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書き込み帳 2

コメント: 471
  • #471

    管理人 (月曜日, 19 10月 2020 20:59)

    二十数年前通勤途中で、新築のアパートの2階から
    30代前後と思えるスーツ男性の出勤姿が見えた。その時女性がお見送りをし、言葉を交わしている。
    男性は階段を降り切ったところで、上を見上げ手を振っている。女性も手を振っている。
    本人たちにとって当たり前の行動で人に見せるためのものでもない。
    毎日の事。1年以上見かけていた。
    見ていてほのぼのとしたものを感じていた。
    勤務先が変わったりするともうその姿は見ることはできなくなった。
    遺族の中に、若い方を見かけると、そんな光景を思い出すときがある。
    その方に、そんなことがあったような気がして。

    大切な人と過ごした時間はもう二度と戻ってこない。
    でも、その幸せだった時間の記憶をかみしめ、感謝する。
    悲しみがあるから、愛の喜びがあった・・・

  • #470

    管理人 (金曜日, 16 10月 2020 22:12)

    ある書物に
    一人の時間を望むのは、それだけ人間関係につかれている証拠。
    一人の時間は必要だ。
    一人の時間は治療の時間なのだ。
    人間関係で疲れたからだと心を休ませてあげる時間。
    だから一人で食事したり酒を飲んだり、
    一人でできることを楽しんだらいい。
    ただし、そうやって一人の時間を楽しんだ後は、
    必ず戻らなければならない。
    一人の時間は、帰り道が約束された旅行でもある。
    そもそも一人でいたいなんて気持ちは、
    結局、誰かと繋がっているから生まれる。
    無人島に一人でいるなら、ひとりでいたいなんて思わないだろう。
    一人でできることが多いと、他人と程よい関係を続けることができる。
    一人が楽だけど、結局は一人では生きていけないことを知っている。
    孤独を十分に楽しんだ後、再び人の群れに戻る。

    孤独は必要なもの。
    悲しいことが起きて、孤独はつらいものと思っていたが、
    そうではないと思った。

  • #469

    管理人 (水曜日, 14 10月 2020 20:39)

    意馬心猿(四字熟語)
    馬が奔走し猿が騒ぎたてるのを止めがたいように、煩悩・妄念などが起こって心が乱れ、抑えがたいこと。

    悲しいことが起きてしまうと、いろんな思いが心に付きまとって離れない。
    来る日も来る日も離れない。
    これは「意馬心猿」ではないか。
    こういう心に苦しんだ人は、昔から大勢いたのではないか。そんな人たちが受け継いできたからこそ、このことばは四字熟語として、現在まで伝えられている。
    これは先人たちも感じてきた、苦しさなんだろうと思う。

  • #468

    管理人 (月曜日, 12 10月 2020 18:26)

    丸ノ内線は地下鉄と言いつつ、地上を走る区間がある。
    初めて、大切な人と丸の内線に乗った時、
    二人で、地下鉄と言っても、地上も走るんだよね。
    そんな会話を覚えている。
    丸の内線に乗って地上に出ると、この会話がいつも思い出される。
    つらいわけでもないし、どうでもいいことなのだが、
    なぜか数十年前の会話を思い出してしまう。
    ああ、あの時は、手も握ったこともないお付き合い。
    純情だった自分を思い出させてくれるものなのかもしれない。
    今ではどこかに置いてきた純情。
    いろんなことを回想させてくれる。

  • #467

    管理人 (土曜日, 10 10月 2020 21:47)

    急に寒くなったことで、足下にスーと冷気を感じる。
    何かが忍び寄ってきている感じ。
    その正体は、老いと寂しさとも感じられる気がしてる。
    元気な時は、どれだけあるのか。
    忍び寄る老いと寂しさをどうすればいいのか。
    と、一瞬思ったが、なるようになるだけだ。

  • #466

    管理人 (木曜日, 08 10月 2020 19:37)

    新型コロナの話題から、各国の事情、死生観、人生観を聞くことがある
    フランス人の人生観は、
    バカンスのために生きている。
    人はいつか死ぬ。
    それは神が決めること。
    宗教観の違いだから、日本人には受け入れがたいかもしれない。
    でも、そんな考え方が出来たら、生きやすいかもしれないと思った。
    生きづらさを強く感じてきたら、参考にしてみよう。

