 (土曜日, 06 4月 2019 21:54)
なぜ、どうしては本人しかわからないから答えは見つからない。 あがけばあがくほど、悪い結果をもたらしてしまうことがあるのではと思う。 そこに、注力すると視野を狭めてしまうから。 間もないころは、だれも幸福にならない迷路にはまっていたようだ。 自分の悪いところばかり探して正当化し、苦しんでいた。 今は、本人しかわからない事だから、誰のせいでもない不幸があることがわかるようになった。
管理人 (金曜日, 05 4月 2019 21:41)
大切な人を亡くして、言葉は難しいということを感じる。 この悲しみ、苦しみの表現する言葉がないのだ。 言語化するということはとても難しい。 だから、苦しみから逃れることはできず、他者にうまく伝えることができない。 それは、大切な人にも言えるのではないだろうか。 死にたいほどの苦しさを、表現できなかった。伝えることが出来なかった。だから気づいてあげることが出来ない。 本人しかわからないことなんだ。
ケイ (金曜日, 05 4月 2019 07:39)
管理人さんと私も同じ思いでいます。 主人に妻として私は何も出来ませんでした。 唯一の救いが私が後に残ったという事です。 こんなに想像を絶する慟哭な目に合うのが私で良かった。 本当に本当に良かった。 それだけがせめてもの救いだと自分自身に言い聞かせています。
管理人 (木曜日, 04 4月 2019 21:21)
大切な人が亡くなるとあまりにもつらく、まるで真っ暗なトンネルの中に入ったようになる。 そして、どうやっても、事実は変えられるものではないことがたまらなく苦しい。 でも、そこに必ず隠れているよかったことがあるはず。 私は、先に大切な人を見送ってよかったと思ってます。 遺されることが、こんなに苦しいのなら、こんな思いを自分が引き受けてよかったと。 よかったを探すこと。 事実は一つだけれど、考え方でこれからの進み方(生き方)が変わってくると思う。
管理人 (水曜日, 03 4月 2019 21:35)
二人で一緒の生活が長いと、時には一人になりたい気持ちが出てくる。 休みの時は、二人で出かけることもない場合、一人で電気量販店に行くことがあった。 特に欲しいものがあるわけではない。最新の情報に興味があったこともある。 一人になれる空間としてはいい。 亡くなってしまったら、ずっと一人は嫌だという思いが強くなっていくばかりだから、一人になりたくて電気量販店に行くことは無くなったけど、今は、誰とも話をしないことが続くと、誰かと会話したくて電気量販店に行くことがある。店員さんと買う気はないけど話をすると気持ちが楽になるときがある。
管理人 (火曜日, 02 4月 2019 21:48)
ケイさん 私も、最初の春は、予期せぬ苦しみに不意打ちをくらったようでした。 いつかは、やわらかい温かい風がケイさんの頬を撫でたとき 大切な人を感じることができます。 ケイさんにきっと大切な人の優しい言葉が聞こえてくると思います。
ケイ (火曜日, 02 4月 2019 09:51)
桜の花がこんなに淋しく感じたのは生まれて初めてです。 大好きな春の匂い… それさえも辛く悲しい限りです。 人々の動きが活発になる中、自分一人が取り残されたようです。 暖かな日差しが辛い季節になりました。 「令和」 新しい年号さえも悲しい。 また一つ、主人と分かち合えないものが増えただけです。
管理人 (月曜日, 01 4月 2019 22:23)
4月は新しいものが始まる季節。 今年は新元号の始まりでもある。 桜も咲き誇る。さまざまなこと思い出す桜かな(芭蕉) 句にあるように人それぞれ思いがあり、 間もないころは桜がつらい季節。 自分もそうであったように、多くの方がつらい想いをしているのではないだろうか。
管理人 (日曜日, 31 3月 2019 21:41)
孤独にはいろいろな孤独がある。 一人でいる孤独。 誰かといるけど、わかりあえない孤独。 自死遺族は、わかり合えない孤独に苦しむことがある。 そんな思いをしている人がいっぱいいるのは事実。 だから、ここには仲間がいると思う。
管理人 (日曜日, 31 3月 2019 19:19)
2019年3月30日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方6名の参加者で開催されました。 同じ立場ならではの、共感できるものが多かったと感じた時間。
ケイ (土曜日, 30 3月 2019 03:12)
いつも思っています。 主人は今はどこにいるのだろう…- いつも傍にいられたのに、あの日を境にどこへ行ってしまったのだろう… それがわからないから淋しいし、苦しいのかも知れません。 「あそこ」にいる。 「何々」をしている。 それが分かれば少しはホッと出来るのかも知れません。 「わからない」は人をとても不安な気持ちさせます。 「自分の都合の良いように考えるのが一番。」 管理人さんの教えはいつも有難いです。
管理人 (金曜日, 29 3月 2019 21:22)
心の中で疑問が起きたとき、結論を出したくなる。 どうして、なぜという疑問。 そうしたときに、考えすぎることをしないで ただ、あるがままを受け入れる。 答えが出なくてもその中途半端な気持ちと暮らしていく。 そうやって過ごして来たら、答えが見つからないことが 当たり前と思えるようになってくるから。
管理人 (木曜日, 28 3月 2019 22:13)
亡くなった人はどこに行くのだろうと言う人をたまに見かける。 それは、亡くなっても苦しい思いをしていたらどうしようとか。亡くなった人を心配している。 これには正解がない。だから自分の都合の良いように考えるのが一番。 私は、すべての人が亡くなったら、浄土(苦しみのない世界)に行くと思っている。 (極悪人と言われる人も、そうでない人も) 亡くなったら、向こうの世界の人がお迎えに来てくれて浄土に案内してくれる。 だから、自分が亡くなった時は、大切な人が迎えに来てくれると思っている。 極悪人と言われる人は、誰も迎えに来ないので、自分で浄土に向かうのだと思う。
管理人 (水曜日, 27 3月 2019 23:02)
多くの知人を亡くしている。自分より年下が半数くらい。 病院で知人の家族と一緒に看取り、自宅まで同行したケースもある。 その時までは、亡くなった人との思い出を懐かしむことが出来ていた。 しかし、自分のパートナーの場合はそれが出来ない。 病気で亡くされた場合は、家族や友人知人で思い出の話ができるが、 自死の場合、それが出来ないから、過去の出来事にならないようだ。 そんな心を抱えたまま、つらい思いをしている方は多いのではないだろうか。
管理人 (火曜日, 26 3月 2019 20:41)
どんな人にも、誰も知らないその人だけの物語がある。 それはとても大切なもの。 大切な人が、深く心に残っていることは、 人生幸せの証。 人は、生きていく中で、いろいろなものを失う。 心の中で生きている人がいることは大きな宝物を得ていると思う。
管理人 (月曜日, 25 3月 2019 22:20)
美味しいものを食べる。 美味しくものを食べる。 この違いを最近強く感じる。 同じものを、一人で食べるより、誰かと一緒に食べると 美味しく食べることができる。 誰かが美味しそうに食べているのを見ると自分も美味しく食べられる。 あの日から、一人で何を食べても美味しくないからなあ。
管理人 (金曜日, 15 3月 2019 23:40)
ケイさん 様々な想いが出て、つらくてたまらない。 なんとかして早く立ち上がりたい。 うまくはいかない。さらなる苦しみが襲い掛かることもあります。 立ち上がれないことにさらに苦しみます。 前に進もうと思わず、立ち止まって時期を待つことだと思う。それには今を淡々と・・ つらく淋しいのは、愛の証だから。
ケイ (金曜日, 15 3月 2019 01:02)
あの時こうしていれば… まさに今の私は毎日、毎日そう思っています。 管理人さんの仰るとおり、まだ主人がどこかにいるように思ってしまうからですね。 そう思わないと潰れてしまう。 頑張って生きていれば主人はきっと帰って来てくれる。 それだけにすがって生きているようです。 亡くなったことを受け入れるのにはまだまだ時間がかかりそうです。 何故、淋しい気持ちには飽きる事がないのでしょうか?
管理人 (木曜日, 14 3月 2019 20:55)
間もない時は、あの時こうしていればという仮説と現実の世界を行き来する。 後悔するのは、諦めきれないから。亡くなったことを心が受け入れられない。 亡くなったことを受け入れることで、後悔が無くなってきたように感じる。 いない現実を過ごすうちに、どうすることもできないことに少しずつ気がつき、諦めと同時に受け入れられたのかもしれない。 でも、悲しみは消えるわけではないなあ。
ケイ (土曜日, 09 3月 2019 08:47)
管理人さん 笑える日はきっと来る! そう信じて淡々と… あの日から全てが変わってしまいました。 だから時間がかかるのは仕方ないと思えばいいのですね。 この苦しみを経験していない人達の心ない言葉は気にすることはないから。 一人ではない… この言葉にどんなに救われているか。 いつもありがとうございます。
ケイ (土曜日, 09 3月 2019 02:29)
αさん 本当に… また笑顔に戻れる日がいつの日か来るのでしょうか。 暖かくなれば暖かかった日の思い出が。 春になれば春の思い出が。 まわりが華やげば華やぐほどに淋しくなる。 じっと今はただ、淡々と生きるしかないのですね… いつもありがとうございます。
管理人 (金曜日, 08 3月 2019 22:08)
αさん 私も「Lemon」に心揺さぶられました。 「冬の花」は涙がでました。 同じ思い嬉しく思います。
管理人 (金曜日, 08 3月 2019 22:07)
ケイさん この出来事はあまりにもつらいものです。 今までできていたことができなくなる。 経験された方は、その心情を痛いほど理解してます。 めげないでいてほしいが、すぐには無理だから、時間がかかることだと感じていると思います。 αさんのおっしゃる通り決して一人ではないのです。 そして、笑える日はきっときますよ。
α (金曜日, 08 3月 2019 10:49)
管理人さん 初めて聞いた時、『Lemon』よりも『冬の花』には感情を抑えることが出来ませんでした。 ですから、管理人さんのコメントは私も嬉しかったです。 ありがとうございました。
α (金曜日, 08 3月 2019 10:37)
ケイさん、私たち夫婦もまるっきり正反対な二人でした〜 突然、あの日・あの時から一転してしまうのですよね…。 “ 回復 ” って考えないようにして、“ 今はただひたすら目の前を淡々と生きていくだけ ” と管理人さんがおっしゃっていた通りなんだと私も思うのです。 簡単そうで難しいですけどね… 私もいつかあの頃のように痛みがあっても笑いたいな〜
ケイ (金曜日, 08 3月 2019 03:10)
音楽… 私も大好きでした。 カラオケも大好きでした。 今はまだ、音楽を聞いたり、歌を歌ったり出来るまで回復をしていません。 音楽以外の音にも敏感で、自分の変貌ぶりに自分でも戸惑っています。 CDを聞きながらお料理をしたり、掃除機をかけたりしていた私は何処へいってしまったのでしょう。 にぎやかな事が大好きで、人とおしゃべりをする事が大好きな私は何処へいってしまったのでしょう。 主人はどちらかというと、物静かな人でした。 そんな主人を笑わしたくて傍でラインダンスをする私を呆れた顔で見ていたっけなぁ。 いつかまた、笑える日が来るのでしょうか。
管理人 (木曜日, 07 3月 2019 22:03)
αさん 書き込みありがとうございます。 一人で生活していると、当たり前ですが こんな想いに対して、誰も肯定も否定もしてくれることはありませんので、 同じように感じていて下さったのは、うれしく思います
α (木曜日, 07 3月 2019 11:57)
“ 旅みたいだね 生きるってどんな時でも… ” “ 生きているから涙が出るの ” 私も初めて聞いた時に切なさでいっぱいでした。
管理人 (水曜日, 06 3月 2019 23:56)
音楽は不思議な力があると感じることがある。 懐かしい歌は、その時の自分の言葉、雰囲気や自分の感情。 そして、相手の言葉や表情までが瞼に浮かんでくる。 懐かしい歌ばかりではなく、初めて聞く音楽。 なぜか切なくなることがある。 (TV番組「後妻業の女」の主題歌 冬の花) 多分、自分だけかもしれないが。
ケイ (月曜日, 04 3月 2019 19:47)
αさん いつもいつも優しいお返事をありがとうございます。 独り暮らしで心細い毎日の中、何度も何度も読ませてもらっています。 どうしても目の前を見てしまい、独りなんだと思ってしまいます。 ありがとうございます。 管理人さん、αさん、この掲示板を見ている方々… みなさんと繋がっているのですね。 すごく心強いです。 『漂流郵便局』 初めて知りました。 ありがとうございます。 文字にする事は大切なのですね。 いろいろな事を教えて下さり、ありがとうございます。 また掲示板でお話が出来たら嬉しいです。 ありがとうございました!
