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書き込み帳 2

コメント: 501
  • #501

    管理人 (金曜日, 01 1月 2021 20:19)

    NICOさん書き込みありがとうございます。
    失恋という言葉はありますが、
    失愛という言葉はありません。
    NICOさんはずっと旦那様を愛しているのですね。
    誰よりも愛しくて、大好きな人。
    ありがとうはそんな気持ちからと伝わってきます。

  • #500

    NICO (木曜日, 31 12月 2020 23:00)

    『森の学校』と言う約20年ほど前の映画を観た。
    今年亡くなった三浦春馬さん初出演の映画でした。
    11歳の少年が初めて身近な祖母を亡くし心の葛藤に胸を痛めます。
    少年を思いやってくれた言葉を煩がり祖母を傷つけてしまったままお別れ……
    そんな少年に母親が『頑張って来た人にはお疲れさん…ありがとう』と空に向かって伝えれば良いと。

    私は自責の念を失くすことはできませんが、やはり『ありがとう』の気持ちは伝え続けて行くのでしょう。

  • #499

    管理人 (水曜日, 30 12月 2020 21:50)

    毎年、12月中旬に一枚カレンダーを銀行から手に入れることが、習慣だった。
    今年はうっかり忘れていて、銀行に行ったがもうなかった。
    大切な人がいたときの、習慣を忘れてしまっている。
    代替はどうにでもなるのだが、二人で生活していた時の習慣を
    忘れているというか、気にならなくなっている。
    何か知らず知らずに色々なものを、手放している気がする。

  • #498

    管理人 (火曜日, 29 12月 2020 22:50)

    ふと思い出したこと。
    新宿バスタが工事中の時、二人でストリートライブをよく見かけた。
    工事を遮る壁が凸凹にあり、程よくストリートライブができるスペースを生み出していた。
    多分違法なので、短い時間で切り上げていたようだ。中には警察官が撤去を促していた時もあった。
    必死なことだと思うが、いたずらっ子のようにも映った。
    随分前にバスタは完成し、そこにはもう二人で行けるわけではない。
    そうか、あれから随分時間が経ったんだ。
    工事中の壁で人とのすれ違いに煩わしさがあったり、ストリートライブも少し楽しんだりと、同じ景色は見ることが出来ない。
    もうすっかり、過去の出来事として思い出となっている。
    パスタが完成した時、あるはずのない、大切な人がいるところへの、バスがあるのではないかと、ターミナルで捜していたことがあったり、バスタの中の中庭で、涙していたこともあったなあ。

    起きたことは変えられないが、その受けとめ方等は時の流れのうちに変わるものと・・・

  • #497

    管理人 (金曜日, 18 12月 2020 20:12)

    NICOさん
    書き込みありがとうございます。
    今も新婚なんですね。
    旦那様と一緒に暮らして、人生の輝があるから。
    「一緒」は一つの糸の者だから、糸でずっとつながっているんですね。

  • #496

    NICO (金曜日, 18 12月 2020 12:57)

    『まだ帰ってこないなぁ』
    『早く帰ってってこないかなぁ』
    と思い続けている私は
    『新婚』なのですね♡

    クリスマスも近いから帰ってきてね……
    いつまでもツリーのテッペンに
    星がつかないないままょ☆

  • #495

    管理人 (木曜日, 17 12月 2020 22:25)

    ネットで見かけたもの。

    「結婚して何年まで新婚って言えるかな?」
    認知症のおばあちゃんに聞くと、こんな答えが返ってきた!
    「旦那様の帰りを待つ時、もう帰ってきたって思ったら新婚じゃないよ。
    まだ帰ってこないなって待ってるうちは新婚よ。だからうちはまだ新婚なの。」ってはにかんでてもう…
    もう何年も前に亡くなられた旦那様をずっと
    「まだ帰ってこないな、早く帰ってこないかな」って毎日待ってるのちょっと泣けた
    認知症だから旦那様が亡くなられてること忘れちゃうのよね。

    なんか、身につまされる。

  • #494

    管理人 (火曜日, 15 12月 2020 21:29)

    コロナ禍のなか、自死が増えていると聞くとやりきれない。
    どんな人にも、大切に思う人が必ずいるから。
    中には、頼るためでもなく、寄りかかるわけでもなく、ただそこにいて、
    生きていてくれるだけでいい。
    そう思っている人もいるはず。
    大切に思ってくれる人のためにも、生きていってほしいと思ってしまう。

