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書き込み帳 1

コメント: 46
  • #46

    管理人 (火曜日, 11 9月 2018 17:33)

    ここいく さん
    そうなんです。初心者で人生は一回きり。しかもぶっつけ本番だから。
    コメントありがとうございます。

  • #45

    ここいく (火曜日, 11 9月 2018 02:07)

    人生の初心者であるにも関わらず人生は一回だけ。
    初心者はなんでも初めてだから辛くて辛くてたまらないことばかりだけど、それでも一回だけの人生、やっぱり今を生きよう。
    あとで会えるんだから今の私たちの人生を、今を生きよう。
    出来ればうんと楽しく、悲しいままでもさ。

  • #44

    管理人 (日曜日, 09 9月 2018 22:53)

    百年たったらみんなこの世にいない
    人類の誕生は数百万年前らしい。
    人の寿命は数十年。そんな歴史を考えると
    人の寿命はちっぽけに感じる。残った人生
    辛い思いをずっと引きずって生きていかなくてもいいのでは。

  • #43

    管理人 (土曜日, 08 9月 2018 20:57)

    ロード (THE 虎舞竜の曲)
    抜粋

    冬も終わりに近づき借りたての部屋の中
    突然闇に落とした悪夢のような電話
    病室のベットの上まるで子供のように
    微笑みを浮かべたまま眠れる森の少女

    ちょうど一年前にこの道を通った夜
    あの時と同じように雪がちらついている

    何でもないような事が幸せだったと思う
    何でもない夜の事二度とは戻れない夜

    実話をモデルにした歌

    この歌で感情移入して目を潤ませた人は多いと思う。

    でも経験しているわけではない。
    原因はどうであれ、愛する人の突然の死
    自分の身には決して起きないと根拠のない自信を持っていた。
    そして、自分の身に起こってこの歌のように
    何でもないような事が幸せだったと思う。

  • #42

    管理人 (金曜日, 07 9月 2018 18:24)

    スヌーピーの言葉
    「配られたカードで勝負するしかないのさ」
    どんな状況であれ
    起きた出来事をきちんと受け入れる事が人生において一番大事な事
    受け入れてこそ、先に進んで行くことができるという事を教えてくれてる。

  • #41

    管理人 (木曜日, 06 9月 2018 17:03)

    いいですか。夫婦ったって、アカの他人同士ですよ、アカの他人同士が起こす奇蹟それが夫婦というものです(永六輔)

    奇跡だから絆が強い。絆は糸に半分と書きます。見えなくなっても糸を半分ずつ握っている。

  • #40

    管理人 (木曜日, 06 9月 2018 16:49)

    さとう ときさんコメントありがとうございます。
    私は当時、遺品を5年かけて整理しようと決めました。4年たちましたので予定通り1/5残ってます。
    5年かけてという思いの裏には、5年は生きていこうという、絶望の中で、生きていくことへの言い訳でした。
    整理していくうちに、私も何かすっきりしてきています。意味のある心の整理と感じてます。

  • #39

    さとう とき (木曜日, 06 9月 2018 12:31)

    こんにちは

    #19断捨離のお話し、私もそうでした。

    私は思いっきりが良過ぎてしまい、もう少し考えながら、手元から旅立たせれば良かったと、思い返していますが…

    ですが、やはり、モノ=ココロであることは間違いなく、自分が思うよりもスッキリした気持ちになったことを覚えています。

    これからは、自分の身の回りを整えていく為に、夫がキッカケとなってくれた断捨離を粛々と進めていこうと思います^^

  • #38

    管理人 (水曜日, 05 9月 2018 21:33)

    亡くなった時、あまりにもあっけなく感じた。それは
    生と死の境にふすまの様なものがあり、亡くなるとふすまの向こうに移動したと思えた。
    決して、消滅するわけではない。だから心の中にいてくれる。

  • #37

    管理人 (水曜日, 05 9月 2018 00:15)

    ルーさん。
    コメントありがとうございます。
    途方もない苦しさ、悲しさと向き合ってきたからこそ
    今のご自分があるのですね。
    心のやさしい方だと伝わってきます。

  • #36

    ルー。 (火曜日, 04 9月 2018 22:41)