α (月曜日, 04 3月 2019 11:12)
ケイさん 管理人さんがおっしゃるように『つらい思いを書く〜文字にすることはいいこと』だと私も思います。 私はあの頃…自分の思いを全て書いて『漂流郵便局』留めの主人宛へ送っていました。 書くことで少しだけですが “癒される” 思いがありました。 ケイさん!一人じゃないから‼︎ 現実的には独りかもしれませんが、管理人さん含めこの書き込み帳を見てケイさんのこと思う人がいるから〜
ケイ (月曜日, 04 3月 2019 02:31)
管理人さん いつもありがとうございます。 見るもの、聞くもの、全てが主人に結び付き、可能であるならば24時間眠りの中へ逃げていたい思いです。 祖父母、父親をすでに亡くしていますが、この世にこんなに辛く淋しい別れがある事を初めて知りました。 自分自身が自分自身ではなくなってしまったような、何故私だけが生きているのかさえわからない状態です。 「必ず出口を見いだすことができるはず」 そう信じて、今の自分に出来る事から少しずつ少しずつ・・・ いつも温かなお返事をありがとうございます。
管理人 (月曜日, 04 3月 2019 00:28)
ケイさん 愛おしくて、寂しくてたまらない。 すぐにでもこの苦しみから抜けだしたいという思いお察しします。 後悔は過去から、不安は未来からと言います。 今は、ただひたすら目の前を淡々と生きていくだけかと思います。 苦しくてたまらなくても、そうしていると自分でも思いがけなく心が変化してくる時がきます。 つらい思いをここに書き込んでください。文字にすることはいいことだと思います。 ぎりぎりまで追い詰められたとしても必ず出口を見いだすことができるはずと思います。
ケイ (日曜日, 03 3月 2019 18:57)
何度も書き込みをしてごめんなさい。 教えて下さい。 私は独り暮らしです。 毎日、24時間、独りです。 淋しさと不安に押し潰されながら生きています。 家の中で出来る以前からの趣味をやりかけましたが、全てが主人に結び付き、辛くなりやめました。 精神的に外出はまだ辛いです。 どのようにこの淋しさと不安を対処していけば良いのでしょうか。 何か具体的な方法はありますか。 ただひたすらに流れに身を任せ我慢するしかないのでしょうか。 独りでは何を食べても味気ないです。 テレビをつけていますが、どうしても「夫婦」「家族」の言葉が辛くなります。 泣いて泣いて暮らしています。 よろしくお願いします。
ケイ (木曜日, 28 2月 2019 03:29)
管理人さん まだまだ辛く淋しい日々を過ごしています。 元々独りには弱いので尚更に独りの淋しさを痛感しています。 「苦しみの激流に抵抗しようとすると、よけい苦しくなる」 私はどうしても辛い日々の中、解放されたい思いから、激流に抵抗し、もがき苦しんでいました。 ありがとうございます。 流れにまかすことが大切だと教えて頂きました。 「何とかなるさ」 このように思えるようになるにはまだまだ時間がかかりそうですが… 目標にさせて頂きたいと思います。 いろいろな思いが入り交じり、まるでジェットコースターにでも乗っているようで、自分の気持ちのアップダウンにも疲れてしまいます。 いつも物事の大切な捉え方を教えて頂きありがとうございます。 管理人さんもお身体を大切になさって下さい。
管理人 (水曜日, 27 2月 2019 23:03)
ケイさん 私も、固定電話のプラグを抜いてますし、 ごみ出しも同じようにしていました。 そして、他人の目も気になるのも一緒です。 友人の方も経験者でない限り、理解できない事は仕方がないことです。。 人には心の自然治癒力があると言います。 私はそれを信じています。 流れにまかすこと。 苦しみの激流に抵抗しようとすると、よけい苦しくなるから。 そして、自分の物差しを持つことだと思います。 一般的に「こうしなければいけない」「こうでなければいけない」ということは気にしない。 「何とかなるさ」という気持。 頑張りすぎないようにして、過ごしていると、ちょっとしたことが心に入ってくることがあります。 参考にしていただければと思います。 ケイさん、αさん書き込みありがとうございます。
ケイ (水曜日, 27 2月 2019 18:12)
αさん いつも優しい書き込みをありがとうございます。 今回も読ませて頂いている間に涙があふれてきました。 私は今、独りが心細くて不安なのだと泣きながら気付きました。 主人が不在だからなのか、自死だからなのか… 近所の方々などの変貌ぶりもとても怖いです。 私には兄弟もなく、再婚をしている母親とは疎遠になっているため、身内が一人もいません。 唯一古くからの友人に相談をしています。 とても親身になってくれていますが、何ヵ月間も立ち直れない気持ちは理解し難いようです。 ご主人が健在な方には、なかなか理解してはもらえないと思います。 αさん… 本当にいつもありがとうございます。 お身体を大切になさって下さい。 何故この世には「自死」があるのでしょうか……
α (水曜日, 27 2月 2019 11:43)
ケイさんへ また、出しゃばってごめんなさい。 ケイさんのお話しが自分の約4年前と同じで驚くばかりです。 そうそう、インターホン・固定電話offして…ゴミ捨ても薄暗い明け方でした。 地方でしたので周りの他人、目も怖かったです…。 こんな生活を続けていても… 私もそう感じ始めていました。 闘病中にもかかわらず通院も出来ずにいた私を見かねて兄から転居を提案されました。 彼との思い出の詰まった家の売却や見知らぬ土地への不安等…色々と悩みましたが、決心しました。 今現在「逃げてしまった」という思い・自責の念が強くなり転居が正解だったとは思いませんが… ケイさんへのアドバイスが出来ていませんね〜ごめんなさい。 ただ、いつもケイさんの書き込み時間が気になっていました。 それから以前よりこの書き込み帳を覗いていました。 ケイさん!一人ではないから…
ケイ (水曜日, 27 2月 2019 05:20)
主人が亡くなり昼夜逆転の生活になってしまいました。 昼間、人の動きや音がある時に起きているのがとても怖く感じてしまいます。 以前ならば夜中に起きている方が静かで怖かったのですが、今はシーンと静まり返った夜中の方が安心に感じてしまいます。 誰も訪ねて来ない。 電話もかかって来ない。 だから夜中が安心に感じます。 固定電話やインターフォンのスイッチも常に切っている状態です。 主人が不在の中、独り暮らしの中、人と接するのが怖くてたまりません。 ゴミも人目を避け、夜遅くに捨てています。 こんな生活を続けていても大丈夫なのでしょうか。
管理人 (月曜日, 25 2月 2019 21:40)
テレビなどで、何代も続く老舗を紹介することがある。 その後継者は受け継いでいくことは素晴らしいが、引き継ぐものが多数あり、時代の流れにも順応していかなければいけない。むしろ大変なのではないかと思う。 それを考えると、何もないところから人生を生きていくことはいいような気がする。 大切な人を亡くした時、自分の人生は終わったと感じた。 この悲しみは決して忘れることはできない。それを抱きしめたままゼロからの再出発、あるいはマイナスからの再出発かもしれないが。 たった一度の残りの人生、ポジティブに考えていくのもいいかな。
管理人 (日曜日, 24 2月 2019 20:35)
2019年2月23日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方8名の参加者で開催されました。 悲しみを込めてパートナーについて語る姿は、とても健気で優しさに満ちたもの。 切ない思いが共感させられる時間でした。
ケイ (水曜日, 20 2月 2019 02:18)
管理人様 クリスマス、バレンタインデー、お誕生日… あんなに楽しかった響きが、こんなにも辛く淋しい響きに変わってしまうなんて。 当たり前が当たり前でなくなり、この世の中には当たり前などないのだと思い知らされ ました。 解放されたい… それでも少しずつ少しずつ生きていかなければいけないから。 辛い思い、淋しい思いを共有出来るスペースを与えて下さり、ありがとうございます。
ケイ (水曜日, 20 2月 2019 02:07)
αさん そうですか… やはり現実に引き戻される朝が辛かったですか。 このまま眠り続けられたらと毎日思ってしまいます。 αさんにはいつも私一人だけが辛いわけではないと支えて頂いています。 ありがとうございます。 可愛い可愛い尾っぽが付いている小さな息子さんによろしくね!