  • #493

    管理人 (日曜日, 13 12月 2020 20:09)

    タカさん書き込みありがとうございます。
    大切な人を喪って
    悲しさ苦しさに耐えるという地獄。
    これは経験した人でなければ分からない。
    耐えるという言葉の重みを感じているのではないでしょうか。
    苦しみのなくなる魔法の言葉はありませんし、時間がかかります。
    先ずは、苦しみを解消するのではなく和らげていくことかと思います。
    人それぞれ、出来ること、出来ない事がありますが、
    つらい気持ちを吐き出すことがいいと思います。
    話せる場所で気持ちを話す。
    今は、新型コロナウイルスの影響で、開催中止の会が多くなってますけど。
    気持ちを文字にする。
    その時の気持ちをノート等に書きなぐる。
    大切な人に手紙を書く。
    お寺で、お焚き揚げしてくれるところがあります。
    手紙相談『自死の問い・お坊さんとの往復書簡』もあります。
    また、自分でこだわりの持った弔いをすることも大事なことだと思います。

    何事も最初は自転車の漕ぎ始めのようにペダルが重く大変ですが、
    漕いでいけば、楽に進むようになるものです。

    いずれにしても長い時間が必要。
    毎日がつらくて、何も変わらないと感じていても、
    気持ちを吐き出したり、文字にしたりと経験していくと、少しずつ、らせん階段を登っているものです。
    ある日、ふと気付きます。
    立ち位置は変わらないけど、見る景色が違うことで心が変わります。
    楽しさも苦しさもずっと続かないものだから、
    いずれ自分の生き方のありようを見つけていけると思います。

  • #492

    タカ (日曜日, 13 12月 2020 07:07)

    二人暮らしだった妻が先月自死してから仕事中はある程度忘れる?ことが出来ますがふと妻の声や仕草や笑顔を想い出しては心が張り裂けそうになり涙が流れます。家にいる時は尚更です。
    何をするにも妻がいる事が前提だった自分の基準が突然無くなり何をして何のために生きていくのかどうして良いのか全く見えません。
    いろいろな考え方もあろうことも想像しますが、どのような相談を誰にするのが良いのでしょう。

  • #491

    管理人 (金曜日, 11 12月 2020 20:38)

    ななさん
    書き込みありがとうございます。
    たとえ、善意からの言葉でも、
    「さびしいですね。がんばって。」は
    私たち遺族にとってはNGワードですね。

    俵万智の短歌に

    さみしさは「ひとりだから」
    というよりも「ふたりなのに」
    でうまれるきもち

    があります。
    人が人と暮らし、人が縁あってともに生きているからこそさみしい。
    別れが来るから。
    パートナーと、ともに暮らし、最愛の人がいなくなって、だからさみしい。
    もしずっと一人で暮らしていたら、喪失の苦しみは少ない。
    人間のさびしさ悲しさは、人とともに生きていること。
    さみしさは宿命だと教えてくれてます。
    パートナーへの愛が大きいから、ななさんは、さみしさ悲しさの大きさに苦しまれているのだろうとお察しします。

    心は、空き缶がへこむように、ちょっとした言葉にもへこんでしまいます。
    空き缶のへこみは、外からはなおしにくいもの。
    内側からなら、なおしやすい。そんな時がやってきます。
    間もない今は、いっぱい悲しむ時間だと思います。

  • #490

    なな (木曜日, 10 12月 2020 23:45)

    夫を自死で亡くして二年が過ぎました。
    三回忌が終わり、直後よりも何故か夫の不在を強く感じるようになりました。
    直後は悲しいとか淋しいとかの感情よりも、ただただ自責の念にかられていたからでしょうか。
    それともあの時はまだ何処かに夫がいるように思ってしまっていたからでしょうか。

    何故いないのだろう。

    クリスマス、年末年始は兎に角辛くて淋しくて。
    それなのに近所の方から言われました。
    「これからクリスマス、年末年始は一人で淋しいでしょう。でも頑張ってね!」

    淋しい人間に「淋しいでしょう」なんて何故言えるのか。
    淋しいに決まっている人間に「淋しいでしょう」なんて何故言えるのか。
    頑張ってね!なんて。
    何を頑張れと言うのか。