    こんばんは

    管理人さんのあたたかいお言葉のおかげで気持ちがとても落ち着きました

    何だか私の背中に天使の羽が生えたかのようにすら感じます(きれーな七色)

    辛いときはその羽が1枚だけヒラヒラと
    歩んできた底無しの暗闇に落ちていくだけ

    私自身は明るくなりかけている少し高いところから
    落ちていく1枚の羽を眺めているだけ
    私自身は あの夜から落ちていません

    管理人さんのあたたかいお言葉のおかげです

    感謝の気持ちをお伝えしたくて…

    管理人さん ありがとう

  • #35

    管理人 (火曜日, 04 9月 2018 21:53)

    死んだっていうからおかしいんだよ。先に行っただけなんだから。 (永六輔)

    起きた出来事は変えられない。
    その出来事をどう受け止めるかは変えることはできます。
    喪った寂しさ、苦しさは愛してたから。愛した人は、心の中にずっといてくれる。
    そして、自分も行った時、必ず会える。

  • #34

    管理人 (月曜日, 03 9月 2018 21:57)

    大切な人が亡くなると、ほとんどの人が自責の念に苦しみます。
    間もない方は自分のせいだと決めつけてお話しします。
    ご自分で言っているときは、真実かどうかわからないのにその思いでいっぱい。
    どんな根拠のないことでもそのように考えています。
    真実はわかりません。わからないことを考えるから苦しい。
    でも、他の方が自分のせいと言っている話は、それは違うのではという思いを感じることがあります。
    自分を客観的にみることが出来ないから、いつまでも自責の念で苦しい。
    そんな気付きを得るために、同じ立場の人たちでの語らいが必要なのです。

  • #33

    管理人 (日曜日, 02 9月 2018 22:47)

    ルーさん
    コメントありがとうございます。
    先のことは考えないで歩く。
    歩くは少し止まると書きます。
    少し止まりながら歩くことはいいと思う。

  • #32

    ルー。 (日曜日, 02 9月 2018 22:11)

    元気になれたー
    と思いきや
    またドーンと孤独に陥り
    なんだか眠れない

    先の事は考えない…
    今からやって見ます

  • #31

    管理人 (土曜日, 01 9月 2018 21:12)

    まずは目の前の階段を一歩ずつ

    ちょっと疲れている時、地下鉄の階段を上って、上を見ると「まだあそこまで上らないといけない」
    と考えると、少し辛くなる。上を見ないで、足元の階段を一歩一歩上れば、
    辛さは感じない。だから、先のことを考えると辛くなる。今の一歩を歩くようにしてる。

  • #30

    管理人 (金曜日, 31 8月 2018 20:41)

    諦念(ていねん)  

    あきらかに物事を見る心ということ。

    起こった出来事は元に戻らない。

    事態や状況を理解した上でこれ以上執着せず求めない心のことです。

  • #29

    管理人 (水曜日, 29 8月 2018 20:45)

    先人の言葉(ダンテ)

    「人生で一番楽しい瞬間は、誰にも分からない二人だけの言葉で、誰にも分からない二人だけの秘密や楽しみを、ともに語り合っている時である。」

    「不運な時に幸福な時代を思い出すことほど辛いものはない。」

    時代が変われど人生の旅は変わらないものがある。

  • #28

    管理人 (火曜日, 28 8月 2018 22:10)

    妻とはよく、100円ショップに出かけていた。100円ショップにはアイデア満載のものもある。
    また、旅先で、ちょっとした便利なものも手に入ったり、マンネリ化した日常に刺激を得ることもできる。妻が商品を眺めながら、あれこれ想像しているであろう姿がかわいらしくてしょうがなかった。そんな思いでいた。
    妻が亡くなったときは、自分はもう二度と行くことはないだろうと思っていたし、行くこともなかった。
    思い返してみると、100円ショップに、生活の中での少し快適なことを求めていたと思う。
    それは、生きていくのだという実感、意思の表れ。亡くなった当初は、自分はもう生きていけないという思いが強かった。だから行くことが出来なかったのかもしれない。今は、行けるようになっている。そうか自分は、生きていくという気持ちが出てきているんだ。