  • #465

    管理人 (金曜日, 02 10月 2020 21:43)

    悲しいことが起きて2年半ほどたった頃。
    たまたま、衣料品店に入った時、エプロンが目に入った。
    普段大切な人が使っていた柄に似たもの。
    まるでそこにいるような感覚。
    お店の中にも関わらず、涙がぼろぼろこぼれていた。
    そして、これは男性独特の感情、もしくは私だけかもしれないが、
    エプロン姿は母性を感じるもの。
    大切な人は、中学の同級生でもあり、子供のように甘えることもあり、亡くなった時は
    妻、母、子供、親友の多くを喪った気持ちになっていた。

  • #464

    管理人 (水曜日, 30 9月 2020 22:13)

    名の知られた方の自死が続いている。
    こんなに続くと、
    いろいろな言葉が次々と出てくる。
    何も知らない人の不用意な発言で傷つく遺族の方もおられる様です。
    例えば、「近くに家族がいてどうして気づいてあげられなかったのか。」
    よく聞くことだが、知人が亡くなると、あの時自分が声をかけていればとか。
    自分が言った一言が良くなかったのではないかとか。
    あるいは亡くなった人の関係者への非難。
    そんな風に考える方が多いと聞く。そんなものではないと自死遺族はわかっている。
    世の中いろんな人がいるし、人の口に戸は立てられない。
    遺族はそっとして欲しいものなのに。

  • #463

    管理人 (日曜日, 27 9月 2020 08:51)

    2020年9月26日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00
    パートナーを亡くされた方12名の参加者で開催されました。
    悲しいことが起きる前の苦悩、起きた後に後悔や自責の念が出てしまう。
    あるいは時間が経ってからそれが出てしまったり。
    人それぞれの環境が違うことからではあるが、計り知れない悲しみ苦しみは共有できた時間でした。

  • #462

    管理人 (水曜日, 23 9月 2020 08:26)

    ももさん、書き込みありがとうございます。
    二人で長い時間を過ごしてくると、一人の方が気楽でいいと思う時があります。
    それは多くの方が思うところでもあると思います。
    コロナ離婚が増えているのはそんな思いが強くなっている方が増えたわけですから。
    私もそんなことがありました。。
    中には、憎しみ合って、泥仕合を繰り広げる芸能人もいたりしますが。
    私も、ももさんと同じような過ごし方をしてます。
    罪悪感はありません。むしろ、今では一人にしてくれて、好きなように過ごしてほしいというメッセージに受け取ってます。
    遺されるつらさを引き受けたわけですから、それでいいと思ってます。
    そして、亡くなってしまったことで、心配することがなくなったのです。
    罪悪感を抱えて過ごそうが、過ごさないでも同じ時間を過ごすことになりますし、
    自分で、自分を痛めつけることはしないようにと思ってます。
    当初の気の狂うような悲しみ、苦しみ、絶望はいまでは治まってます。
    表面では冷静を装いながら、心は嵐が吹き荒れている時期もあったりもしました。
    苦しみを和らげるのは人それぞれですから、何とも言えないのですが。
    ただ、悲しみが消えたわけではありません。
    世の中には、傍目には気が付かない自死に限らず様々な悲しみを抱えた方が沢山おられます。
    悲しみを抱えながらでも、限られた人生、一生懸命生きている方が多いです。
    そんな方を見るにつけ、私は励みにもなってます。

  • #461

    もも (日曜日, 20 9月 2020 12:00)