    外に出るのが怖いです。
    日常の生活があの日から出来ません。

  • #489

    管理人 (水曜日, 09 12月 2020 21:12)

    大切な人を喪い、なぜという答えを探しても、
    そもそも答えなどきっと見つからない。
    悲しいことが起きた直後は悲しさ苦しさは100%。
    長い時間をかけて徐々に和らいでくる。
    また、
    死別の苦しみだけではなく、生きていくうえで
    様々なストレスを感じたり。
    ネガティブな出来事があったり。
    現状を憂いてしまいがちだが、
    「人間万事塞翁が馬」と思うことに・・

  • #488

    管理人 (火曜日, 08 12月 2020 22:17)

    方丈記
    川の流れのように、幸せも、悲しみも、
    時とともに過ぎていきます。

    古の人の言葉。そうだよなあ。

  • #487

    管理人 (月曜日, 07 12月 2020 20:55)

    大切な人に、先立たれることは、つらく悲しい。
    好きな人を好きなままで、
    お別れすることは最後の愛情と思うことに・・・

  • #486

    管理人 (日曜日, 06 12月 2020 22:14)

    間もない頃
    私とパートナーは 1+1=2
    パートナーを喪って 1+0=1
    一人ぼっちになってしまった。
    と、言った方がいた。
    私は
    私とパートナーは 1×1=1
    パートナーを喪って 1×0=0
    だと思った。
    そして
    想い溢れる感情は、
    言葉にできなくて、
    ただ涙だけ。

    新型コロナウイルスの影響で、街の様相が変わってしまっている。
    悲しいことが起きた直後は、何も世間の様相は変わることは無く、
    世の中が、前に進み、自分だけがそこに立ち止まっているような
    感覚を覚えた。今は、コロナの影響を肌で感じ、世の中と一緒に
    前に進んでいるような感覚。
    今思うと、悲しいことが起きた直後は、とてつもないものだった。

  • #485

    管理人 (木曜日, 03 12月 2020 21:46)

    手袋をする季節になった。
    随分前に、大切な人から誕生日プレゼントしてもらったもの。
    もらった当時は、そんなに感動は無かったけど、
    今年になって気が付いた。
    きっと、手が冷たそうにしていたことを気にしていてくれたのではないかと。
    どんな物をもらったかより、どんな気持ちで贈ってくたのかを
    考えるものなんだなあ。

  • #484

    管理人 (水曜日, 02 12月 2020 21:17)

    間もないころは、会いたくてたまらない。
    声が聞きたくててたまらない。
    触れて、そばにいたい。
    それが愛しさに変わってたまらなく苦しい。
    多くの方が、抱える気持ち。

  • #483

    管理人 (火曜日, 01 12月 2020 20:36)

    12月26日(土)は新型コロナウイルス感染が止まらないことから、
    開催中止といたします。
    次回1月30日(土)予定してますが、開催の可否は後日お知らせします。

  • #482

    管理人 (月曜日, 30 11月 2020 21:00)

    つい1時間ほど前には普通に話をしていたのに。
    こんなことが・・・
    自分は強い人間のはず。
    今までどんな困難にも立ち向かってきたし、
    あるいは逃げることが出来た。
    ただ、これだけは逃げることも立ち向かえることもできない気がした。
    おかしい、自分は強いはずなのに。どうしてだ、
    どうすればいいのだろうかと、もがいていた。
    自分にとって最大の試練だった気する。
    後に、同じようなお話をされていた遺族の方がいた。
    ああ、自分だけではなかったんだ。

  • #481

    管理人 (日曜日, 29 11月 2020)

    駅に向かって、横断歩道で信号待ちをしていたところ、
    白杖を持った30歳前後の男性が赤信号の横断歩道を渡ろうとしたことで、
    思わず制止した。少し前から、年配の夫婦が執拗に
    この男性に話しかけていたのを見ていた。
    事情は分からないが、迷惑に感じていたようで、
    逃げるようにしていたことで横断歩道を急いで渡ろうとしたようにも見えた。
    制止したことで、男性の方から、ここから○○の看板が見えますか?
    そこにいきたい。
    私。見えますし、近い場所だから一緒に行きましょうか?
    男性。お願いします。では腕をつかませてください。
    私。いいですよ。
    腕をつかまれながら、目的地に到着。お礼の言葉でお別れ。
    腕をつかまれたとき、数年前の大切な人とのことを思い出した。
    心地よいのだ。人の手は何かしらの力をもらえることを感じた。
    ハンディキャップがあるのにもかかわらず、一生懸命生きてる人がいる。
    そんな思いを抱かせてくれた男性にむしろこちらがお礼を言いたいと思ったなあ。