管理人 (火曜日, 19 2月 2019 23:48)
ケイさん、αさん書き込みありがとうございます。 大切な人を喪うことはとてもつらいことです。 私も、子供がいません。そして朝がつらいのは同じでした。(書き込み帳1#7) 子供さんがいても、また違う苦しみがあります。 今月は、バレンタインデーがあり、それでつらい思いをした方も多かったのではないでしょうか。 大切な人を喪うという尊い犠牲をはらって、今まで、気づくことができなかった、愛すること、命の大切さに初めて気が付かされました。 私は多くの遺族会に参加してきました。同じ立場の方のお話は、涙を流し、限界まで、悲しみと苦しみに耐え抜いている姿です。 そんな姿に、私は勇気づけられてきました。
α (火曜日, 19 2月 2019 19:00)
ケイさんへ そう…私も『朝』が一番辛かったです。 私が闘病中に(尾っぽが付いている)小さな息子を迎え入れました〜その息子が3才になるまで彼と私の3人?暮らしでした。 彼が逝ってしまった後、辛い日々を支えてくれたのは息子…αでした。 αのために朝食の用意をしてあげ、散歩もしました。(薄暗い明け方に泣きながらでしたが…) αのおかげで辛うじて日常が送れていた状態でした。 ケイさんだけではないから… 辛い朝は…
ケイ (火曜日, 19 2月 2019 01:24)
私達夫婦には子供がいません。 主人が逝ってしまい、私は独り暮らしになってしまいました。 「おはよう」を言う事も出来ない淋しさ。 朝、「無」から「現実」に戻される瞬間が一番に辛いです。 だから夜に寝る事自体も毎日怖くなってしまいます。 独り暮らしの淋しさ… 皆さんはどう耐えているのでしょうか。 家族がいない暮らしは本当に淋しいです。 毎日、毎日、独りです…
管理人 (土曜日, 16 2月 2019 08:43)
懐かしの歌番組がを見ていると、その時の歌がある。 喧嘩した時、仲直りした時、早く会いたくて家路を急いでいた時、 幸せだった、あの日の歌がある。 二人で過ごしたあの日を思い出す。 きっと誰にでもあるだろうな。
管理人 (金曜日, 08 2月 2019 20:46)
ケイさん、αさん書き込みありがとうございます。 私も同じで、後悔することがいっぱいありました。 自分を責める生活で、心は疲弊しているのに、身体はじっとしていられない。身体が休まらない時期が長く続きました。 同じように、自分への罰だと思い、素直に罰を受けねばと考えていました。 気が狂いそうなほど恋しくて、 生きる意味を失くした心。 信じがたい喪失に苦しんでいる心。 夢であってほしいという心。 当時は、そんな思いを、手紙に書きました。(後々、自分を客観的に見ることが出来てきました。) その時の、苦痛、苦悩は今でも覚えています。 時間はかかりますが、 悲しみは無くならないけど、慣れてきます。慣れた人はここにいますから・・・
α (金曜日, 08 2月 2019 15:07)
ケイさん、私も本当に同じなのです。 『罪と罰』… 管理人さんが以前・おっしゃってくださった言葉(2018,12,3記)を何度も心の中で繰り返しています。 ケイさんこちらこそ〜 あ・り・が・と・う
ケイ (金曜日, 08 2月 2019 04:44)
後悔をどんなにしても、もう謝る事が出来ない。 それが何より辛いです。 大切な大切な主人の命。 その命を私自身が死に追いやってしまいました。 支えるどころか追いやってしまいました。 主人がいない淋しさ、辛さ… 私に与えられた罰だと思いながらも、その淋しさと辛さに潰されそうな毎日です。 αさん 優しい言葉をありがとうございます。 苦しい日々の中、同じ思いの方がいるという事は、なによりの心の支えになります。
管理人 (木曜日, 07 2月 2019 20:57)
ケイさん、αさん 書き込みありがとうございます。 愛がある故、後悔することは仕方がないことです。 人生で、心が触れ合った人だから、言葉に出さなくてもわかっていたと思います。 この悲しみは、決して忘れることはできないし、何を持っても埋められません。 絶望、後悔の日々、希望がない人生と感じても 精一杯耐えて生きている。今はそれだけ。 朝のこない夜はないとも言います。 耐えることが、きっとこれからの人生を支えてくれるものに変わるまで待ちましょう。
α (木曜日, 07 2月 2019 11:43)
管理人さん・ケイさん、本当にそうですよね。悔やんでも悔やみ切れない… ケイさん、私も同じです。 ケイさんだけではないから…。
ケイ (木曜日, 07 2月 2019 03:41)
本当に… 「いてくれるだけでいい」 主人にこの一言を伝えられなかった事が何より悔やまれます。 毎日、毎日、独りです。 どうしたら良いのかわかりません。 自分を責めたり… 主人に何故?と聞く日々を過ごしています。 この思いから解放されたい。 生きているのがやっとです。
管理人 (水曜日, 06 2月 2019 23:13)
もし、突然大切な人が現れたらどうするかな。(ありえないことだけど) きっと何も言わず強く抱きしめるだけ。 言うとしたら、「ずっとここにいてくれよ、いるだけでいいんだから」 これしか思いつかない。
管理人 (火曜日, 05 2月 2019 20:14)
ヨガやフィットネスを始めている方、山登り、写経を始めた方の話しを聞きます 身体を動かすことや、汗をかくのもいいのだろうし、自然に感動する心を持ったり、気持ちを悲しみ以外のものに集中することはいいのではないだろうか。 ただ間もない時期にはできるものではないなあ。 少し時間がたってからがいいのかな。 どん底から這い上がりながら、生きていく工夫をしていると思う。
管理人 (月曜日, 04 2月 2019 22:03)
大切な人が使っていた食器など、捨てずに残している。 懐かしさより、なぜか戻ってくるような気がしていたからだ。 何よりまず、きちんと別れが出来ていない。 きちんと別れることが出来なかった悲しみと悔恨の念。 最近は、亡くなったことを受け入れることができたのか、 もしかしたら諦めている気がしている。
管理人 (日曜日, 03 2月 2019 21:27)
何かの本に、 人は亡くなると、 その人が愛したものの所に行く 人が人を愛したなら、その愛したところに行く。 だから、人は思い出そうと意識しなくても、亡くなった人のことを思い出す。 愛する人がいたことは幸せなこと。 そうだと思う。
管理人 (金曜日, 01 2月 2019 20:12)
何人かの遺族の方が、亡くなった人を寿命だったと思っている。というお話をされます。 生きた長さにいいも悪いもない。生まれてきたことに意味がある。 遺されたものが、早すぎると感じても、その人の寿命。 事故、災害で亡くなる方、病気で亡くなる方。自死も病気。 そんな考え方もありだと思う。
管理人 (木曜日, 31 1月 2019 19:18)
αさん 書き込みありがとうございます。 この人(和枝さん)こそが自分の捜し求めていた人だった。 本当に好きで、好きで、好きでしかたがなかった。 そんな思いが伝わってきます。切ないですね。
α (木曜日, 31 1月 2019)
一生懸命にご飯を食べるようにしています。毎日、一生懸命に寝るようにもしています。この悲しみは、生きている限りは、ずっと悲しいというかな、何だろう…。どこかに(和枝さんが)いる感じで、何か泣けない感じもあるんです。泣きますけど…。 (中略) 64歳は本当に若いです。でも、この悲しみを、悲しみっていう言葉より何だろう…、不条理…、いなくなっちゃったという感じで。悲しい、さみしい、不条理なんだけど、そういったものを糧にして、生きていくんだと思います。 柄本明さん、亡き奥さまへの最後のラブレター 涙が止まりませんでした…。
管理人 (水曜日, 30 1月 2019 20:35)
男女が日々の親しい交わりの中でお互いが寄り添い 相手に合わせて自分を変えることもしていきます。 それは、当然信頼関係を生みだし、一時的に離れることがあったとしても、また、一緒になることが当たり前だから、少しの間であれば、解放感を楽しむことが出来ます。 だが、永遠の別れとなると、孤独感や喪失感は一人ではどうすることもできない。 できるだけ、誰かと何気ないおしゃべりをする余裕を持つようにした方が良いと思う。 同じ経験者同士の語り合いは、より良いと思う。
管理人 (日曜日, 27 1月 2019 19:04)
2019年1月26日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方11名の参加者で開催されました。 苦しさでさまよっていても、とにかく一歩踏み出すこと。あとはエスカレーターに乗っているように、人生は進んでくれる。つらい思いの中、参加ありがとうございます。
管理人 (月曜日, 14 1月 2019 22:16)
悲しいことが起きたとき、それまで一緒に行ったスーパーにはいけなく、わざわざ遠くのスーパーに買い物に出かけるようになった。 初めは何の想いのないお店だから、気持ちはつらくなることはなかったが、何度か訪れているうち、お店の中ではぐれてしまったような感覚になり、捜そうとしたこともあった。 また、妻に似ている人が、商品を手に取り、献立を考えている姿は無性につらくなったりしていた。 たかが、買い物。その都度様々な感情が押し寄せるなか、 ある日、今までと違う感情が出てきた。 すーと心の中に妻が入ってきた。一緒に買い物しているような感覚。 心の中で会話している。 心は変わっていく。
管理人 (土曜日, 12 1月 2019 21:27)
亡くなった直後からしばらくは、この苦しさを表現する言葉が見つからない。もどかしい。 心の中で、助けてくれと叫んでいた。 今にして思うと、目に見えるものに色彩は感じられなく、食べ物も味を感じない。 つらい日々。多くの人が経験したのではないだろうか。 同じ遺族と話すことは大事。苦しさを放すことにもなる。 また、言葉でうまく表現できなくてもわかり合える。
管理人 (火曜日, 08 1月 2019 21:53)
目の前にある生活をただひたすらこなしていく。毎日を淡々とすごすことで、 ちょっとした小さなことでも喜びを感じることがでてくる。 生きる力にもなることがある。目の前の生活に向き合っている。
管理人 (月曜日, 07 1月 2019 18:17)
お蔭さま。 今自分がここにいるのは、たくさんの人たちのお蔭。 肉親はもちろんだが、友人たちやかかわりのあった人たち。 一番はもちろん妻。その妻が亡くなって、そのことがなければ、知り合うことのない人達と知り合う。自分にとって知らない世界だった。たくさんのことを学ばさせてもらっている。 人の心のすばらしさ。(悲しいことにこの反対もある。)これは、このことがなければ生涯知ることが出来なかったかもしれない。 妻のお蔭。妻は自分を見守ってくれている。
管理人 (土曜日, 05 1月 2019 22:44)
大切な人を亡くし、初めてクリスマスと年末年始を迎えた方。 頑張って過ごしたことかと思います。 そんな自分をほめてあげましょう。 間もないころ、YouTubeでたまたま見つけた動画 当時は号泣。まだ消えていなかったので 紹介します。 Chicago Poodle 『タカラモノ』MV ~家族愛 篇~ https://www.youtube.com/watch?v=SO_P6xbbLoY リンクは「会について」の下側にあります。
管理人 (土曜日, 29 12月 2018 21:40)
予期せぬ形で起こった出来事。 自分にとって人生の一大事。 なかなか認めることが出来なかった。 そこから逃げきれることもできない。悲しまなくてもいい方法を見つけようとしても見つからない。 悲しむ自分を、時間をかけて受け入れていくようにしている。
管理人 (金曜日, 28 12月 2018 18:25)
2階以上のカフェや食べ物屋さんで、人混みを見渡したりすると、 こんなに多くの人が、色々な想いで生きているのだろうと想像する。 つらい想いを抱えている人、幸せを感じている人。 そんなことを想いながら眺めていると、自分の置かれている 立場に対する見方、見える世界が少し変わりネガティブな感情が薄れることがある。
管理人 (月曜日, 24 12月 2018 23:33)
悲しいことが起きた直後は、今まで経験したことのない想像を絶する感情。 周囲が見えなく、悲劇が自分の中心にあって、次から次へと悲しみがやってくる。 でも、時間の経過とともに、客観的に自分を見ることが出来てくると、自分だけの悲しい出来事ではないことに気づく。きっとそのまま自分だけという思いの悲劇を抱え込んでいると、悲観的な考えから抜けだすことはできなく、苦しみの思いが和らぐことは無かったと思う。
管理人 (日曜日, 23 12月 2018 07:44)
2018年12月22日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方8名の参加者で開催されました。 様々な愛のカタチを感じた時間でした。