    ネットでいろいろ検索する、ユーチューブにはまって時間が経つのを忘れる、一日中好きは音楽を聴く、時には友人と長電話、メール。家事などやらずにプライムビデオ。思わす夜更かししてしまう、外出すれば帰宅が夕食時と言われている時間を過ぎることはざら、食事はスーパーのお弁当、ということもざら。
     今、こういう「自由」はわたしのものとなり、わたしは現実逃避のためにこの「自由」を駆使しています。でも、何をしても「ああ、こういうことは夫がいたらできなかったことだなあ」と思って、はっと我に返り、「自由を謳歌する」という心境にはなれません。絶えず後ろめたさが伴います。最期期の夫は何かにつけてしつこくいびるように文句を言いました。「これじゃ、いっそ独りのほうが気が楽だわあ・・」と一瞬思ったこともあり、あわててその一瞬の思いを消しました。その「一瞬」が複数回。だから、それが現実になったとき「ああ、バチがあたった」と確信しました。このバチ当たり感はこれからも消えてはいかないと思います。
     小池真理子という直木賞作家が今年2月に死別したご伴侶とのことをエッセイに書いています。「長くともに暮らし、血管が切れそうになるほど腹を立てたことは数知れずあったのに、今となれば、そんな「暗い記憶」は長続きしない、楽しかったことなど日常のささやかな習慣の記憶がはるかにそれを凌駕する」と書いています。
     言葉は悪いけれどわたしは羨ましいとさえ思いました。こういう純粋な悲しみならまだましだと。わたしはクールに測れば「暗い記憶」の総量の方が絶対少ないはずなのに、その記憶が「甘い記憶」を黒々と塗りつぶしている感じ。だから、「思い出す」ということを今は避けています。
     管理人さんのように「大切な人」というのを彼女の代名詞のように使えるようになるまで、これから先、途方もなく年月がかかるだろうと思います。

  • #460

    管理人 (金曜日, 18 9月 2020 22:06)

    最初はお互い大好きで片時も離れたくないと思って一緒になり。
    一緒に歳を重ねて、同じお墓に入る。(偕老同穴)
    はずだった。
    なぜか一人で旅立ってしまう。置いてけぼりだ。
    時間は色々なものを変えていく。
    ならば、時間は自分のつらい気持ちだって変えていってくれるはず。

  • #459

    管理人 (火曜日, 15 9月 2020 23:22)

    国勢調査をもう済ませた方もおられると思います。
    大切な人を亡くして、初めての国勢調査は、つらい思いかと。
    私は2回目。1回目は涙ぼろぼろだった。
    今回は淡々と記入しオンラインでの送信。
    時間にしては数分で終わるけど、初めての方は、
    しばし悲しい思いに浸ってしまう方もいるのでは。
    でも、次の5年後は悲しい想いは薄らいでいくと思うから。

  • #458

    管理人 (金曜日, 11 9月 2020 21:12)

    prime videoで「赤ちょうちん」を見つけたので早速観ることにした。
    藤田敏八監督の1970年代の青春映画の一つ。
    高岡健二と秋吉久美子主演。現代とは違っている風景、生活様式などを懐かしむこともできた。
    今は亡くなってしまった若かりし頃の俳優陣も懐かしい。
    当時は、映画を妻と二人で観た。ラストシーンは秋吉久美子が心を病んでしまうというもの。
    それがとても気になり、何となく、
    まさかあなたも同じようなことにならないよね。
    と、その時の返事が案外そうかもしれないね。と笑っていた。
    そんなことも思い出してしまった。
    数十年後、同じように、妻は心を病んでしまうことになるとは。

  • #457

    管理人 (火曜日, 08 9月 2020 20:31)

    介護疲れ、25歳年上の妻を殺害。
    妻は老い、病を患った。介護の果てに生活苦も重なり、
    将来を悲観した男(63歳)はついに、最愛の相手に手をかけた。
    そんな記事を見た。
    誰でも老いる。
    介護が必要になると、元に戻っていくことは無いだろうし、
    亡くなるまでそれは続く。
    金銭的や環境に恵まれている人は少ない。
    老夫婦でどちらかを介護することは困難なはず。
    そして愛する人だから葛藤が生まれる。愛してなければこんな悲劇は生まない。
    老々介護は、残酷な結末になってしまうことが多々ある気がする。
    この二人は赤い糸で結ばれていたのだろうか。
    と思いながら映画「糸」を観に行った。

  • #456

    管理人 (土曜日, 05 9月 2020 21:56)