  • #480

    管理人 (月曜日, 23 11月 2020 21:24)

    遺族の方で、パートナーが大好きでたまらなかった。
    とおっしゃる方が何人かいる。
    とても気持ちがよくわかる。
    喪った後でも、大好きが止まらない。
    つらいけど、それは数年続く。
    いずれ形は変わってくると思う。感謝の気持ちに。
    それまでは・・・

  • #479

    管理人 (土曜日, 21 11月 2020 22:12)

    2020年11月21日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00
    パートナーを亡くされた方5名の参加者で開催されました。
    パートナーのいない寂しさに泣き、
    後悔や罪悪感、一人残された孤独感、喪失感の毎日だが、
    ある程度時間が経つと、他人からは、もう大丈夫と思われてしまう。
    実際には、平静さを装っていても、気持ちは羅針盤を失ったように彷徨っていた。
    みんなで共感した時間でした。

  • #478

    管理人 (月曜日, 16 11月 2020 21:18)

    間もない頃、二人で出かけた所に、よく行っていた。
    多分、脳(心)がその時の居心地の良さを覚えていて、
    そこに行ってみるという行動になった気がする。
    その場所で、当時の想いを馳せる自分がいた。
    時には、悲しい思いで涙する自分がいたこともあるし、
    無感動の時もあった。
    また、悲しいことが起きてしばらくのころ、
    珍しくアゲハ蝶が部屋に入ってきた。きっと姿を変えて会いに来てくれたと思った。
    これは、きっと脳(心)が癒しをくれたのでは。
    今年はコロナの影響で外出は控えめ。
    来年、暖かくなった時期、コロナ影響や体力次第だが、少し遠いが想いの強いところに行ってみたい。
    あれから、7年経って涙するのか、はたしてどんな気持ちになるのだろう。

  • #477

    管理人 (水曜日, 11 11月 2020 21:56)

    新型コロナの影響もあってか、
    外出も控えめ。そのために体力も、
    記憶力もいまいちになっている。
    歩くスピードも目に見えて遅くなっているし、
    座ってから、立ち上がるのに、手をつくようになってきた。
    老いるという戸口に立ったと感じる。
    先日、所用があって新宿に行ったところ、見覚えのない駅中の風景。
    後に気が付いたのだが、東口と西口の通路が新しくできていた。
    便利になることはいいことだが、老いることと重なり、
    一人になってからの時間の経過を感じてしまう。
    それはなぜか、もの悲しい。
    いや待てよ、会えることに近づいたと思えばいいか。

  • #476

    管理人 (金曜日, 06 11月 2020 22:43)

    パートナーとはどんなに仲良くても、幸せそうでも人間同士。
    不満や、失望、怒りがあったはず。
    そして、お互い憎しみ合うことだってあったはず。
    それが強くあった場合、
    その負の感情が愛情の裏返しになるようだ。
    自分の理想的な関係を思うため、相手が亡くなってしまうと、
    求めていたものが絶ち切れてしまう。
    DVに悩まされていたり。借金で悩まされていたり。
    心の病気に悩まされたり。価値観が違っていたり。
    としても、愛がそんな感情を創り出してしまう気がする。
    遺族でない第三者から見ると、理解できない感情だと思う。
    愛は奥が深い。

  • #475

    管理人 (木曜日, 05 11月 2020 22:56)

    悲しみは和らぐことがあっても、消えることは無い。
    悲しみはずっと心の中で生き続け、弔い(喪)の心を常に持ち続けている。
    今思うと、自分なりに十分に弔い(喪)の時間が持てたと感じられた時に、
    悲しみの感情が薄らいできたのを感じた。
    人によって弔い(喪)の方法は違うはず。
    私は、生花をお骨の前に手向けることをしていた。
    2年半ほど、フラワーアレンジメント教室に通った。
    3年目で、自分なりに十分に弔い(喪)の時間が持てたと感じた。
    人によって、月命日や、祥月命日には、何々をする。大切な人の誕生日には何々をする。
    これも、弔い(喪)の時間。いろんな弔い(喪)がある。
    多分、実践している方は無意識かもしれないけど、そんな方を見かけると、
    しっかりと、弔い(喪)の時間を持っているんだ、と言いたくなる。
    みんな頑張っている。健気な気持ちが伝わってくる。