管理人 (金曜日, 21 12月 2018 22:59)
起きる前と、起きた後では考え方を変えないといけないと思うようにした。 生きていくのがつらかったんだね。 起きた出来事は肯定してあげるようにした。 それは大切な人を理解してあげること。
管理人 (木曜日, 20 12月 2018 22:19)
妻が亡くなった直後は、車の中でワーと叫び号泣した。それはしばらく続いた。 家に帰ってくると、いるはずの人がいない。家には想いがいっぱい。 服や下着。台所には茶わんや箸。玄関には靴。洗面所にはタオルや歯ブラシ、化粧品。 家中想いがしがみついている。 大切な人を亡くし、悲しみにのたうちまわる。 大いに嘆き悲しみきる。 苦しい道のりだけど、いずれ、絶望の淵から抜け出すことが出来る。 そして、この悲しみ苦しみを味わったからこそ、 人生の幸福についての味わいを得ることが出来ると思う。
管理人 (水曜日, 19 12月 2018 19:13)
妻と外出し、ご飯を食べる時、まずは私が最初に何を食べるのか決める。 妻は違ったものを頼み、お互いシェアする。 一緒に食べるから美味しい。一緒に食べる幸せ。 そこに損得の理屈などない。 一人で、食事をしていた時、隣のテーブルにカップルが座り、 同じようにしていた。何気に観察していたことで、気が付いた出来事。 今はできなくなったが、そんな思いをさせてくれたことに感謝している。
管理人 (水曜日, 12 12月 2018 20:09)
自分が大切な人を亡くした時。 今まで、大切な人を亡くした人の悲しみ、苦しみを見ていたと思っていたが、 苦しみを見ているのではなく、 苦しんでいる様子を見ていただけだった。 大切な人が、教えてくれた一つ。
管理人 (火曜日, 11 12月 2018 21:22)
亡くなって間もないころ、じっとしていることが出来なかった。 そんなとき、数十年前一緒に住み始めた街へ出かけた。 かつての駅からの道を消えてしまった足跡を追うように歩いていた。 すっかり、様相が変わってしまった風景ではあるが、 目に見えない、心の何かをたどっている。 どうしてそんな行動に出たのか、自分でもわからない。 当時の幸福感への執着心なのかもしれない。
管理人 (金曜日, 07 12月 2018 21:59)
大切な人の夢をめったに見ることは無いのだが、たまに、夢に出てきてくれると、その時は、亡くなったという認識がない。 いつもにこにこして現れるから、日常と同じように接している。そしていつも、気がつくとすーといなくなっている。 それで、夢の途中で亡くなっていたことに気がつく。 夢で一緒にいる長さ、その時のシチュエーションで、目が覚めた後、会えた嬉しさが、一日中続くこともあれば、悲しくなることもあったりする。
管理人 (木曜日, 06 12月 2018 19:57)
人は誰でも一人では生きていけないと言われます。 しかし一方では人は一人で生まれ、一人で死んでいくのも事実です。 間もない当時は、この当たり前の孤独を感じられなくて、寂しさでどうしようもない。 でも誰もが、ひとりにかえっていく存在だと受け入れると、誰もが孤独なものと思え、 孤独の共感を感じることで、寂しいという感情は薄らいでいった。
管理人 (水曜日, 05 12月 2018 22:12)
αさんへ 書き込みありがとうございます。 がんばりすぎないようにお過ごしください。 雨宿りは月1回開催予定してます。 お気持ちが向きましたら、お越しください。
α (水曜日, 05 12月 2018 16:02)
管理人さんへ お坊さんのお話し、何度も読み返しました。 声を出して読んでみました。 そして、昨日の管理人さんの言葉… ありがとうございました。 いつか、“雨宿り“をさせていただきに伺えればと思います。
管理人 (火曜日, 04 12月 2018 22:49)
NICO さんへ 会いたくて会いたくてたまらない。 会えないとわかっていても、会いたくてたまらない。そんな気持ち。私もそうでした。 生きている時だけが存在ではないと思います。 大切な人とともに過ごして時間は、記憶として心の中に生き続けます。これからもずっと存在し続けます。 そして、人は必ず亡くなります。その時に、大切な人と会えるはずです。
NICO (火曜日, 04 12月 2018 20:00)
たった1分でも会いたい…… たった1分すらもう会えない…… ごめんね
管理人 (火曜日, 04 12月 2018 19:30)
大切な人を亡くした悲しみ、苦しみ。 一人で抱え込まなくてもいい思う。 話せる人に。話せる場所。吐き出せばいい。 悲しくて苦しくてたまらないと叫べばいい。涙を流せばいい。 悲しい、苦しいと言えないのはもっと苦しいから。
管理人 (月曜日, 03 12月 2018 22:13)
αさんへ 自責の念や、言葉にできない様々な感情。それは愛の証でもあり、それだけ愛が深かったこと。 過去への思いは当たり前です。 悲しい結果は誰も悪くはないのです。 心が健康でなかったからの結果。 過去の思いが悲しさから、幸せを感じるようになるまで、じっと我慢。 今はしっかりと身体に充電するように心を休めてください。 時には、突然つらさが襲ってきます。 そんな時私は、 あるお坊さんの言葉 じっと待つ 水が濁っているとき かき回さずじいっとほっておく ゆっくり濁りが底に沈んで 水は澄み渡ります 心も同じように 暖かいイメージの中で かき回さず、追い回さず、 ゆっくり待ちましょう。 じっと待ちます。 ポジティブな書き込みでなくても全然かまいませんよ。 書き込みありがとうございます。
α (月曜日, 03 12月 2018 15:54)
管理人さんへ 私も管理人さんの書き込みを見ながらいつも頷いております。 ただ私は…突然、彼が逝ってしまい三年半の月日が経ちましたが過去ばかり見つめている状態です。追われるように故郷を離れ…いいえ逃げてきて自責の念がもっともっと強くなっています。 そして体調が悪くなる度に“罪と罰“を感じます。 みなさんのようにポジティブなお話しが出来ずに申し訳ありません。
管理人 (日曜日, 02 12月 2018 07:07)
今頃の時期。 大切な人が亡くなり、これから迎えることになる楽しかったお正月。「一人でどう過ごそう」という不安に襲われた。 でも、「どうにかなる」と思った時、不安から解放された。
管理人 (土曜日, 01 12月 2018 10:15)
人によって、過去の栄光を話したがり、自慢話となってしまうことがよくある。 繰り返し聞いていると、この人は、過去にすがって生きている。 まてよ。自分も過去の大切な人との思いにすがって生きている。 今を大事にしなければいけないと気が付かされた。
管理人 (土曜日, 24 11月 2018 22:31)
ある日、全く知ることがなかった人と、突然知り合い愛を作っていく。 すれ違い、まったく知り合うことがなかったのに、 ある状況で、出会うということ。偶然と言ういたずらなのか、人生の不思議。 愛する人は、先に行ってしまったけど。人生は結果ではなく、それまでの過程が大切。幸せ、そして愛を学ぶことが出来た。
管理人 (水曜日, 21 11月 2018 20:51)
人間万事塞翁が馬 (故事ことわざ辞典より) 昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。 やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。 人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。 すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。 人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。 一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。 しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。 人生は何が起きるかわからない。 嫌なことが起きてひたすら悩んでも、それが幸福につながるか、さらなる不幸につながるか、なんてわからない。未来は誰にもわからないまま今を生きる。この世は常に変化していくものだと理解して、今を精一杯生きていくことを教えてくれている。
管理人 (月曜日, 19 11月 2018 19:32)
大切な人が亡くなると、様々な難しい問題が発生してしまう。 一番は、これからどうやって生きていけばいいのか。 喪失感、寂しさ、愛しさ、人間関係との闘い等々。 でも、難しい問題がある人生は、有難い人生と思うことにした。
管理人 (月曜日, 19 11月 2018 19:28)
2018年11月17日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方5名の参加者で開催されました。 穏やかな天気。それとは別に語り合いは涙でいっぱい。
管理人 (日曜日, 18 11月 2018 18:40)
ひこうき雲様 同じように感じてくださったこと、嬉しく思います。 私も、ひこうき雲様と繋がっているのを強く感じます。 そして、つながりを実感することで安心感も覚えています。 書き込みありがとうございます。
ひこうき雲 (土曜日, 17 11月 2018 17:47)
管理人様 管理人様の書かれた文を読んで、 何度もそうだよね、そうだよねとうなずいています。 力(ちから)は地から いい言葉を教えてくださり、ありがとうございます。 大地は人とつながっているのですね。 きっと、今この地球にいる人とも、私たちの愛する亡き人とも、 そしてこの世に存在する全ての命とつながっているのですね。 私はあなたにお会いしたことはありませんが、 今、心の深いところであなたと繋がっているのを強く感じます。 そしてそれは私の孤独をやわらげ、生きる力を与えてくれています。 私も頼りない足ではありますが、自分のこの足で、 足元の大地をしっかりと踏みしめて、力強く生きていこうと思います。
管理人 (木曜日, 15 11月 2018 22:06)
ちょっと心がざわついたとき、部屋の中を歩き回ることがある。 そうすることで、心が落ち着く。 そんなことをしているうち、最近気が付いたことがある。 普段、歩くときは何の意識もないのだが、 公園など、未舗装な道を歩いたとき、坂があったり、でこぼこだったり、雨上がりだと滑りやすかったりするので、足を地にしっかりと踏みしめている。 足を地にしっかりとつけていること、くっついていることが、 今ここにいる。そんな気持ちがわいていて、自分を強くしてくれていることだったようだ。 そして、大地は人とつながっている。孤独ではない。 力(ちから)は地から。 地をしっかりと踏みしめることで力をもらえていた。 部屋を歩き回るときも、足に意識を集中することで、心が少し力をもらえていたのかもしれない。 間もない当時は、足が地についていない感覚。だから生きる力がわいてこなかったのかもしれない。
管理人 (月曜日, 12 11月 2018 22:32)
亡くなった直後は どんな言葉も心に届かない悲しみと苦しみ。 食べれない、眠れないの日々。 試練だけが自分を襲っている。 永遠にこの状態が続くのではないか。 そこから逃れられないのではないか。 そんな思いを耐えて生きてきた。 悲しみは消えることはないが、小さくなる。 終わりのない苦しみはないことに気が付いた。 今は、耐えて生きてきた自分を誉めている。
管理人 (土曜日, 10 11月 2018 19:49)
大切な人を亡くした時、 今まで、人生を走り抜けてきたけど、立ち止まり、動くことが出来ない感覚。 もう、それまでと同じように走ることはできなくなったと感じてしまった。 でも、今までゆっくりと歩いてきたことにより、 それまで気が付かなかったもの、違う景色が見えてきたように思う。 悲しさは消えない。悲しむ自分を受け入れ、いとおしむ。 落ちるところまで落ちてしまえばいいし、そこから 違う生き方を見つけていくようにすればいい。そう思っていたら、 そんな生き方をしている人を見かけた。だから自分もできると思った。
管理人 (月曜日, 05 11月 2018 19:55)
だいぶ前のこと。 妻へのダイレクトメールや、同窓会の案内。 それを目にすると、ちょっと心が揺れ動くことがある。 また、固定電話を留守電にしているが、もし事情の知らない古い知人からかかって くるのはやっぱり心がゆれ動く。 固定電話は電話線を電話機から抜くことにした。 今は、携帯電話がメインとなっているから特に困ることもない。 郵便局へは、妻あての郵便は差出人に戻すようにした。 今は事情があってここにいないのでと申し出ている。 少し気持ちが楽になっている。
管理人 (木曜日, 01 11月 2018 23:23)