    大切な人が亡くなると、もう一緒に行動する人がいない。
    気を遣うことなく話す人もいない。今まで依存していたことが依存出来ない。
    愛しくて寂しくてたまらない。
    最近は、何かしら一人でも楽しむ術を覚えてきた感がある。
    一人で趣味など楽しめば、人を気にしなくて済むし、
    飽きたり、自分に合わないと感じたら他の物を見つけていけばいいだけ。
    そういったものは、人と違い向こうから裏切らない。
    根本の解決ではないのはわかっている。
    でも、つらい現実を生きていくための手段だし、人に何も言われなくていい。
    後ろめたさを感じることなどない。
    現実世界を忘れる術は耐えられないほどの苦しい世界を生きていくために必要だし、
    苦しみを解消するには時間がかかる。和らげることから始めないといけないから。

  • #455

    管理人 (木曜日, 03 9月 2020 22:06)

    何気なく見かけた言葉。
    「どんなにつらい悲しみにも
           それにふさわしい幸せがきっとある」
    そうであってほしい。
    そう思うようにしよう。

  • #454

    管理人 (水曜日, 02 9月 2020 22:59)

    某TV番組で、スウエーデンの死生観は日本と違うということをやっていた。
    人間はいつか死ぬもので、
    「助けられない命を頑張って助けようとする努力はしなくていい」
    というのがスウエーデンの考え方。
    人工呼吸器等の措置は医師の裁量に任されている。
    患者に処置を施した場合、あとどのくらいの寿命と割り出し、処置をするか否かを決める。
    家族の意向も、医師の判断に影響しない。
    そういう考え方だと、諦めるしかないし、死を受け入れやすい気がする。
    遺された人の悲しみ、苦しみも少しは軽減されるのかもしれない。
    悲しみ苦しみは諦めることと死を受け入れることが、なかなかできないから出てくるものだから。

  • #453

    管理人 (月曜日, 31 8月 2020 22:05)

    今年は、国勢調査の年。
    大切な人を亡くして間もない方はつらい作業になることではないでしょうか。
    記入すべきところに記入できないのは、現実を見つめることになる。
    ダメ押しで亡くなったことを知らしめられる。
    以前、私は悲しいことが起きて一年後だった。
    国勢調査員が調査票の配布と、回答の回収に来ていた。なぜか調査員と会うことが苦痛でもあったのを覚えている。
    今年は、調査員が調査票の配布、回答はインターネットか郵送になったようだ。

  • #452

    管理人 (日曜日, 30 8月 2020 22:09)

    内海桂子さん(97歳)の訃報が報じられていた。
    人は必ず亡くなるものだから、
    97歳という年齢からそういうものだ。違和感を感じた方はいないと思う。
    老いること、病気になること、そして死を迎えること。
    もちろん誰もが。そして自分も迎えることではあるが、まだ現実感はない。
    いずれ、老いて、病気になり、死を迎えるだろう。
    老いることで、体が思い通りに行かないことが多くなってくる。
    それを考えると、今を大事に生きねばと言う思いが、こんなことがあった時出てくるが、
    健康でいるうちはまたすぐ忘れてしまいそうだ。

  • #451

    管理人 (金曜日, 28 8月 2020 23:02)

    たまに思い出す光景がある。
    悲しいことが起きたとき、ドクターに大切な人の死を告げられた時。
    思わず手を握り、その手を離したとき、力なくそのまま下に落ちてしまった。もうそこには命がない・・。そう感じたのを覚えている。
    翌日霊安室で、手を握ろうとしたが、もう硬直してそれはかなわない。
    身じろぎ一つしない身体の額とほほに手を当てたが、冷たい感触でやはり命が感じられない。
    ぼろぼろ涙を流していたなあ。
    充分悲しきったせいなのか、悲しみに慣れたのかわからないが今は、気持ちの動揺がそれほどでもなくなっている。

  • #450

    管理人 (木曜日, 27 8月 2020 21:33)