  • #27

    管理人 (月曜日, 27 8月 2018 21:33)

    パンドラの匣(太宰治)(ギリシャ神話からのモチーフ)

    人間には絶望という事はあり得ない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷(いちる)の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。

    絶望の中でも、希望は見つかることがあるのです。

  • #26

    管理人 (日曜日, 26 8月 2018 22:22)

    仏教の言葉で

    「過去は追ってはならない。未来は待ってはならない。
                         ただ現在の一瞬だけを強く生きねばならない。」
    何もしなくても、人は老いていく。
    そして誰もが、死を迎えます。ならば生きている今、二度とこないこの一瞬、大切に生きなくては。

  • #25

    管理人 (土曜日, 25 8月 2018 22:20)

    光があるから影がある
    人生の中で幸せを感じていたから、喪うことで、大きな影となってしまう。
    喪って気が付く、輝かしかった光。そして
    過去という部屋、後悔という部屋から出られなくなっている。
    大切な人を亡くした人、みんな通る道。

  • #24

    管理人 (金曜日, 24 8月 2018 22:09)

    何か自分が悪いことをしたから、こんな苦しみがあるのだろうか?
    また、いい人ほど早く亡くなるとよく言われます。
    いい人ほど早く亡くなるのではなく、その人との時間が楽しかった、また会いたいという気持からいい人となってしまいます。
    善人と言われる人、悪人と言われる人、それぞれ長生きする人もいれば、短命の人もいます。
    長く生きる人は、世の中で、その人がやるべき役目があるからと思うようにしよう。

  • #23

    管理人 (木曜日, 23 8月 2018 21:42)

    今までに、色々な死別を経験してきたが、伴侶との死別だけは特別だった。
    自分の死を意識してしまう。それは自分の生きがいと幸せの行方を握っていたからかなぁ。

  • #22

    管理人 (水曜日, 22 8月 2018 21:06)

    愛別離苦
    愛する者との別れる苦しみ
    亡くなることで、今まで目の前にいた人を実感することが出来なくなります。消えています。
    愛する人と過ごした時間、思い出は心の中だけ。それは消えることはない。苦しいのです。
    現実をあきらかに見ていかなければいけない。
    もう戻らないと、あきらかにしなければいけないのです。

  • #21

    管理人 (火曜日, 21 8月 2018 21:02)

    亡くなった後、周りを見る時の感覚が変わてしまっていた。
    朝、お店の準備に追われている人、足早に歩いている人。もう勤務に従事している人、道で見かけるすべての人、生のエネルギーを感じ取れた。何のために生きていくのかの想いの中で、ほかの人は、きっと大切な人がいて、その人のために生のエネルギーがあるのではと。むなしい想いで茫然としている自分を感じていた。

    亡くなって1年半。妻の使用していた自転車をふと見ると、手入れをされる事もなく、埃をかぶり、タイヤは空気が抜けている。ぼろぼろになりながら、主人が乗ってくれるのをじっと待っている。そのあり様は、まるで自分を映し出しているようだった。

    その後自転車を処分したら気持ちが楽になったのを感じた。

  • #20

    管理人 (月曜日, 20 8月 2018 07:42)

    愛とは巨大な矛盾であります。それなくしては生きられず、
    しかもそれによって傷つく (亀井勝一郎著 愛の無常について)

    この世の幸せであり、苦悩でもある。

  • #19

    管理人 (日曜日, 19 8月 2018 09:22)

    亡くなって間もないころ、妻の服を両手いっぱいに抱きしめて泣いていた。一緒にお出かけした時の服を見るたび、その光景が浮かんできていた。それは毎日のように続いていた。
    でも、これらは自分で整理しなければならない。愛妻の遺品を、もし、自分に何かあったら、他人がただのごみとして処分してしまう。それは嫌だ。そんな思いで、整理していった。すると、何か気持ちが楽になって来たのを感じていました。
    両手いっぱいに、思いを抱えていると、新しいものをつかむことが出来ない。前に進めない。
    手放すこと。つらい思いも少し手放せる。新しいものをつかみ取れるようになるようだ。

  • #18

    管理人 (土曜日, 18 8月 2018 09:39)