亡くなってしばらくは、写真を見ることが出来なかった。 写真を見れるようになった時、表情がとてもわかることに気が付いた。 写真を撮るとき、チーズと言うことがあるが、そうではなく、心からにっこりする特別の笑顔。 内面から伝わってくる笑顔がある。 きっと幸せな瞬間を送っていたという思いが伝わってくる。 見ていると、涙は出てくるけど、これは決して悲しい涙じゃない。 自分も幸せ。感謝している。
管理人 (水曜日, 31 10月 2018 22:30)
悲しさに打ちひしがれていても、 変わらない自分もないし、変われない自分もない。 変化は少しずつ変化、自覚するほどではありません。 長い時間がたつと、自分は変わったということがわかってきます。 自分とは違う発想に触れたり、前向きな考え方を習慣づけることだと思う。
管理人 (火曜日, 30 10月 2018 22:21)
一緒に生活をしていると、悪気があってもなくても、ちょっとした申し訳ないことをしてしまうことは多々ある。 普段は何も気に留めることは無いけど、突然亡くなってしまうと話が違う。 ほんの小さなことが、とてつもない後悔になってしまう。 一緒にいれば申し訳ないことの挽回が出来るが、もうそれはできなくなる。 後悔だけが一人歩きしてしまう。 それでもいつかは、後悔が無くなる日が来るのです。
管理人 (日曜日, 28 10月 2018 23:12)
色々な宗教があるが、ほとんどは手を合わせることがあるような気がする。 手を合わせるということは、様々な意味があると思うが、 何も持たずに無心になることでもある。 無心になれば、悲しさも苦しさも癒される。 物に執着しないことも教えてくれていると思う
管理人 (日曜日, 28 10月 2018 07:52)
お坊さんとゲーム ゲームは、まず今ご自分で大切にしている物、12個書いてください。 例えば、スマホ、アルバム、具体的な思い出の品、 現金、有価証券、家、土地、車、バイク、何かの会員権、お気に入りの服類、お気に入りのアクセサリー類、等々。 12個書いたところでゲームのスタート あなたは、病気になってしまいました。 大切にしているもの6個捨てないと治療が受けられません。 6個捨てましょう。(残り6個) あなたは手術が必要となりました 大切にしているもの3個捨てないと手術が受けられません。(残り3個) 手術は成功しましたが、その後貴重な薬が必要となりました。 そのために 大切にしているもの2個捨てましょう。(残り1個) さて、何が残ったのでしょう。(人によって様々ですね) 治療も効果がなく、あなたは亡くなってしまいました。 あの世には、何も持って行くことはできません。 つまり、人は亡くなったら、何も持っていけない。 物に執着しても何もならない。
管理人 (木曜日, 25 10月 2018 22:31)
苦しくて、悲しくてどうしようもない時、外の世界に出ていくことが出来なくなったりします。 自分の世界に閉じこもってしまう。 会などに参加して、人の話を聞くことで、自分とは違う考え方を知ること。 思わぬことが見つかり、新しい世界が見えてくることもあると思う。
管理人 (水曜日, 24 10月 2018 21:59)
求不得苦(ぐふとくく)四苦八苦の一つ 求めているものが得られないことから生じる苦しみ。 愛おしくて、会いたくてたまらない。それはかなわぬ事。 昔も今も変わらない愛する人への思い。
管理人 (火曜日, 23 10月 2018 21:32)
人を苦しめるもの。 もし死がなかったら。 もしストレスがなかったら。 もし思い通りになったら。 人生はつまらない。 死があって、ストレスもある。思い通りにもならない。 だから、人生に輝きがあるはず。
管理人+ (月曜日, 22 10月 2018 21:26)
突然襲ってくる気持ち。 もう見えなくなり、触れることもできない。 話したくても話せない。 そんな大切な人と、これからどういうふうにしていくか。 あふれ出た愛をどうすることもできない。 悲しいつらいは自然なこと。 某所で池を見回したとき、風が吹き、波が立っていた。 少し時間が過ぎたころ、また、池を見た。風は止み、静かな水面となっていた。 心も同じ、風が止むのを待てばいい。
管理人 (月曜日, 22 10月 2018 09:50)
お寺での法話 四国八十八か所のお遍路をする際お遍路姿で巡礼します。 お遍路姿の中に、頭に菅笠をかぶりますがそこには「同行二人」と 書かれています。これは「私は一人ではありません大師さまと二人でこの四国を歩いている」 ということを表しており、目には見えなくても大師さまがそばにいて守ってくださるということ。 大師さまと歩いていることで、お遍路の最中、道端のお地蔵さんにも自然に手を合わせます。言葉も行動も優しくなります。つらいことも自然と楽になります。いつもお遍路するように、誰かと一緒に電車に乗ったり、誰かと一緒に歩いていると思えたらきっとつらいことも楽になります。 そんなお話でした。 2年ほど前のこと、当時の自分にはまだできない。 今は お遍路するように、普段の生活の中で、目には見えないが、大切な人がそばにいてくれると思うようにしよう。 できるようになってきている。
管理人 (日曜日, 21 10月 2018 08:34)
自分の周りに、寄り添い、思いやりのある言葉をかけてくれる人がいないとき、 自分が寄り添い、思いやりのある言葉をかけるのです。 寄り添ってくれる人は自分、寄り添われるのも自分 それは、24時間寄り添ってくれる。 こんないいことはありません。 寄り添う気持ちも、寄り添われる気持ちがわかるのだから。
管理人 (土曜日, 20 10月 2018 20:23)
人生は、はかない夢のよう。 あっという間の夢のようでもある。 瞬く間の夢のような人生。限られた時間を ネガティブな方を見て苦しんで生きるのはもったいないと思う。
管理人 (日曜日, 14 10月 2018 23:06)
私と妻は中学の同級生。 15歳から20歳まで文通をしていた。 当時は携帯電話やメールがないので連絡と言えば文通。 20歳に初デート。当時は、二人でちょっと背伸びしてお酒を飲んだのを覚えている。 遺品の中に、その当時の手紙が出てきた。しっかりと保管していたようだ。 私が出した手紙。拙い文章でちょっと恥ずかしい。 それを見ているうち、何か、はかない夢のよう。 ちょっと切なくなってきた。
管理人 (土曜日, 13 10月 2018 22:56)
苦しくて、悲しくてどうしようもない時、外の世界に出ていくことが出来ない人がいます。 自分の世界に閉じこもってしまう。 会などに参加して、人の話を聞くことで、自分とは違う考え方を知ること。 思わぬことが見つかり、新しい世界が見えてくるかも。
管理人 (金曜日, 12 10月 2018 18:19)
後悔するのは、まだ諦めきれない心があるから。 辛いのは、まだがんばれる心があるから。 どうしていくかは、自分で見つけるしかない。
はん (木曜日, 11 10月 2018 08:56)
悲しい気持ちも、苦しい気持ちも、怒りの気持ちも 深い井戸の底から コンコンと湧き出てくるもの。 そのままでいいのですよねと、ここいくさんの言葉に 心がほどけていく感じがしました。 それでいいよとここいくさんに言われているような、 それでいいよと自分に言ってあげたいような、 そんな気持ちの朝を迎えています。
管理人 (水曜日, 10 10月 2018 08:44)
昨年の今頃。秋の気配を感じ掛布団を使用するようなった。 しばらくして、咳が止まらなくなり、診察の結果咳喘息とのこと。 原因はハウスダスト、カビによるアレルギーだったようだ。 用事があって、遠方でホテルに宿泊すると咳が出ない。家に帰ると咳が出る。 妻が亡くなって、3年余り。寝室のカーテンは閉めっぱなし。布団も天日干しすることはなかった。 考えてみると、かけ布団はコインランドリーで洗ったり、敷き布団はクリーナーをかけていた。 ずっと失意のまま、そこには気が回らなかった。 布団は同じようにして、ついでに、数十年使用したカーテンも念のため交換。 薬の効果も相まってしばらくして、咳が治まることが出来た。 またカーテンを変えたことで違う景色となり、それで気持ちが楽になっていることに気が付いた。それまで気が付かなかったが、今までのカーテンには見えない思いがあったということ。物には、自分では気が付かない、いろいろな見えない思いがあり、その中には前に進むことを難しくしているものもある。
管理人 (月曜日, 08 10月 2018 20:51)
ここいくさん、はんさん 心やさしい書き込みありがとうございます。 亡くなる人は大勢います。その中で 自分に生きる意味を与えてくれた人だけ、魂の存在を感じます。 そして、忘れることが出来ないのだから、亡き人とともに生きていくしかないのです。 理性と感情と身体は別物。ここいくさんのおっしゃる通り 様々な感情を理性が寄り添うことだと思う。
ここいく (月曜日, 08 10月 2018 01:55)
はん様 管理人様 お言葉ありがとうございます。 はん様、その通りだと思います、悲しいままでもいいと思います。泣きたかったらいつまでも泣いて、苦しかったら苦しい!!と叫んでていいんです。 心はバラバラに出来ていません、色んな感情が絡み合って一つの心という塊です。その中のどれかがなくなったり欠けたりしても機能しないと思います、楽しい気持ち 悲しい気持ち 苦しい気持ち 切ない気持ち 朗らかな気持ち みんな、同じ井戸から生まれるんです。どれも心を作る大切な成分です。 今その井戸から悲しみが溢れているなら気が済むまで溢れさせてあげたらどうでしょうか。 苦しいが溢れているなら止めないで苦しいを感じてあげましょう。 蓋をしないで自分のそんな気持ちを十二分に感じてやると、悲しみって和らいできますよ。不思議と。 苦しい気持ちも悲しい気持ちも辛いけれど、存在してていいよ、って気持ちで寄り添っててあげていいと思うんです。 偉そうな物言いをしてしまいましたが私なりの心を大切にする方法を伝えたくて書き込みました。 責めるのではなくて、蓋をするのではなくて、どんなにひどい感情も、存在してるってことを大いに認めてあげて下さい。 それだけできっと私たちの心は喜ぶと思います。
管理人 (土曜日, 06 10月 2018 19:57)
死別のかなしみを我慢する必要はないと思う。 悲しいだけ悲しみ、泣きたいだけ泣けばいい。 亡くなった人を思う気持ちとともに生きていけばいい。 私はそうしている。 いつかは、わからないけど、 必ずふと笑える瞬間がきっとくるから。
はん (土曜日, 06 10月 2018 06:34)
ここいくさん ここいくさんのコメント、読ませていただきました。 キラキラした光の粒が フヮ~と降りそそいでくるような 心地よい感覚に おもわず涙があふれてきました。 悲しみが 導いてくれる 幸せの世界 ほんとうの幸せに近ずいているような 悲しいけれど 幸せです。
管理人 (金曜日, 05 10月 2018 18:20)
少し前のこと、パラリンピックに向けてのトレーニングの紹介番組を見ていた。 小学生~20代の若者。義足を付けてトレーニングしている。 最初は、「かわいそうに」という思いを持っていました。 見ていると、彼らの明るい姿に「すごいなぁ」という思いが出てきたのです。 ハンディを抱えているとは感じさせない明るさ。現実を受け入れ精一杯生きている。 見習わなければいけないことを、彼らから教えてもらった。
管理人 (金曜日, 05 10月 2018 09:18)
はんさん、ここいくさん お二人には、ほっこりとしたやさしさを感じています。 地獄を味わったからこそ辿り着いた思い。 そんなお二人とご縁があったことうれしく思います。
ここいく (木曜日, 04 10月 2018 00:14)
はんさんへ お言葉ありがとうございます、「悲しさが優しさに包まれている」 初めて聞きました。とてもいい言葉ですね、、なんて良い表現なのだろうとしみじみしてしまいました。 難しい言葉を使える人よりも、簡単な言葉でものを伝えられる人に謙虚さや本当の意味での賢さを感じます。 はんさんがおっしゃった様に悲しみを優しさで包んだら人は少しずつ幸せになれる気がしました。 きっと切ない気持ちが胸いっぱいに広がるのでしょうね、言葉で言い表せない夕焼けの様な、自分にしか感じられない気持ち。 でも、そんな夕焼けの様な悲しい気持ちも悲しいまま存分に感じてやれたら、心の空に解き放ってやったなら、私が私自身の味方になってやったら、悲しみを抱いてやれたなら、人は傷ついたままでも幸せになれると思います。 誰にも言わなくていい、少しでもそんな気持ちになれたなは、なんと自分は前に進むことが出来たのだ、頑張ったね、偉かったねと言ってあげたいと思うんです。 今を、今日を感じましょう。今日を生きましょう。
はん (水曜日, 03 10月 2018 16:44)