    今年の健康診断の血液検査で、ある数値が高くなっていた。
    悲しいことが起きる前はその数値が高く、服薬せねばならなかったのだが、
    悲しいことが起きてから、ご飯が食べれないこともあって、それらは正常値になった。
    同時に、当時は、膝関節痛と股関節痛で通院服薬していた。
    体重が極端に減ったせいか、膝関節痛と股関節痛も治まったのだ。
    ただ、心はぼろぼろだ。
    6年目になって、体重もずいぶんと戻り数値も高くなってきた。
    しかも、膝関節痛と股関節痛が再び出てきた。
    心はぼろぼろではない。
    悲しいことが起る前の身体に戻るのなら、大切な人も戻ってほしい。

  • #449

    管理人 (火曜日, 25 8月 2020 22:14)

    ある遺族の方から聞いた話。
    夫を亡くして子供さんがいる方と、いない方。
    子供さんがいる方がいない方に対して、夫はお互い亡くなったけど、
    私には子供がいる。だから私は勝ち組と言ったそうだ。
    結婚すること、こどもをつくること、お金を稼ぐこと、社会的地位を得ること。
    それは勝手に世間が作り出した幸せの形。(勝ち組)
    結婚しなくても、こどもがいなくても、お金がなくても、社会的地位がなくても。
    幸せは感じる。
    幸せは、それぞれ自分の持っているものさしで決まるもの。
    勝手に作り出されたものに嫌な思いをすることではないなあ。

  • #448

    管理人 (日曜日, 23 8月 2020 22:33)

    時々つまらないことを思い出すことがある。
    どうしてあんなことで喧嘩してしまったのかとか。
    あんなことを言ってしまったのかとか。
    悲しいことが起きたときの葛藤とは違うものが出てくる。
    いろんな忘れていたものが、ちょっとしたきっかけで思い出す。
    今さらどうでもいいことが多い。とわかってはいるが。
    きっと、当時はわかり合えない部分は仕方がない。
    あるいはわかってもらえる。信頼関係があるから言えた。
    でも、いなくなってしまうとそれが葛藤につながってしまう。
    また、楽しかったことも突然思い出す。
    それが嬉しいと思う時、切ないと思う時。その時の気分で違う。
    こういった感情は、当たり前に、この先も出てくるだろうなあ。
    多くの方がパートナーとの人生が一番輝いていたと思うからではないだろうか。
    そのためにパートナーを喪ってこの感情で苦しむ方は多い気がするし、
    長い年月を苦しむ方も多い気がする。
    ときおり大丈夫だと思っても大丈夫じゃないのはそれが表出してくるからかもしれない。

  • #447

    管理人 (土曜日, 22 8月 2020 19:37)

    2020年8月22日(土)ル・シーニュ内 6階 第7会議室B 14:00~16:00
    パートナーを亡くされた方11名の参加者で開催されました。
    間もない方にとって、コロナ禍の中、苦しい思いを毎日抱えていたと思います。
    あの時から、時間の経ち方はそれぞれ違っていても、
    同じ時間を生き、同じ世界を体験してきた大切な人への悲しみは共有できた時間でした。

  • #446

    管理人 (土曜日, 08 8月 2020 22:13)

    外付けのUSBメモリーを整理していたら、思いがけなく大切な人の写真があった。
    ほとんどが、HDDに年月別に保存してあるが、なぜか、ポツンと2枚の写真。
    どうしてそこに収められていたかは記憶がない。
    思いっきりの笑顔に目が合った。
    不意打ちになるとちょっとうれしい気もした。
    いつも写真を見る時は、こちらから会いに行く気持ち。
    不意に写真が現れるのは、会いに来てくれた気持ちになってしまう。

  • #445

    管理人 (水曜日, 05 8月 2020 21:43)

    梅雨が明けたことで、また片付けを始めた。
    今までも少しづつ片づけているが、片づけたという空間が現れることがない。
    今回は突然ぽっかりと空間が現れた。
    大切な人の存在が、そこにあったのだと改めて感じてしまう。
    寂しい。
    近所のコンビニが閉店して半年以上経ち、空き店舗のまま。
    散歩しながら二人で立ちよったお店。
    近所で信頼できる夫婦が暮らしていた家。引っ越して数ヶ月経つが空き家のまま。
    それらを目にすると、必ず、なぜか類似した寂寥感を感じてしまうなあ。

  • #444

    管理人 (金曜日, 31 7月 2020 22:00)