  • #474

    管理人 (水曜日, 28 10月 2020 22:01)

    少し前に、腰を痛め、動きに不自由を感じることから、
    動けるときは、片づけをせねばという思いに駆られている。
    片づけをしていると、思いがけないものを目にしてしまう。
    ほぼ10年前の写真。大切な人のバースデー。
    この時、名前入りのケーキを依頼した。ちょっとした
    サプライズに、とても喜んでくれた当時の様子が写っている。
    涙がとめどもなく流れてきた。
    そして声を上げて泣いた。
    今でも、慟哭してしまう。
    そんな自分がちょっとかわいく思った。

  • #473

    管理人 (火曜日, 27 10月 2020 22:12)

    昨今、TV番組を見逃ししても、PC、スマホ、タブレットなどで見ることができる。
    ラジオ番組も、1週間前までの番組は視聴できる。
    便利になったもの。
    何か過去に戻れるような錯覚をしてしまう。
    ああ、あの日の前に戻れるものなら戻りたい。

  • #472

    管理人 (日曜日, 25 10月 2020 19:48)

    2020年10月24日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00
    パートナーを亡くされた方12名の参加者で開催されました。
    2グループに分かれての分かち合い。
    私のグループでは、
    どうやって生きていこう?
    まだ来ぬ将来をいろいろと案じてしまう。
    間もないころは、ほとんどの方がそんな思いに捉われる。
    けっして特別な感情ではない事を確認できた時間。

  • #471

    管理人 (月曜日, 19 10月 2020 20:59)

    二十数年前通勤途中で、新築のアパートの2階から
    30代前後と思えるスーツ男性の出勤姿が見えた。その時女性がお見送りをし、言葉を交わしている。
    男性は階段を降り切ったところで、上を見上げ手を振っている。女性も手を振っている。
    本人たちにとって当たり前の行動で人に見せるためのものでもない。
    毎日の事。1年以上見かけていた。
    見ていてほのぼのとしたものを感じていた。
    勤務先が変わったりするともうその姿は見ることはできなくなった。
    遺族の中に、若い方を見かけると、そんな光景を思い出すときがある。
    その方に、そんなことがあったような気がして。

    大切な人と過ごした時間はもう二度と戻ってこない。
    でも、その幸せだった時間の記憶をかみしめ、感謝する。
    悲しみがあるから、愛の喜びがあった・・・

  • #470

    管理人 (金曜日, 16 10月 2020 22:12)

    ある書物に
    一人の時間を望むのは、それだけ人間関係につかれている証拠。
    一人の時間は必要だ。
    一人の時間は治療の時間なのだ。
    人間関係で疲れたからだと心を休ませてあげる時間。
    だから一人で食事したり酒を飲んだり、
    一人でできることを楽しんだらいい。
    ただし、そうやって一人の時間を楽しんだ後は、
    必ず戻らなければならない。
    一人の時間は、帰り道が約束された旅行でもある。
    そもそも一人でいたいなんて気持ちは、
    結局、誰かと繋がっているから生まれる。
    無人島に一人でいるなら、ひとりでいたいなんて思わないだろう。
    一人でできることが多いと、他人と程よい関係を続けることができる。
    一人が楽だけど、結局は一人では生きていけないことを知っている。
    孤独を十分に楽しんだ後、再び人の群れに戻る。

    孤独は必要なもの。
    悲しいことが起きて、孤独はつらいものと思っていたが、
    そうではないと思った。

  • #469

    管理人 (水曜日, 14 10月 2020 20:39)

    意馬心猿(四字熟語)
    馬が奔走し猿が騒ぎたてるのを止めがたいように、煩悩・妄念などが起こって心が乱れ、抑えがたいこと。

    悲しいことが起きてしまうと、いろんな思いが心に付きまとって離れない。
    来る日も来る日も離れない。
    これは「意馬心猿」ではないか。
    こういう心に苦しんだ人は、昔から大勢いたのではないか。そんな人たちが受け継いできたからこそ、このことばは四字熟語として、現在まで伝えられている。
    これは先人たちも感じてきた、苦しさなんだろうと思う。