ここいくさんへ、 あなたの悲しさが優しさにつつまれて、私の心の深いところで響いています。 ありがとうございます。 ほんとうに感謝です。 苦しんだぶんだけ、大切な何かに気づけ、今を大切に生きようとされているここいくさんから、力をもらえたように思います。
管理人 (火曜日, 02 10月 2018 20:56)
大変なことが自分に起きたとき。 どうして今、こんなことが。さらにどうして私なのと思うかもしれません。 その気持ちはだれもが経験することで決して自分だけではないのです。 苦しいのはみな同じ。 時期が違うだけで、誰もが、どうして私だけと思う瞬間があるのです。
管理人 (月曜日, 01 10月 2018 21:34)
一人になってしまうと色々な不安を感じてくるもの。 私は、何度かぎっくり腰で数日間身動きがとれないことがあった。 もしそれになったらどうしようという不安、それと同時にその時の妻のやさしさが想いだされて、胸がしめつけられる思いも出ていた。 亡くなって3年後その時がやってきたが、なぜか、つらかったけど、なんとか過ごせた。 見えないけど、そばにいてくれている感覚があった気がする。不安を抱く気持ちは辛いけど、いざ直面すると想像していたほどではなかった。 不安のほとんどは起きないと言われている。もし起きたとしてもどうにかなる。
管理人 (日曜日, 30 9月 2018 22:15)
辛い感情をずっと抱えていたころ、ふと目にした風景。新緑に陽射しが当たり、朝露がキラキラ輝いて見えたとき、心が洗われるような気がしました。 また、誰かと会って、誰かの話を聞いたとき。 手触りのいい物に触れたとき。 何か心に響いてくることがありました。 外に目を向け、五感に触れることは今までとは違う自分に変われる道しるべのような気がする。
管理人 (日曜日, 30 9月 2018 22:05)
2018年9月29日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00 パートナーを亡くされた方5名の参加者で開催されました。雨の中、参加お疲れ様でした。
管理人 (日曜日, 23 9月 2018 20:23)
ここいくさん あるお寺に 「人生に正解なし。人生にすべて無駄なし」 という言葉がありました。 ここいくさんのおっしゃていることがとてもあてはまると感じてます。 素敵なコメントありがとうございます。
ここいく (日曜日, 23 9月 2018 00:26)
管理人様 人生は進行中で一度切り、本当にそれを感じる日々です。 けれど、生き辛さをもし感じていなかったなら、私はこの一度きりの人生のことなんて考えなかったのではないかと思います。 凍てつくような心の痛さがあったから暖かい日差しに感動するのではないかと感じます。 本当に人の心がダメになってしまう時というのは無感動で無関心、生きることも死ぬこともどうでもいい時かもしれません。 これほどに悲しい、苦しいのは自分の心が生きているという証なのでしょうね。 それが邪魔になる程苦しい日はあるけれど。 でも時間が経つと人は自分なりにまた立ち上がる、自分なりに日差しのある方へ顔を向ける。 失ったものはあるけれど、だから限りある時間と向き合おうとする、幸せって何?私はどうしたらいい?必死で考える。 全てを投げ出してこんな苦しい人生の舞台から降りてしまおうと思った日々もあったけれど、あの日々とはまた違う自分がここにいる。 何かが成長した自分がいる。 限りある人生を見つめようと思えた人こそとても幸せな人なのかもしれない。 悲しい事がない人が幸せな人なんじゃなくて、自分の人生の中で、どんな事があったとしても、今を大切にしようと思えた人が本当に幸せな人なのではないでしょうか。 それは誰と比べる必要もない大切な自分の宝だと思います。
管理人 (金曜日, 21 9月 2018 08:19)
人は、「あの時ああしていれば」という後悔することがあります。 人生に関わる出来事が起きると、ほとんどの方は出てきます。 あのとき違う選択をしていたら結果が変わった。という思い。 人生は一度限り、現実のこの一度限りの人生だけです。 今進行中の人生を、頭で想像したにすぎないあのとき違う選択をしていたら結果が良かったというのは比較してはならないものを比較するということです。 進行中の一度限りの人生は、他のどんなものとも比較することができないのです。
管理人 (木曜日, 20 9月 2018 08:52)
「幸福論」ヒルティ著 愛について 愛情の幸福にすっかり身をゆだねる人の心情が深く、かつ純粋であればあるほど、 その人は確実に、そして完全に、不幸になるであろう。 愛は幸せをもたらしてくれる。同時に悲しみの源。 手に入れば、いずれ失うもの。出会いは別れが来る。 喜びは続かない。でも苦しみも続くことはない。
管理人 (火曜日, 18 9月 2018 18:24)
間もないころ、妻に書いた手紙の一部 車であてもなく走る。涙が溢れて止まらない。 これからどうすればいいの?わからない。どこに行けばあなたに会えるの?そう思いながら車で走る。 異次元の空間から、あなたに会いに行ける道があるかもしれないと思って車を走らせる。 間もないころは、同じようにひたすら会いたいと思う方、多いだろうなぁ。
管理人 (月曜日, 17 9月 2018 08:57)
電車で中年の夫婦が乗り込んで、私の隣の席に旦那さんが座り、奥さんが前に立った。 旦那さんが、ジェスチャーを交え、荷物を膝の上に置いてと言っていた。それは普通の光景。 そのうち、奥さんが、手話で旦那さんと会話を始めた。奥さんは聾啞。旦那さんは健常者。ハンデがあっても、奥さんの表情は子供のように輝いている。何を会話しているかわからないことが、二人だけの世界のように感じていた。 人は、それぞれ一人宇宙をもっているという。自分だけの世界。愛し合うことで、その宇宙を共有することになる。 今は、かなわないことだけど、宇宙を共有できた人がいたということは、人生冥利に尽きること。感謝、感謝。
管理人 (土曜日, 15 9月 2018)
失ったものを数えるな!残ったものを最大限に生かせ! ルートヴィヒ・グットマンの言葉 (パラリンピックの父と呼ばれている) 医師である彼は傷痍軍人たちを治療している頃にこの言葉をかけていた。 のちに障害者スポーツ協会の設立者となっている。 この言葉は、死別者にも当てはまるのではないだろうか。 大切な人を自死で亡くすことは、心にダメージを受けることになる。 失ったものは戻らない。 今ある残ったもの(自分でもあり、家族でもあり、人によって様々なもの)を最大限に大切にするために日々過ごすことだと思う。
管理人 (金曜日, 14 9月 2018 21:21)
あるお坊さんの言葉 花びらは散っても花は散らない 形は滅びても人は死なぬ 人は死ぬことによって肉体的には消えても、その人の死を悲しみ、弔う者がいるかぎり、その人の「花」は散らない。 そして その人との出会い、愛し愛されたこと。 たくさんの思い出。消えることはないのです。
管理人 (木曜日, 13 9月 2018 18:22)
平日のデパートでのこと。高齢の夫婦がエスカレーターで手をつなぎ並んでいた。混んでいないのでエスカレーターの片側を空ける必要もない。なにかほほえましく思えていた。階を追うごとに二人に近づいていく。 乗り降りするときに、お互い声をかけている。よく見ると二人とも足元がおぼつかない。 まるで二人三脚のようだ。夫婦はやっぱり二人三脚なんだ。お互いを思いやり、歩調を合わせている。一人では踏み出す一歩が少し困難でも、二人ならできる。支え合っている。自分にはパートナーがもういない。一歩踏み出すのが難しい。そんな思いを感じた情景だった。 3年くらい前のこと。
管理人 (火曜日, 11 9月 2018 22:33)
置かれた場所で咲きなさい。(渡辺 和子著) 置かれた場所で咲きなさい。 でも咲けないときもあっていい、そんなときは、 次に大きな花を咲かすために根を深く深くはる時期。 今を大切に、自分を大切に、いつか花咲く日がくる。という生き方を教えてくれている。
管理人 (月曜日, 10 9月 2018 19:52)
大切な人を喪った時、もう二度と、自分には大きな幸せはもう来ないと思っていた。 でもそんな毎日でも、時には、小さな喜びや、楽しさ、とても小さな幸せがいっぱいあるはずです。 そんな小さな幸せの欠片を集めることで、自分には幸せがあると感じるようになっている。
管理人 (金曜日, 01 1月 2021 20:19)
NICOさん書き込みありがとうございます。
失恋という言葉はありますが、
失愛という言葉はありません。
NICOさんはずっと旦那様を愛しているのですね。
誰よりも愛しくて、大好きな人。
ありがとうはそんな気持ちからと伝わってきます。
NICO (木曜日, 31 12月 2020 23:00)
『森の学校』と言う約20年ほど前の映画を観た。
今年亡くなった三浦春馬さん初出演の映画でした。
11歳の少年が初めて身近な祖母を亡くし心の葛藤に胸を痛めます。
少年を思いやってくれた言葉を煩がり祖母を傷つけてしまったままお別れ……
そんな少年に母親が『頑張って来た人にはお疲れさん…ありがとう』と空に向かって伝えれば良いと。
私は自責の念を失くすことはできませんが、やはり『ありがとう』の気持ちは伝え続けて行くのでしょう。
管理人 (水曜日, 30 12月 2020 21:50)
毎年、12月中旬に一枚カレンダーを銀行から手に入れることが、習慣だった。
今年はうっかり忘れていて、銀行に行ったがもうなかった。
大切な人がいたときの、習慣を忘れてしまっている。
代替はどうにでもなるのだが、二人で生活していた時の習慣を
忘れているというか、気にならなくなっている。
何か知らず知らずに色々なものを、手放している気がする。
管理人 (火曜日, 29 12月 2020 22:50)
ふと思い出したこと。
新宿バスタが工事中の時、二人でストリートライブをよく見かけた。
工事を遮る壁が凸凹にあり、程よくストリートライブができるスペースを生み出していた。
多分違法なので、短い時間で切り上げていたようだ。中には警察官が撤去を促していた時もあった。
必死なことだと思うが、いたずらっ子のようにも映った。
随分前にバスタは完成し、そこにはもう二人で行けるわけではない。
そうか、あれから随分時間が経ったんだ。
工事中の壁で人とのすれ違いに煩わしさがあったり、ストリートライブも少し楽しんだりと、同じ景色は見ることが出来ない。
もうすっかり、過去の出来事として思い出となっている。
パスタが完成した時、あるはずのない、大切な人がいるところへの、バスがあるのではないかと、ターミナルで捜していたことがあったり、バスタの中の中庭で、涙していたこともあったなあ。
起きたことは変えられないが、その受けとめ方等は時の流れのうちに変わるものと・・・
管理人 (金曜日, 18 12月 2020 20:12)
NICOさん
書き込みありがとうございます。
今も新婚なんですね。
旦那様と一緒に暮らして、人生の輝があるから。
「一緒」は一つの糸の者だから、糸でずっとつながっているんですね。
NICO (金曜日, 18 12月 2020 12:57)
『まだ帰ってこないなぁ』
『早く帰ってってこないかなぁ』
と思い続けている私は
『新婚』なのですね♡
クリスマスも近いから帰ってきてね……
いつまでもツリーのテッペンに
星がつかないないままょ☆
管理人 (木曜日, 17 12月 2020 22:25)
ネットで見かけたもの。
「結婚して何年まで新婚って言えるかな?」
認知症のおばあちゃんに聞くと、こんな答えが返ってきた!
「旦那様の帰りを待つ時、もう帰ってきたって思ったら新婚じゃないよ。
まだ帰ってこないなって待ってるうちは新婚よ。だからうちはまだ新婚なの。」ってはにかんでてもう…
もう何年も前に亡くなられた旦那様をずっと
「まだ帰ってこないな、早く帰ってこないかな」って毎日待ってるのちょっと泣けた
認知症だから旦那様が亡くなられてること忘れちゃうのよね。
なんか、身につまされる。
管理人 (火曜日, 15 12月 2020 21:29)
コロナ禍のなか、自死が増えていると聞くとやりきれない。
どんな人にも、大切に思う人が必ずいるから。
中には、頼るためでもなく、寄りかかるわけでもなく、ただそこにいて、
生きていてくれるだけでいい。
そう思っている人もいるはず。
大切に思ってくれる人のためにも、生きていってほしいと思ってしまう。
管理人 (日曜日, 13 12月 2020 20:09)
タカさん書き込みありがとうございます。
大切な人を喪って
悲しさ苦しさに耐えるという地獄。
これは経験した人でなければ分からない。
耐えるという言葉の重みを感じているのではないでしょうか。
苦しみのなくなる魔法の言葉はありませんし、時間がかかります。
先ずは、苦しみを解消するのではなく和らげていくことかと思います。
人それぞれ、出来ること、出来ない事がありますが、
つらい気持ちを吐き出すことがいいと思います。
話せる場所で気持ちを話す。