    先日、8月31日で閉園になるという豊島園に行ってみることにした。
    若かりし頃の思い出もあることだし。
    駅に着いたほとんどの人が園のチケット売り場に流れていくのだが、
    そこには、事前予約の方のみの文字が。
    あれ、知らなかった。仕方がないので近くを探索すると、
    「田島山十一ヶ寺」がある。これも知らなかった。
    参道の両脇に並ぶ11のお寺。お寺ごとに風情が違う。
    手入れの行き届いた境内や掲示板にある言葉「なくしたものは心の中で生きてるね」に癒された。
    思いがけない一日になった。

  • #443

    管理人 (月曜日, 27 7月 2020 20:36)

    登山をして道に迷った時、
    ほとんどの人は山を下る選択をしてしまうようです。
    そうするとかえって、迷って危険になる。
    どうするかというと、そういう時は、
    山を登った方がいい。
    頂上まで行けば、道がそこまで通っている。
    登山者にも会えることもある。
    これを知っていると知らないとでは天地ほどの差がある。

    かたちあるものはいつか壊れる。
    人は生まれて、生きて、死んで、土に還っていきます。
    かたちのあるものだけではなく、
    目に見えない触れることもできないものも同じ。
    心の迷い、悩み、苦しみも薄れて消えていきます。
    どんな思いも、いつか必ず、薄れていき、最後には壊れてなくなってしまうもの。
    壊れてなくなることを知らずに過ごすことと、このことを心に留めて、
    過ごしていくのとは天地ほどの差がある。

  • #442

    管理人 (金曜日, 24 7月 2020 19:21)

    三浦春馬さんが亡くなったことで、多くの方が悲しんでいる。
    他人の事なのに悲しい。
    これは人として普通のことのようだ。
    悲しみを感じられるのは自分一人ではない。
    だから独りぼっちではない。
    悲しみを共感できている自分をかわいいやつだと思えばいい。
    大切な人を亡くしたことを思い出すこともあるが、
    悲しみについては、悲しみは消えないけど慣れてくる。

  • #441

    管理人 (木曜日, 23 7月 2020 09:37)

    NICOさん
    泣くだけ泣きましょう。
    あるTV番組で聴いた言葉。
    悲しみは無くて良かったと思わない。
    悲しみのお蔭で、何が大切かわかる
    そして人の気持ちも理解できるようになる。
    そういうことが大事。

    悲しみはとことん悲しむ。
    悲しみは、自分を成長させてくれるもの。
    悲しみの感情は悪いことではないから。

  • #440

    NICO (水曜日, 22 7月 2020 17:17)

    管理人さんにいつも力を
    頂いてます。
    ありがとうございます。

    三浦春馬くんのKinky Bootsが
    素晴らしくて……
    キラキラしたローラを観て
    涙が止まりません。
    RAISE YUO UPの歌声が
    頭から離れません。

    この落ちてしまった気持ちを
    引き上げて欲しいゎ……


    (三浦くん話でごめんなさい)

  • #439

    管理人 (水曜日, 22 7月 2020 13:52)

    三浦春馬さんの自死で
    1986年の沖雅也さんの自死を思い出した。
    遺書は公開されている。

    人は病む。いつかは老いる。死を逃れることはできない。
    若さも、健康も、生きていることにどんな意味があると言うのか。
    人間が生きていることは、結局なにかを求めていることにほかならない。
    老いや病と死とを越えた、人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めることが、
    正しいものを求めることと思うが、今の私は誤ったものの方を求めている者。
    おやじ涅槃で待っている。

    他人には、さほど気になるものではないことでも、彼にとっては重大なこと。
    生きることを終わりにしてしまった。
    当時は人気俳優で、お金や名声もあったはず。それは生きる上で役に立つものではなかった。
    一人一人かけがえのない命。一人一人が尊い存在だから。そこに気が付いてほしいと誰でも思うのでは・・・

  • #438

    管理人 (日曜日, 19 7月 2020 21:18)

    7月25日(土)雨宿りはコロナ感染が止まらないことから、中止とさせていただきます。
    次回はどうなるかわかりませんが8月22日(土)を予定してます。
    開催の可否はこのページでお知らせします。