  • #468

    管理人 (月曜日, 12 10月 2020 18:26)

    丸ノ内線は地下鉄と言いつつ、地上を走る区間がある。
    初めて、大切な人と丸の内線に乗った時、
    二人で、地下鉄と言っても、地上も走るんだよね。
    そんな会話を覚えている。
    丸の内線に乗って地上に出ると、この会話がいつも思い出される。
    つらいわけでもないし、どうでもいいことなのだが、
    なぜか数十年前の会話を思い出してしまう。
    ああ、あの時は、手も握ったこともないお付き合い。
    純情だった自分を思い出させてくれるものなのかもしれない。
    今ではどこかに置いてきた純情。
    いろんなことを回想させてくれる。

  • #467

    管理人 (土曜日, 10 10月 2020 21:47)

    急に寒くなったことで、足下にスーと冷気を感じる。
    何かが忍び寄ってきている感じ。
    その正体は、老いと寂しさとも感じられる気がしてる。
    元気な時は、どれだけあるのか。
    忍び寄る老いと寂しさをどうすればいいのか。
    と、一瞬思ったが、なるようになるだけだ。

  • #466

    管理人 (木曜日, 08 10月 2020 19:37)

    新型コロナの話題から、各国の事情、死生観、人生観を聞くことがある
    フランス人の人生観は、
    バカンスのために生きている。
    人はいつか死ぬ。
    それは神が決めること。
    宗教観の違いだから、日本人には受け入れがたいかもしれない。
    でも、そんな考え方が出来たら、生きやすいかもしれないと思った。
    生きづらさを強く感じてきたら、参考にしてみよう。

  • #465

    管理人 (金曜日, 02 10月 2020 21:43)

    悲しいことが起きて2年半ほどたった頃。
    たまたま、衣料品店に入った時、エプロンが目に入った。
    普段大切な人が使っていた柄に似たもの。
    まるでそこにいるような感覚。
    お店の中にも関わらず、涙がぼろぼろこぼれていた。
    そして、これは男性独特の感情、もしくは私だけかもしれないが、
    エプロン姿は母性を感じるもの。
    大切な人は、中学の同級生でもあり、子供のように甘えることもあり、亡くなった時は
    妻、母、子供、親友の多くを喪った気持ちになっていた。

  • #464

    管理人 (水曜日, 30 9月 2020 22:13)

    名の知られた方の自死が続いている。
    こんなに続くと、
    いろいろな言葉が次々と出てくる。
    何も知らない人の不用意な発言で傷つく遺族の方もおられる様です。
    例えば、「近くに家族がいてどうして気づいてあげられなかったのか。」
    よく聞くことだが、知人が亡くなると、あの時自分が声をかけていればとか。
    自分が言った一言が良くなかったのではないかとか。
    あるいは亡くなった人の関係者への非難。
    そんな風に考える方が多いと聞く。そんなものではないと自死遺族はわかっている。
    世の中いろんな人がいるし、人の口に戸は立てられない。
    遺族はそっとして欲しいものなのに。

  • #463

    管理人 (日曜日, 27 9月 2020 08:51)

    2020年9月26日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00
    パートナーを亡くされた方12名の参加者で開催されました。
    悲しいことが起きる前の苦悩、起きた後に後悔や自責の念が出てしまう。
    あるいは時間が経ってからそれが出てしまったり。
    人それぞれの環境が違うことからではあるが、計り知れない悲しみ苦しみは共有できた時間でした。

  • #462

    管理人 (水曜日, 23 9月 2020 08:26)