今は、新型コロナウイルスの影響で、開催中止の会が多くなってますけど。
気持ちを文字にする。
その時の気持ちをノート等に書きなぐる。
大切な人に手紙を書く。
お寺で、お焚き揚げしてくれるところがあります。
手紙相談『自死の問い・お坊さんとの往復書簡』もあります。
また、自分でこだわりの持った弔いをすることも大事なことだと思います。
何事も最初は自転車の漕ぎ始めのようにペダルが重く大変ですが、
漕いでいけば、楽に進むようになるものです。
いずれにしても長い時間が必要。
毎日がつらくて、何も変わらないと感じていても、
気持ちを吐き出したり、文字にしたりと経験していくと、少しずつ、らせん階段を登っているものです。
ある日、ふと気付きます。
立ち位置は変わらないけど、見る景色が違うことで心が変わります。
楽しさも苦しさもずっと続かないものだから、
いずれ自分の生き方のありようを見つけていけると思います。
タカ (日曜日, 13 12月 2020 07:07)
二人暮らしだった妻が先月自死してから仕事中はある程度忘れる?ことが出来ますがふと妻の声や仕草や笑顔を想い出しては心が張り裂けそうになり涙が流れます。家にいる時は尚更です。
何をするにも妻がいる事が前提だった自分の基準が突然無くなり何をして何のために生きていくのかどうして良いのか全く見えません。
いろいろな考え方もあろうことも想像しますが、どのような相談を誰にするのが良いのでしょう。
管理人 (金曜日, 11 12月 2020 20:38)
ななさん
書き込みありがとうございます。
たとえ、善意からの言葉でも、
「さびしいですね。がんばって。」は
私たち遺族にとってはNGワードですね。
俵万智の短歌に
さみしさは「ひとりだから」
というよりも「ふたりなのに」
でうまれるきもち
があります。
人が人と暮らし、人が縁あってともに生きているからこそさみしい。
別れが来るから。
パートナーと、ともに暮らし、最愛の人がいなくなって、だからさみしい。
もしずっと一人で暮らしていたら、喪失の苦しみは少ない。
人間のさびしさ悲しさは、人とともに生きていること。
さみしさは宿命だと教えてくれてます。
パートナーへの愛が大きいから、ななさんは、さみしさ悲しさの大きさに苦しまれているのだろうとお察しします。
心は、空き缶がへこむように、ちょっとした言葉にもへこんでしまいます。
空き缶のへこみは、外からはなおしにくいもの。
内側からなら、なおしやすい。そんな時がやってきます。
間もない今は、いっぱい悲しむ時間だと思います。
なな (木曜日, 10 12月 2020 23:45)
夫を自死で亡くして二年が過ぎました。
三回忌が終わり、直後よりも何故か夫の不在を強く感じるようになりました。
直後は悲しいとか淋しいとかの感情よりも、ただただ自責の念にかられていたからでしょうか。
それともあの時はまだ何処かに夫がいるように思ってしまっていたからでしょうか。
何故いないのだろう。
クリスマス、年末年始は兎に角辛くて淋しくて。
それなのに近所の方から言われました。
「これからクリスマス、年末年始は一人で淋しいでしょう。でも頑張ってね!」
淋しい人間に「淋しいでしょう」なんて何故言えるのか。
淋しいに決まっている人間に「淋しいでしょう」なんて何故言えるのか。
頑張ってね!なんて。
何を頑張れと言うのか。
外に出るのが怖いです。
日常の生活があの日から出来ません。
管理人 (水曜日, 09 12月 2020 21:12)
大切な人を喪い、なぜという答えを探しても、
そもそも答えなどきっと見つからない。
悲しいことが起きた直後は悲しさ苦しさは100%。
長い時間をかけて徐々に和らいでくる。
また、
死別の苦しみだけではなく、生きていくうえで
様々なストレスを感じたり。
ネガティブな出来事があったり。
現状を憂いてしまいがちだが、
「人間万事塞翁が馬」と思うことに・・
管理人 (火曜日, 08 12月 2020 22:17)
方丈記
川の流れのように、幸せも、悲しみも、
時とともに過ぎていきます。
古の人の言葉。そうだよなあ。
管理人 (月曜日, 07 12月 2020 20:55)
大切な人に、先立たれることは、つらく悲しい。
好きな人を好きなままで、
お別れすることは最後の愛情と思うことに・・・
管理人 (日曜日, 06 12月 2020 22:14)
間もない頃
私とパートナーは 1+1=2
パートナーを喪って 1+0=1
一人ぼっちになってしまった。
と、言った方がいた。
私は
私とパートナーは 1×1=1
パートナーを喪って 1×0=0
だと思った。
そして
想い溢れる感情は、
言葉にできなくて、
ただ涙だけ。
新型コロナウイルスの影響で、街の様相が変わってしまっている。
悲しいことが起きた直後は、何も世間の様相は変わることは無く、
世の中が、前に進み、自分だけがそこに立ち止まっているような
感覚を覚えた。今は、コロナの影響を肌で感じ、世の中と一緒に
前に進んでいるような感覚。
今思うと、悲しいことが起きた直後は、とてつもないものだった。
管理人 (木曜日, 03 12月 2020 21:46)
手袋をする季節になった。
随分前に、大切な人から誕生日プレゼントしてもらったもの。
もらった当時は、そんなに感動は無かったけど、
今年になって気が付いた。
きっと、手が冷たそうにしていたことを気にしていてくれたのではないかと。
どんな物をもらったかより、どんな気持ちで贈ってくたのかを
考えるものなんだなあ。
管理人 (水曜日, 02 12月 2020 21:17)
間もないころは、会いたくてたまらない。
声が聞きたくててたまらない。
触れて、そばにいたい。
それが愛しさに変わってたまらなく苦しい。
多くの方が、抱える気持ち。
管理人 (火曜日, 01 12月 2020 20:36)
12月26日(土)は新型コロナウイルス感染が止まらないことから、
開催中止といたします。
次回1月30日(土)予定してますが、開催の可否は後日お知らせします。
管理人 (月曜日, 30 11月 2020 21:00)
つい1時間ほど前には普通に話をしていたのに。
こんなことが・・・
自分は強い人間のはず。
今までどんな困難にも立ち向かってきたし、
あるいは逃げることが出来た。
ただ、これだけは逃げることも立ち向かえることもできない気がした。
おかしい、自分は強いはずなのに。どうしてだ、
どうすればいいのだろうかと、もがいていた。
自分にとって最大の試練だった気する。
後に、同じようなお話をされていた遺族の方がいた。
ああ、自分だけではなかったんだ。
管理人 (日曜日, 29 11月 2020)
駅に向かって、横断歩道で信号待ちをしていたところ、
白杖を持った30歳前後の男性が赤信号の横断歩道を渡ろうとしたことで、
思わず制止した。少し前から、年配の夫婦が執拗に
この男性に話しかけていたのを見ていた。
事情は分からないが、迷惑に感じていたようで、
逃げるようにしていたことで横断歩道を急いで渡ろうとしたようにも見えた。
制止したことで、男性の方から、ここから○○の看板が見えますか?
そこにいきたい。
私。見えますし、近い場所だから一緒に行きましょうか?
男性。お願いします。では腕をつかませてください。
私。いいですよ。
腕をつかまれながら、目的地に到着。お礼の言葉でお別れ。
腕をつかまれたとき、数年前の大切な人とのことを思い出した。
心地よいのだ。人の手は何かしらの力をもらえることを感じた。
ハンディキャップがあるのにもかかわらず、一生懸命生きてる人がいる。
そんな思いを抱かせてくれた男性にむしろこちらがお礼を言いたいと思ったなあ。
管理人 (月曜日, 23 11月 2020 21:24)
遺族の方で、パートナーが大好きでたまらなかった。
とおっしゃる方が何人かいる。
とても気持ちがよくわかる。
喪った後でも、大好きが止まらない。
つらいけど、それは数年続く。
いずれ形は変わってくると思う。感謝の気持ちに。
それまでは・・・
管理人 (土曜日, 21 11月 2020 22:12)
2020年11月21日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00
パートナーを亡くされた方5名の参加者で開催されました。
パートナーのいない寂しさに泣き、
後悔や罪悪感、一人残された孤独感、喪失感の毎日だが、
ある程度時間が経つと、他人からは、もう大丈夫と思われてしまう。
実際には、平静さを装っていても、気持ちは羅針盤を失ったように彷徨っていた。
みんなで共感した時間でした。
管理人 (月曜日, 16 11月 2020 21:18)
間もない頃、二人で出かけた所に、よく行っていた。
多分、脳(心)がその時の居心地の良さを覚えていて、
そこに行ってみるという行動になった気がする。
その場所で、当時の想いを馳せる自分がいた。
時には、悲しい思いで涙する自分がいたこともあるし、
無感動の時もあった。
また、悲しいことが起きてしばらくのころ、
珍しくアゲハ蝶が部屋に入ってきた。きっと姿を変えて会いに来てくれたと思った。
これは、きっと脳(心)が癒しをくれたのでは。
今年はコロナの影響で外出は控えめ。
来年、暖かくなった時期、コロナ影響や体力次第だが、少し遠いが想いの強いところに行ってみたい。
あれから、7年経って涙するのか、はたしてどんな気持ちになるのだろう。
管理人 (水曜日, 11 11月 2020 21:56)
新型コロナの影響もあってか、
外出も控えめ。そのために体力も、
記憶力もいまいちになっている。
歩くスピードも目に見えて遅くなっているし、
座ってから、立ち上がるのに、手をつくようになってきた。
老いるという戸口に立ったと感じる。
先日、所用があって新宿に行ったところ、見覚えのない駅中の風景。
後に気が付いたのだが、東口と西口の通路が新しくできていた。
便利になることはいいことだが、老いることと重なり、
一人になってからの時間の経過を感じてしまう。
それはなぜか、もの悲しい。
いや待てよ、会えることに近づいたと思えばいいか。
管理人 (金曜日, 06 11月 2020 22:43)
パートナーとはどんなに仲良くても、幸せそうでも人間同士。
不満や、失望、怒りがあったはず。
そして、お互い憎しみ合うことだってあったはず。
それが強くあった場合、
その負の感情が愛情の裏返しになるようだ。
自分の理想的な関係を思うため、相手が亡くなってしまうと、
求めていたものが絶ち切れてしまう。
DVに悩まされていたり。借金で悩まされていたり。
心の病気に悩まされたり。価値観が違っていたり。
としても、愛がそんな感情を創り出してしまう気がする。
遺族でない第三者から見ると、理解できない感情だと思う。
愛は奥が深い。
管理人 (木曜日, 05 11月 2020 22:56)
悲しみは和らぐことがあっても、消えることは無い。
悲しみはずっと心の中で生き続け、弔い(喪)の心を常に持ち続けている。
今思うと、自分なりに十分に弔い(喪)の時間が持てたと感じられた時に、
悲しみの感情が薄らいできたのを感じた。
人によって弔い(喪)の方法は違うはず。
私は、生花をお骨の前に手向けることをしていた。
2年半ほど、フラワーアレンジメント教室に通った。
3年目で、自分なりに十分に弔い(喪)の時間が持てたと感じた。
人によって、月命日や、祥月命日には、何々をする。大切な人の誕生日には何々をする。
これも、弔い(喪)の時間。いろんな弔い(喪)がある。
多分、実践している方は無意識かもしれないけど、そんな方を見かけると、
しっかりと、弔い(喪)の時間を持っているんだ、と言いたくなる。
みんな頑張っている。健気な気持ちが伝わってくる。
管理人 (水曜日, 28 10月 2020 22:01)
少し前に、腰を痛め、動きに不自由を感じることから、
動けるときは、片づけをせねばという思いに駆られている。
片づけをしていると、思いがけないものを目にしてしまう。
ほぼ10年前の写真。大切な人のバースデー。
この時、名前入りのケーキを依頼した。ちょっとした
サプライズに、とても喜んでくれた当時の様子が写っている。
涙がとめどもなく流れてきた。
そして声を上げて泣いた。
今でも、慟哭してしまう。
そんな自分がちょっとかわいく思った。
管理人 (火曜日, 27 10月 2020 22:12)
昨今、TV番組を見逃ししても、PC、スマホ、タブレットなどで見ることができる。
ラジオ番組も、1週間前までの番組は視聴できる。
便利になったもの。
何か過去に戻れるような錯覚をしてしまう。
ああ、あの日の前に戻れるものなら戻りたい。
管理人 (日曜日, 25 10月 2020 19:48)
2020年10月24日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00
パートナーを亡くされた方12名の参加者で開催されました。
2グループに分かれての分かち合い。
私のグループでは、
どうやって生きていこう?