    ある駅で見かけたポスター

    「つい、カッとなった。人生、ガラッと変わった」
    暴力行為防止ポスターなのだが、遺族の視点で考えさせられるものがあった。
    自死も、行為に走らせる同じようなついやってしまう何かがきっとある気がする。
    ただ、結果が少し違うのは、本人もそうであるが、遺された人の人生が大きく変わってしまうこと。
    感情のコントロールは自分でするしかない。できなかったんだろうなぁ。

  • #17

    管理人 (金曜日, 10 8月 2018 06:16)

    永六輔の言葉に

    すれ違う男女

    女性にとって会話は心のやりとりだが
    男性にとって会話は情報のやりとり
    女性は考えがまとまらないから話し
    男性は考えがまとまったら話す
    女性はすべて聞きたいと思うが
    男性はすべて話す必要はないと思う
    女性は悩みを聞いて欲しいだけなのに
    男性は悩みを解決しようとする
    女性は言わなくてもわかって欲しいのに
    男性は何も言わなければ大丈夫だと思う
    だからいつまでも男女はすれ違う

    確かにすれ違いが多くあった気がする。

    人は、誰にも言えない「秘密の蔵」を持っている。
    夫婦、親子、兄弟、恋人、親友。どんなに心を許した人にさえ、 全てをさらけ出すことはしない。
    亡くなったときに、「どうして、なぜ」の自問自答に、答えが出せないのは、どうしようもない当前なこと。
    いくら考えてもたどり着くことができないから、もうやめにした。

  • #16

    管理人 (火曜日, 07 8月 2018 21:21)

    「タイムマシン」という映画(DVD)があります。
    内容は、主人公(科学者)の婚約者が強盗に殺害されてしまいます。
    彼はタイムマシンを完成させ、彼女を助けようとして強盗に遭遇しないようにしても、彼女は、違う亡くなり方をしてしまう。彼は何度も過去に戻ったとしても、彼女の亡くなり方をその都度見なくてはならないことに気が付くというものです。一度起きたことは変えることが出来ない。そこから見えてきたのは、自分も過去に戻れたとしても、(あの時あーすれば、こーすれば、その時は亡くなることはなかったかもしれない。)違う亡くなり方を見なければならなかったのだろう。

    どんなに後悔しても起きたことは変わることはない。

  • #15

    管理人 (月曜日, 06 8月 2018 21:50)

    妻が亡くなってから4年。周りを見渡すと景色が大きく変わっている。
    古いお店が無くなったり、新しいお店が出来ている。
    そして時間は止まることなく動いていく。

    諸行無常(世の中の一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものはない。)
    「いつまでも変わらない」ことにこだわりすぎる人の心が「苦しみ」を生むひとつ。
    人が亡くなることもしかり。何時かは亡くなる。

    変化したことを悲しんだり苦しむのではなく、時間がかかるけど、受け入れなくては・・

  • #14

    管理人 (日曜日, 05 8月 2018 21:32)

    あるTV番組の中で次の言葉を見かけた

    一人の人の死は悲しい
    しかし、そのことから
    何も学ばず
    何一つ新しく
    生み出せないとすれば
    それはもっと悲しい

    確かにそう思う。

    会に参加することも学びの一つ。皆がんばっているんだ。

  • #13

    管理人 (土曜日, 04 8月 2018 22:21)

    2018年8月4日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00
    パートナーを亡くされた方7名の参加者で開催されました。暑い中の参加お疲れ様でした。

  • #12

    管理人 (土曜日, 04 8月 2018 21:50)

    Aグループ参加者様
    本日はお暑い中の参加ありがとうございます。
    Aグループ担当に伝えておきます。
    お気持ちが向きましたら次回もご参加ください。

  • #11

    Aグループ参加者 (土曜日, 04 8月 2018 17:53)

    今日はありがとうございました。

    これまで話したことの無い話題にも触れられて、考えさせられること、予想以上にありました。

    分かち合えた方、皆様に感謝します。

    また気持ちが向いた時に参加させてください。

    /(E)

  • #10

    管理人 (日曜日, 29 7月 2018 23:30)