    ももさん、書き込みありがとうございます。
    二人で長い時間を過ごしてくると、一人の方が気楽でいいと思う時があります。
    それは多くの方が思うところでもあると思います。
    コロナ離婚が増えているのはそんな思いが強くなっている方が増えたわけですから。
    私もそんなことがありました。。
    中には、憎しみ合って、泥仕合を繰り広げる芸能人もいたりしますが。
    私も、ももさんと同じような過ごし方をしてます。
    罪悪感はありません。むしろ、今では一人にしてくれて、好きなように過ごしてほしいというメッセージに受け取ってます。
    遺されるつらさを引き受けたわけですから、それでいいと思ってます。
    そして、亡くなってしまったことで、心配することがなくなったのです。
    罪悪感を抱えて過ごそうが、過ごさないでも同じ時間を過ごすことになりますし、
    自分で、自分を痛めつけることはしないようにと思ってます。
    当初の気の狂うような悲しみ、苦しみ、絶望はいまでは治まってます。
    表面では冷静を装いながら、心は嵐が吹き荒れている時期もあったりもしました。
    苦しみを和らげるのは人それぞれですから、何とも言えないのですが。
    ただ、悲しみが消えたわけではありません。
    世の中には、傍目には気が付かない自死に限らず様々な悲しみを抱えた方が沢山おられます。
    悲しみを抱えながらでも、限られた人生、一生懸命生きている方が多いです。
    そんな方を見るにつけ、私は励みにもなってます。

  • #461

    もも (日曜日, 20 9月 2020 12:00)

    ネットでいろいろ検索する、ユーチューブにはまって時間が経つのを忘れる、一日中好きは音楽を聴く、時には友人と長電話、メール。家事などやらずにプライムビデオ。思わす夜更かししてしまう、外出すれば帰宅が夕食時と言われている時間を過ぎることはざら、食事はスーパーのお弁当、ということもざら。
     今、こういう「自由」はわたしのものとなり、わたしは現実逃避のためにこの「自由」を駆使しています。でも、何をしても「ああ、こういうことは夫がいたらできなかったことだなあ」と思って、はっと我に返り、「自由を謳歌する」という心境にはなれません。絶えず後ろめたさが伴います。最期期の夫は何かにつけてしつこくいびるように文句を言いました。「これじゃ、いっそ独りのほうが気が楽だわあ・・」と一瞬思ったこともあり、あわててその一瞬の思いを消しました。その「一瞬」が複数回。だから、それが現実になったとき「ああ、バチがあたった」と確信しました。このバチ当たり感はこれからも消えてはいかないと思います。
     小池真理子という直木賞作家が今年2月に死別したご伴侶とのことをエッセイに書いています。「長くともに暮らし、血管が切れそうになるほど腹を立てたことは数知れずあったのに、今となれば、そんな「暗い記憶」は長続きしない、楽しかったことなど日常のささやかな習慣の記憶がはるかにそれを凌駕する」と書いています。
     言葉は悪いけれどわたしは羨ましいとさえ思いました。こういう純粋な悲しみならまだましだと。わたしはクールに測れば「暗い記憶」の総量の方が絶対少ないはずなのに、その記憶が「甘い記憶」を黒々と塗りつぶしている感じ。だから、「思い出す」ということを今は避けています。
     管理人さんのように「大切な人」というのを彼女の代名詞のように使えるようになるまで、これから先、途方もなく年月がかかるだろうと思います。

  • #460

    管理人 (金曜日, 18 9月 2020 22:06)

    最初はお互い大好きで片時も離れたくないと思って一緒になり。
    一緒に歳を重ねて、同じお墓に入る。(偕老同穴)
    はずだった。
    なぜか一人で旅立ってしまう。置いてけぼりだ。
    時間は色々なものを変えていく。
    ならば、時間は自分のつらい気持ちだって変えていってくれるはず。

  • #459

    管理人 (火曜日, 15 9月 2020 23:22)

    国勢調査をもう済ませた方もおられると思います。
    大切な人を亡くして、初めての国勢調査は、つらい思いかと。
    私は2回目。1回目は涙ぼろぼろだった。
    今回は淡々と記入しオンラインでの送信。
    時間にしては数分で終わるけど、初めての方は、
    しばし悲しい思いに浸ってしまう方もいるのでは。
    でも、次の5年後は悲しい想いは薄らいでいくと思うから。

  • #458

    管理人 (金曜日, 11 9月 2020 21:12)

    prime videoで「赤ちょうちん」を見つけたので早速観ることにした。
    藤田敏八監督の1970年代の青春映画の一つ。
    高岡健二と秋吉久美子主演。現代とは違っている風景、生活様式などを懐かしむこともできた。
    今は亡くなってしまった若かりし頃の俳優陣も懐かしい。
    当時は、映画を妻と二人で観た。ラストシーンは秋吉久美子が心を病んでしまうというもの。
    それがとても気になり、何となく、
    まさかあなたも同じようなことにならないよね。
    と、その時の返事が案外そうかもしれないね。と笑っていた。
    そんなことも思い出してしまった。
    数十年後、同じように、妻は心を病んでしまうことになるとは。