まだ来ぬ将来をいろいろと案じてしまう。
間もないころは、ほとんどの方がそんな思いに捉われる。
けっして特別な感情ではない事を確認できた時間。
管理人 (月曜日, 19 10月 2020 20:59)
二十数年前通勤途中で、新築のアパートの2階から
30代前後と思えるスーツ男性の出勤姿が見えた。その時女性がお見送りをし、言葉を交わしている。
男性は階段を降り切ったところで、上を見上げ手を振っている。女性も手を振っている。
本人たちにとって当たり前の行動で人に見せるためのものでもない。
毎日の事。1年以上見かけていた。
見ていてほのぼのとしたものを感じていた。
勤務先が変わったりするともうその姿は見ることはできなくなった。
遺族の中に、若い方を見かけると、そんな光景を思い出すときがある。
その方に、そんなことがあったような気がして。
大切な人と過ごした時間はもう二度と戻ってこない。
でも、その幸せだった時間の記憶をかみしめ、感謝する。
悲しみがあるから、愛の喜びがあった・・・
管理人 (金曜日, 16 10月 2020 22:12)
ある書物に
一人の時間を望むのは、それだけ人間関係につかれている証拠。
一人の時間は必要だ。
一人の時間は治療の時間なのだ。
人間関係で疲れたからだと心を休ませてあげる時間。
だから一人で食事したり酒を飲んだり、
一人でできることを楽しんだらいい。
ただし、そうやって一人の時間を楽しんだ後は、
必ず戻らなければならない。
一人の時間は、帰り道が約束された旅行でもある。
そもそも一人でいたいなんて気持ちは、
結局、誰かと繋がっているから生まれる。
無人島に一人でいるなら、ひとりでいたいなんて思わないだろう。
一人でできることが多いと、他人と程よい関係を続けることができる。
一人が楽だけど、結局は一人では生きていけないことを知っている。
孤独を十分に楽しんだ後、再び人の群れに戻る。
孤独は必要なもの。
悲しいことが起きて、孤独はつらいものと思っていたが、
そうではないと思った。
管理人 (水曜日, 14 10月 2020 20:39)
意馬心猿(四字熟語)
馬が奔走し猿が騒ぎたてるのを止めがたいように、煩悩・妄念などが起こって心が乱れ、抑えがたいこと。
悲しいことが起きてしまうと、いろんな思いが心に付きまとって離れない。
来る日も来る日も離れない。
これは「意馬心猿」ではないか。
こういう心に苦しんだ人は、昔から大勢いたのではないか。そんな人たちが受け継いできたからこそ、このことばは四字熟語として、現在まで伝えられている。
これは先人たちも感じてきた、苦しさなんだろうと思う。
管理人 (月曜日, 12 10月 2020 18:26)
丸ノ内線は地下鉄と言いつつ、地上を走る区間がある。
初めて、大切な人と丸の内線に乗った時、
二人で、地下鉄と言っても、地上も走るんだよね。
そんな会話を覚えている。
丸の内線に乗って地上に出ると、この会話がいつも思い出される。
つらいわけでもないし、どうでもいいことなのだが、
なぜか数十年前の会話を思い出してしまう。
ああ、あの時は、手も握ったこともないお付き合い。
純情だった自分を思い出させてくれるものなのかもしれない。
今ではどこかに置いてきた純情。
いろんなことを回想させてくれる。
管理人 (土曜日, 10 10月 2020 21:47)
急に寒くなったことで、足下にスーと冷気を感じる。
何かが忍び寄ってきている感じ。
その正体は、老いと寂しさとも感じられる気がしてる。
元気な時は、どれだけあるのか。
忍び寄る老いと寂しさをどうすればいいのか。
と、一瞬思ったが、なるようになるだけだ。
管理人 (木曜日, 08 10月 2020 19:37)
新型コロナの話題から、各国の事情、死生観、人生観を聞くことがある
フランス人の人生観は、
バカンスのために生きている。
人はいつか死ぬ。
それは神が決めること。
宗教観の違いだから、日本人には受け入れがたいかもしれない。
でも、そんな考え方が出来たら、生きやすいかもしれないと思った。
生きづらさを強く感じてきたら、参考にしてみよう。
管理人 (金曜日, 02 10月 2020 21:43)
悲しいことが起きて2年半ほどたった頃。
たまたま、衣料品店に入った時、エプロンが目に入った。
普段大切な人が使っていた柄に似たもの。
まるでそこにいるような感覚。
お店の中にも関わらず、涙がぼろぼろこぼれていた。
そして、これは男性独特の感情、もしくは私だけかもしれないが、
エプロン姿は母性を感じるもの。
大切な人は、中学の同級生でもあり、子供のように甘えることもあり、亡くなった時は
妻、母、子供、親友の多くを喪った気持ちになっていた。
管理人 (水曜日, 30 9月 2020 22:13)
名の知られた方の自死が続いている。
こんなに続くと、
いろいろな言葉が次々と出てくる。
何も知らない人の不用意な発言で傷つく遺族の方もおられる様です。
例えば、「近くに家族がいてどうして気づいてあげられなかったのか。」
よく聞くことだが、知人が亡くなると、あの時自分が声をかけていればとか。
自分が言った一言が良くなかったのではないかとか。
あるいは亡くなった人の関係者への非難。
そんな風に考える方が多いと聞く。そんなものではないと自死遺族はわかっている。
世の中いろんな人がいるし、人の口に戸は立てられない。
遺族はそっとして欲しいものなのに。
管理人 (日曜日, 27 9月 2020 08:51)
2020年9月26日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00
パートナーを亡くされた方12名の参加者で開催されました。
悲しいことが起きる前の苦悩、起きた後に後悔や自責の念が出てしまう。
あるいは時間が経ってからそれが出てしまったり。
人それぞれの環境が違うことからではあるが、計り知れない悲しみ苦しみは共有できた時間でした。
管理人 (水曜日, 23 9月 2020 08:26)
ももさん、書き込みありがとうございます。
二人で長い時間を過ごしてくると、一人の方が気楽でいいと思う時があります。
それは多くの方が思うところでもあると思います。
コロナ離婚が増えているのはそんな思いが強くなっている方が増えたわけですから。
私もそんなことがありました。。
中には、憎しみ合って、泥仕合を繰り広げる芸能人もいたりしますが。
私も、ももさんと同じような過ごし方をしてます。
罪悪感はありません。むしろ、今では一人にしてくれて、好きなように過ごしてほしいというメッセージに受け取ってます。
遺されるつらさを引き受けたわけですから、それでいいと思ってます。
そして、亡くなってしまったことで、心配することがなくなったのです。
罪悪感を抱えて過ごそうが、過ごさないでも同じ時間を過ごすことになりますし、
自分で、自分を痛めつけることはしないようにと思ってます。
当初の気の狂うような悲しみ、苦しみ、絶望はいまでは治まってます。
表面では冷静を装いながら、心は嵐が吹き荒れている時期もあったりもしました。
苦しみを和らげるのは人それぞれですから、何とも言えないのですが。
ただ、悲しみが消えたわけではありません。
世の中には、傍目には気が付かない自死に限らず様々な悲しみを抱えた方が沢山おられます。
悲しみを抱えながらでも、限られた人生、一生懸命生きている方が多いです。
そんな方を見るにつけ、私は励みにもなってます。
もも (日曜日, 20 9月 2020 12:00)
ネットでいろいろ検索する、ユーチューブにはまって時間が経つのを忘れる、一日中好きは音楽を聴く、時には友人と長電話、メール。家事などやらずにプライムビデオ。思わす夜更かししてしまう、外出すれば帰宅が夕食時と言われている時間を過ぎることはざら、食事はスーパーのお弁当、ということもざら。
今、こういう「自由」はわたしのものとなり、わたしは現実逃避のためにこの「自由」を駆使しています。でも、何をしても「ああ、こういうことは夫がいたらできなかったことだなあ」と思って、はっと我に返り、「自由を謳歌する」という心境にはなれません。絶えず後ろめたさが伴います。最期期の夫は何かにつけてしつこくいびるように文句を言いました。「これじゃ、いっそ独りのほうが気が楽だわあ・・」と一瞬思ったこともあり、あわててその一瞬の思いを消しました。その「一瞬」が複数回。だから、それが現実になったとき「ああ、バチがあたった」と確信しました。このバチ当たり感はこれからも消えてはいかないと思います。
小池真理子という直木賞作家が今年2月に死別したご伴侶とのことをエッセイに書いています。「長くともに暮らし、血管が切れそうになるほど腹を立てたことは数知れずあったのに、今となれば、そんな「暗い記憶」は長続きしない、楽しかったことなど日常のささやかな習慣の記憶がはるかにそれを凌駕する」と書いています。
言葉は悪いけれどわたしは羨ましいとさえ思いました。こういう純粋な悲しみならまだましだと。わたしはクールに測れば「暗い記憶」の総量の方が絶対少ないはずなのに、その記憶が「甘い記憶」を黒々と塗りつぶしている感じ。だから、「思い出す」ということを今は避けています。
管理人さんのように「大切な人」というのを彼女の代名詞のように使えるようになるまで、これから先、途方もなく年月がかかるだろうと思います。
管理人 (金曜日, 18 9月 2020 22:06)
最初はお互い大好きで片時も離れたくないと思って一緒になり。
一緒に歳を重ねて、同じお墓に入る。(偕老同穴)
はずだった。
なぜか一人で旅立ってしまう。置いてけぼりだ。
時間は色々なものを変えていく。
ならば、時間は自分のつらい気持ちだって変えていってくれるはず。
管理人 (火曜日, 15 9月 2020 23:22)
国勢調査をもう済ませた方もおられると思います。
大切な人を亡くして、初めての国勢調査は、つらい思いかと。
私は2回目。1回目は涙ぼろぼろだった。
今回は淡々と記入しオンラインでの送信。
時間にしては数分で終わるけど、初めての方は、
しばし悲しい思いに浸ってしまう方もいるのでは。
でも、次の5年後は悲しい想いは薄らいでいくと思うから。
管理人 (金曜日, 11 9月 2020 21:12)
prime videoで「赤ちょうちん」を見つけたので早速観ることにした。
藤田敏八監督の1970年代の青春映画の一つ。
高岡健二と秋吉久美子主演。現代とは違っている風景、生活様式などを懐かしむこともできた。
今は亡くなってしまった若かりし頃の俳優陣も懐かしい。
当時は、映画を妻と二人で観た。ラストシーンは秋吉久美子が心を病んでしまうというもの。
それがとても気になり、何となく、
まさかあなたも同じようなことにならないよね。
と、その時の返事が案外そうかもしれないね。と笑っていた。
そんなことも思い出してしまった。
数十年後、同じように、妻は心を病んでしまうことになるとは。
管理人 (火曜日, 08 9月 2020 20:31)
介護疲れ、25歳年上の妻を殺害。
妻は老い、病を患った。介護の果てに生活苦も重なり、
将来を悲観した男(63歳)はついに、最愛の相手に手をかけた。
そんな記事を見た。
誰でも老いる。
介護が必要になると、元に戻っていくことは無いだろうし、
亡くなるまでそれは続く。
金銭的や環境に恵まれている人は少ない。
老夫婦でどちらかを介護することは困難なはず。
そして愛する人だから葛藤が生まれる。愛してなければこんな悲劇は生まない。
老々介護は、残酷な結末になってしまうことが多々ある気がする。
この二人は赤い糸で結ばれていたのだろうか。
と思いながら映画「糸」を観に行った。
管理人 (土曜日, 05 9月 2020 21:56)
大切な人が亡くなると、もう一緒に行動する人がいない。
気を遣うことなく話す人もいない。今まで依存していたことが依存出来ない。
愛しくて寂しくてたまらない。
最近は、何かしら一人でも楽しむ術を覚えてきた感がある。
一人で趣味など楽しめば、人を気にしなくて済むし、
飽きたり、自分に合わないと感じたら他の物を見つけていけばいいだけ。
そういったものは、人と違い向こうから裏切らない。
根本の解決ではないのはわかっている。
でも、つらい現実を生きていくための手段だし、人に何も言われなくていい。
後ろめたさを感じることなどない。
現実世界を忘れる術は耐えられないほどの苦しい世界を生きていくために必要だし、
苦しみを解消するには時間がかかる。和らげることから始めないといけないから。
管理人 (木曜日, 03 9月 2020 22:06)
何気なく見かけた言葉。
「どんなにつらい悲しみにも
それにふさわしい幸せがきっとある」
そうであってほしい。
そう思うようにしよう。
管理人 (水曜日, 02 9月 2020 22:59)
某TV番組で、スウエーデンの死生観は日本と違うということをやっていた。
人間はいつか死ぬもので、
「助けられない命を頑張って助けようとする努力はしなくていい」
というのがスウエーデンの考え方。
人工呼吸器等の措置は医師の裁量に任されている。
患者に処置を施した場合、あとどのくらいの寿命と割り出し、処置をするか否かを決める。
家族の意向も、医師の判断に影響しない。
そういう考え方だと、諦めるしかないし、死を受け入れやすい気がする。
遺された人の悲しみ、苦しみも少しは軽減されるのかもしれない。
悲しみ苦しみは諦めることと死を受け入れることが、なかなかできないから出てくるものだから。
管理人 (月曜日, 31 8月 2020 22:05)
今年は、国勢調査の年。
大切な人を亡くして間もない方はつらい作業になることではないでしょうか。
記入すべきところに記入できないのは、現実を見つめることになる。
ダメ押しで亡くなったことを知らしめられる。
以前、私は悲しいことが起きて一年後だった。
国勢調査員が調査票の配布と、回答の回収に来ていた。なぜか調査員と会うことが苦痛でもあったのを覚えている。
今年は、調査員が調査票の配布、回答はインターネットか郵送になったようだ。
管理人 (日曜日, 30 8月 2020 22:09)
内海桂子さん(97歳)の訃報が報じられていた。
人は必ず亡くなるものだから、
97歳という年齢からそういうものだ。違和感を感じた方はいないと思う。
老いること、病気になること、そして死を迎えること。
もちろん誰もが。そして自分も迎えることではあるが、まだ現実感はない。
いずれ、老いて、病気になり、死を迎えるだろう。
老いることで、体が思い通りに行かないことが多くなってくる。
それを考えると、今を大事に生きねばと言う思いが、こんなことがあった時出てくるが、
健康でいるうちはまたすぐ忘れてしまいそうだ。