    上記、同じ内容をホームにも掲載してます。

  • #437

    管理人 (日曜日, 19 7月 2020 12:48)

    NICOさん、αさん書き込みありがとうございます。
    三浦春馬さんの自死は衝撃的です。
    耐えきれない苦悩があったのだろうと。
    何か、不思議にこの出来事で、
    もういないのはわかっている大切な人に会いたい気持ちが再燃してしまう。
    彼は、懸命に生きてきた自宅で、生きるのをやめてしまう。
    それも切なくなってくる。
    私は、すこし腹式呼吸して落ち着くようにししている。

  • #436

    NICO (日曜日, 19 7月 2020 11:00)

    私が何だかんだ言っても
    たぶん私が思っている以上
    苦しかったんだよね……
    この押し潰されれそうな気持ち
    いつまで続くのかしら

  • #435

    NICO (土曜日, 18 7月 2020 23:28)

    αさま

    私と同じ気持ちの方が
    いらしたのですね。

    今日の訃報は本当に
    つらかったです。
    長い長い歌番組で
    彼に関わりのある曲や仲間が
    たくさんでした。
    私のように辛く悲しい思いを
    されているのですね。
    どのような事情があっても
    遺された者にとって
    このようなお別れは
    やはりつらいです。

    私は
    授かった命の全てをかけて
    燃え尽きるまで生きていく!

  • #434

    α (土曜日, 18 7月 2020 20:30)

    NICO さん
    私も同じです。
    まるっきり同じ…

    夫が逝って五年が過ぎたけど、朝の悲しさ・寂しさは変わらず…

    そして、今日の訃報は辛かったです…

  • #433

    NICO (土曜日, 18 7月 2020 17:11)

    夫が亡くなって
    あっと言う間に
    五年が過ぎました。
    あのときの苦しみは
    薄れたけれど寂しいまま……

    今日また素敵な俳優さんが
    こんなにつらい最期を
    選んでしまった。

    やっぱつらいゎ……

  • #432

    管理人 (金曜日, 17 7月 2020 21:46)

    間もないころ、パートナーを亡くした人にお薦めの映画(DVD)の紹介がネットに載っていた。
    その中の一つだけ、印象に残っている。
    知っている方も多いかもしれないが、
    「今度は愛妻家」豊川悦司と薬師丸ひろ子主演。
    当時はDVDを借りて観たが、
    今回はprime videodeの中にそれがあったので久しぶりに観ることにした。
    間もないころはとにかく泣いてばかりなので、映画で泣いたかどうかは記憶にない。
    改めて観ると、いろいろ感情移入するシーンがあった。
    薬師丸ひろ子が子供のように抱きつき、何となく、じゃれ合っていたり。
    子供作らないなら離婚しましょうと切り出してみたり。
    会話の中で、ほめることなく、けなしてばかりしてみたり。
    どこにでもあるような二人の会話。
    大切な人同士だからこそ、強気な発言。これは愛情に裏打ちされたもの。
    そして、いろんな優しさがあふれている。
    今観ても涙が出たなあ。
    ネタバレになってしまうから詳しくは書かないけど、共感する映画だった。

  • #431

    管理人 (水曜日, 15 7月 2020 21:26)

    先日、九州の集中豪雨で亡くなる人の報道があった。
    いつも災害の時、大切な人を目の前で、助けることができない光景が報道の中にある。
    大雨によって目の前で流されていく光景。
    東日本大地震の際も同じように目の前で流されていく光景。
    阪神淡路大震災の時は、家屋の下になり、
    助けようとしても火災が迫ってきてどうすることもできない光景。
    当事者の苦悩苦痛が見えてくる。
    なぜ自分に起きてしまうのかという不条理。
    思わず天を仰いでしまうもだと思う。
    世の中、不条理だらけと感じてしまう・・・

  • #430

    管理人 (月曜日, 13 7月 2020 22:26)