  • #457

    管理人 (火曜日, 08 9月 2020 20:31)

    介護疲れ、25歳年上の妻を殺害。
    妻は老い、病を患った。介護の果てに生活苦も重なり、
    将来を悲観した男(63歳)はついに、最愛の相手に手をかけた。
    そんな記事を見た。
    誰でも老いる。
    介護が必要になると、元に戻っていくことは無いだろうし、
    亡くなるまでそれは続く。
    金銭的や環境に恵まれている人は少ない。
    老夫婦でどちらかを介護することは困難なはず。
    そして愛する人だから葛藤が生まれる。愛してなければこんな悲劇は生まない。
    老々介護は、残酷な結末になってしまうことが多々ある気がする。
    この二人は赤い糸で結ばれていたのだろうか。
    と思いながら映画「糸」を観に行った。

  • #456

    管理人 (土曜日, 05 9月 2020 21:56)

    大切な人が亡くなると、もう一緒に行動する人がいない。
    気を遣うことなく話す人もいない。今まで依存していたことが依存出来ない。
    愛しくて寂しくてたまらない。
    最近は、何かしら一人でも楽しむ術を覚えてきた感がある。
    一人で趣味など楽しめば、人を気にしなくて済むし、
    飽きたり、自分に合わないと感じたら他の物を見つけていけばいいだけ。
    そういったものは、人と違い向こうから裏切らない。
    根本の解決ではないのはわかっている。
    でも、つらい現実を生きていくための手段だし、人に何も言われなくていい。
    後ろめたさを感じることなどない。
    現実世界を忘れる術は耐えられないほどの苦しい世界を生きていくために必要だし、
    苦しみを解消するには時間がかかる。和らげることから始めないといけないから。

  • #455

    管理人 (木曜日, 03 9月 2020 22:06)

    何気なく見かけた言葉。
    「どんなにつらい悲しみにも
           それにふさわしい幸せがきっとある」
    そうであってほしい。
    そう思うようにしよう。

  • #454

    管理人 (水曜日, 02 9月 2020 22:59)

    某TV番組で、スウエーデンの死生観は日本と違うということをやっていた。
    人間はいつか死ぬもので、
    「助けられない命を頑張って助けようとする努力はしなくていい」
    というのがスウエーデンの考え方。
    人工呼吸器等の措置は医師の裁量に任されている。
    患者に処置を施した場合、あとどのくらいの寿命と割り出し、処置をするか否かを決める。
    家族の意向も、医師の判断に影響しない。
    そういう考え方だと、諦めるしかないし、死を受け入れやすい気がする。
    遺された人の悲しみ、苦しみも少しは軽減されるのかもしれない。
    悲しみ苦しみは諦めることと死を受け入れることが、なかなかできないから出てくるものだから。

  • #453

    管理人 (月曜日, 31 8月 2020 22:05)

    今年は、国勢調査の年。
    大切な人を亡くして間もない方はつらい作業になることではないでしょうか。
    記入すべきところに記入できないのは、現実を見つめることになる。
    ダメ押しで亡くなったことを知らしめられる。
    以前、私は悲しいことが起きて一年後だった。
    国勢調査員が調査票の配布と、回答の回収に来ていた。なぜか調査員と会うことが苦痛でもあったのを覚えている。
    今年は、調査員が調査票の配布、回答はインターネットか郵送になったようだ。

  • #452

    管理人 (日曜日, 30 8月 2020 22:09)

    内海桂子さん(97歳)の訃報が報じられていた。
    人は必ず亡くなるものだから、
    97歳という年齢からそういうものだ。違和感を感じた方はいないと思う。
    老いること、病気になること、そして死を迎えること。
    もちろん誰もが。そして自分も迎えることではあるが、まだ現実感はない。
    いずれ、老いて、病気になり、死を迎えるだろう。
    老いることで、体が思い通りに行かないことが多くなってくる。
    それを考えると、今を大事に生きねばと言う思いが、こんなことがあった時出てくるが、
    健康でいるうちはまたすぐ忘れてしまいそうだ。