    喪うことは失うことばかりではなく得るものもある。

    大切な人が存在することは心配事も多く存在する。
    病気やケガを心配したり、帰りが遅かったりすると、事故にあっていないか。
    ひょっとしたら自分の元から離れていってしまわないか。時には嫉妬したりすることもある。
    自分が先に逝ってしまったら大丈夫だろうか。そんな諸々なことが全てなくなった。
    もう愛する人への心配事はない。そして自分だけのもの。

    でもその代償はどのくらいの大きさかわからない。

  • #9

    管理人 (土曜日, 21 7月 2018 21:44)

    亡くなって10日ほどしたある日、所用があって駅で電車を待っていた。
    苦しくてたまらない時に、電車が入ってくるのが見えた。
    そうか、今そこに行けば楽になれる。楽になりたい。電車はスローモーションのように向かってくる。
    一歩踏み出したとき、頭の中で、そんなことをしてはいけないという理性。楽になりたいという感情が戦っている。ほんの数秒の戦いの中で理性が勝っていた。そばにあった柱にしがみつき涙をぼろぼろ流していたのを今でも覚えている。

  • #8

    管理人 (木曜日, 19 7月 2018 21:36)

    なぜか夏は辛い。
    楽しかった思い出が多いからだろうか?
    それとも、夏は脳が思い出を記憶しやすい何かがあるのだろうか?

    同じ夏はもう二度とくることはないから辛くなるのかなぁ。

  • #7

    管理人 (月曜日, 16 7月 2018 20:17)

    火葬場で、お骨を上げ、骨壺を抱えて家に帰る。そのまま部屋に安置したまま。
    もうこの世にはいないと理性で分かっていても、夜には隣に布団を敷き、そこに戻ってくることを求めていました。そして、朝になると、そこにはいない。今日一日耐えがたい苦しみと悲しみでなんのために、生きていかなければという思い、一年ほど続いていた。

  • #6

    管理人 (土曜日, 14 7月 2018 20:18)

    大きな幸せを味わった後には、悲しみは必ずやってくる。
    会者定離(会うものは、離れる定めなり)
    なぜ私は苦しまねばならないのか?
    それは、私が幸せだったからなのです。

  • #5

    管理人 (木曜日, 12 7月 2018 22:02)

    亡くなった妻を葬儀屋さんに安置してもらいました。午前10時から午後5時まで自由に出入りしてもかまいませんとのこと。10時から5時まで、火葬までの数日間、妻のそばに座り、これからどうやって生きていけばよいのか、数時間もの間、食事さえすることなく、そればかり考えていました。その時間はこれまでに経験したことのない、説明のつかない時間です。

  • #4

    管理人 (月曜日, 09 7月 2018 21:13)

    どうして守れなかったのか、どうして助けられなかったのか。
    そんな自分が生きていることに後ろめたさを感じるのは、愛の証。
    深く愛してたから、今も愛しているからこその感情。

  • #3

    管理人 (土曜日, 07 7月 2018 09:20)

    亡くなってしばらくの間、自分はこんな苦しみ、悲しみで打ちひしがれているのにも関わらず世の中は。何事もなかったかのように動いている。この違和感は、きっと夢の中にいるのだと思ってしまう。
    もう一方で、苦しんでいる自分、周りで何が起きても自分にはもう何も関係ない。時間はただ過ぎていくだけ。
    しばらくは地に足がついている感覚がなかった気がする

  • #2

    管理人 (火曜日, 03 7月 2018 20:14)

    こんなに別れがつらく苦しいのなら、この人に、会わなければよかった。
    こんなに苦しく悲しい思いをするのなら、愛さなければよかった。
    という思いを持つことは、人生の幸せ。ここまで苦しく悲しいことは、
    自分自身でかけがえのないものを作り上げたこと。そんな自分を誇りに思いましょう。

  • #1

    管理人 (土曜日, 30 6月 2018 22:44)

    当初は、言葉にできない苦しみと悲しみ。そして絶望感。このままずっと、出口の見えない真っ暗なトンネルを抜け出せなくて、心が壊れるか、後追いかの道しかないと思っていました。同じような心の叫びを発したことのある仲間同士、受け止めていきましょう。苦しみと、悲しみを経験した心は同じ経験者と共感する心があるのです。