    たまにだが、大切な人との何でもない日常の一コマを突然思い出す。
    断片的に幻燈機に映し出されるように。
    たいしたことのない日常の一つの風景を思い出してしまう。
    思いがけなく、料理が美味しくて、二人で美味しいと言いながら食べたシーン。
    若い時、デートは楽しくて、たまらなかった。
    さよならの時、また会えるのに寂しさがこみあげていた。
    そんなシーンだったり。
    べろべろに酔っぱらっておんぶして帰ったシーン。
    他にもいろいろと、時々頭の引き出しから出てくる。
    でも悲しくなるわけではない。いい思い出。感謝の気持ち。
    きっと来るべき臨終の間際には、いろんなシーンがハイスピードで、
    頭の中を駆け巡る気がする。

  • #429

    管理人 (木曜日, 09 7月 2020 22:20)

    最近、自分が変わったと感じることがある。
    けっこう大きなミスに気が付いたとき、以前なら言い訳を探していた気がする。
    今は、間違いが他者へ大きく迷惑をかけてしまうものは別として、原因が自分であれ、他者であれ、謙虚に受け入れられる。
    悲しいことが起きたとき、泣きながら立ち上がってきた。
    そんな経験が自分を変えてくれたのかもしれない。
    考えてみると、人生は躓いたり、転んだりして、人生の歩き方を学んでる。
    きっと大切な人が教えてくれたりしている。お蔭様・・・
    間もないころ、大切な人を亡くした人への講演会(自死に限定していない)の中で、喪ったものを埋めることはできないから、新しい自分をつくっていかなければいけない。
    そんな内容だった。当時は理解できなかったが、今は理解できるようになっている。

  • #428

    管理人 (火曜日, 07 7月 2020 21:25)

    小出監督の言葉
    どんな状態の時もせっかくと思えばいい
    そうすればすべてが力になる。
    体調不良になったら、せっかくだからゆっくり休んで、
    好きなことができるならそうして過ごす。
    神様が休んで好きな事をしろと言っている。
    なるほどだと思う。

  • #427

    管理人 (火曜日, 07 7月 2020 21:22)

    今日は七夕。織姫と彦星が年に一度会える日。
    以前は毎日会える自分たちは当たり前に思っていた。
    今は、もう会えない。年に一度でもいいから会いたい。
    無理だなぁ。

  • #426

    管理人 (日曜日, 05 7月 2020 21:57)

    濁った水も、一つの水。澄めばきれいな水となる。
    演技で元気なふりも、一つの元気。きっとふりじゃない元気になれるものだと・・・

  • #425

    管理人 (金曜日, 03 7月 2020 22:43)

    大切な人の遺品はほぼ整理したが、
    遺品の帽子やマフラーは自分が使用していた。
    最近気が付いたが、特に帽子はとても変だ。
    間もない当時の激しい気持ちは収まり、冷静になっている自分がわかるようになっている。
    悲しいことが起きて暫く経ってから、きっと暗闇を一燈の灯りで足元だけをみてきていた気がする。

  • #424

    管理人 (木曜日, 02 7月 2020 22:50)

    今の時期になると、ツタヤの更新案内がくる。
    間もないころは、一緒にお店に行った光景を思い出し、それに紐付けされた出来事も思い出し、つらいものになっていた。
    でも、もう7回目となると、涙することは無くなっている。
    更新の時、更新料を支払うことで、DVD一枚借りられるがさて何を借りようか?
    今までどんなのを借りていたかは記憶がないなあ。

  • #423

    管理人 (火曜日, 30 6月 2020 22:50)

    コロナで変わる新しい生活様式
    コロナの影響で元の生活に戻れないという言葉を聞くと、
    悲しいことが起きた当時を思い出す。
    当時は
    自責の念に苦しみ、この出来事の影響がいつまでも続くと思った。
    そして元の生活に戻れないことがつらくてたまらなかった。
    今では
    人生は自分次第で何とかなると思えるようになっている。

  • #422

    管理人 (月曜日, 29 6月 2020 21:46)

    最近はTV番組の制作が自粛されていることで、再放送番組が目につく。
    20年、30年前と今を比べると、時代の変化を感じることができる。
    ところが今は、新型コロナの影響で、
    凄まじい勢いで時代が変わっていく感覚になっている。
    余計に時間の速さが身に感じてしまう。
    限られた人生あっという間のような気がしてきた。